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インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
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予定外の臨時帰国から10日。1月3日、インドに戻る日を迎えた。

成田までは自宅から車で送ってもらった。渋滞も懸念されたが、さすがに早朝のためか、スムースに到着。ゆえにずいぶん早く到着。

いつもの第2ターミナル。Uターンのピークとなる日だが、さすがに出発ロビーは混んでいない。

まずは空港のインフォーメーションで車椅子を借りる。一応名前等は書かされるが、身元確認はなし。車椅子をそのまま持っていってしまってもバレないだろうに。インドならこのシステムはありえない。

車椅子で動くことになると、こういう場所ですらまだまだバリアフリーから程遠いことを思い知らされる。本屋などの店には入っていけない。エレベーター(出発ロビーの3階とレストラン等がある4階をつなぐ)が車椅子で乗るには狭すぎる。など。

今回のフライトは、12時ちょうど発予定のエア・インディアAI307便。しかし、9時30分のチェックイン開始を前にして、出発予定時刻が13時10分発予定に変更となっていた。雲行きが怪しい。

チェックインでは、はじめは列に並んでいたが、途中で気づいた係員が優先的に受付をしてくれた。ここで空港インフォメーションで借りた車椅子(出国手続き以降には入れない)から、JALマーク入りの車椅子に乗換え。介助者も手配してくれることになったが、搭乗まで時間があるので、またあとでカウンターに来ることに。

出発予定時刻は13時10分のまま。しかし、展望台から見ても、エア・インディアの機体が見当たらない。到着便案内を見ると、本来8時到着予定のはずが、12時到着予定に変更になっていた。ずいぶんな遅れだ。13時10分に出発できるとは到底思えない。

後でわかったことだが、この日はデリーで霧がすごかった。きっとその関係での遅れだろう。

12時過ぎに再びチェックイン・カウンターに行き、そこからは職員に車椅子を押してもらった。クルー用の経路を通っていく。厄介な手続きをスムースに抜けていけるのは悪い気はしない。もちろん荷物などのチェックはしっかりあったが。

12時半ごろ搭乗口に到着。まもなく搭乗開始のはずだが、その雰囲気がない。まだクルーもいる(中に入っていない)。12時に到着したばかりなのだから当たり前といえば当たり前。

13時に搭乗開始となった。他の客より一足先に搭乗。機体入口前まで車椅子で押してもらい、あとは松葉杖で。荷物を背負って杖で歩いた帰国時より格段に楽であった。他人の助けを借りることへの抵抗はあるが、助けを求める勇気も必要だと学んだ。

結局出発は14時頃。今回は搭乗率7割くらい。自分のエア・インディア経験の中ではかなり混んでいるほう。帰国時の23日ですら、空席率7割だったのだから。そして座席は帰国時と同じ場所になった。中列の通路側で、トイレに近いところ。ただし帰国時は空いている席に自分で動いた結果なので、同じ席を指定されたわけではない。こういう不自由な乗客を乗せるエリアがだいたい決まっているのだろう。

何かと評判の悪いエア・インディアだが、進歩している面もある。現在使用している機体は新しく、設備も充実している。各席にモニターがついており、その機能も徐々にではあるがレベルアップしている。しかしせっかくレベルアップしたモニターだが、中列ではすべてモニターが機能していなかった。これでは意味がない。また、今回は乗客が多いわりにアテンダントが少なく感じた。アナウンスは3言語(ヒン、英、日)で行われるが、以前は違ったはずだ。

9時間強のフライト。インド時間19時半すぎに到着した。他の客が降りるのを待ち、それから降りる。さらに車椅子の手配を頼んで待つ。しばらく待ったのち、車椅子と介助員到着。機体前から車椅子で押してもらった。入国手続きを優先的に突破し、待合ロビーの外のプリペイドタクシーのところまで押してくれた。そこでチップを要求されたが、現金は持っていないからごめんね、と言って断った。もちろん嘘。払ってもいいのだが、帰国時に押してくれた職員はそういう素振りがまったくなかったので、誠実な職員に払わず、あからさまに要求する職員に払うのは気が引けた。

迎えに来てもらったO氏と合流して、公営プリペイドタクシーでVasant KunjのモールDLF Placeへ。高級インド料理レストランVedaで夕食をとってから寮の自室へ。

この日のデリーは湿っていた。午後8時に空港を出る際、道路は濡れ、タクシーも濡れていた。久しぶりの雨が降ったとのこと。そして午後10時過ぎは、もう霧が立ち込めていた。

こうして不自由な状態でのデリー生活を再スタートさせた。

順調に行けば、今回の滞在は短期になる。
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1年半に及ぶインド生活、何らかのトラブルに見舞われるであろうことを予測していなかったではない。幸いにしてこれまでは深刻なトラブルとは無縁であったが、ついに一昨日、重大なトラブルに見舞われた。それも、インドとはあまり関係のないトラブルに。

この日は友人とニューデリーおよびオールドデリーを訪れる予定になっていた。まずタクシーを調達すべく、1人でJNU正門前のタクシー会社に向かった。

駐車場を歩いているときのことだった。足場が斜めになっているところで足を滑らせた。バランスを崩し、転倒。右足つま先に全体重かかり、不自然に折れ曲がった。

その折れ曲がり方に、ヤバイ、と思った。骨が折れたか?右足甲が痛む。とりあえず足の指は動くし、痛みもそれほどではないが、ただでは済まないだろうと思った。骨折経験もないので、痛みからの判断はできなかった。良くて捻挫、最悪複雑骨折。とにかく病院に行かねばなるまい。

そのままタクシーに乗り、まず友人と合流。事情を告げ、病院に付き添ってもらうことに。

訪れたのは、ロックランド病院(Rockland Hospital)。その友人が利用したことがあり、自分も付き添いで行ったことがあった。JNU内のヘルス・センター以外にはここしか知らなかったので、迷わずここを選んだ。

Rockland Hospital
B-33-34, Qutab Institutional Area, New Delhi 110016
http://rocklandhospital.net/

デリー有数の立派な病院。相対的にコストは高いが、その分設備は充実しており、さほど混雑もしていない。

入り口で車椅子に乗せられて、応急室(Emergency)へ。しかし、ここからが長かった。まあ、日本でも病院とはそういうところか。違いは、いちいち先に支払いをする必要があることだ。

(1)応急処置。ただし、症状と名前・年齢を聞き、血圧をチェックしただけ。

(2)登録用紙に名前などを記入し受付へ。登録料(Rs. 50)と診察料(Rs. 300)の支払い。

(3)診察。医師は英語堪能。とりあえずレントゲン検査を受けるよう指示を受ける。

(4)レントゲン検査料の支払い(Rs. 200)。

(5)レントゲン撮影。

(6)診察。骨折。足の甲の骨が、1本は完全に折れ(砕け?)、他2本もヒビが入っている。6週間の患部固定を要するとのこと。レントゲン写真を見るなり、同行の友人が驚きの声を上げていた。自分の澄ました様子からして、これほど重症だとは思っていなかったそうだ。

(7)ギプス処置の資材代金(Rs. 1,184)と処置料(Rs. 500)の支払い。

(8)処置。石膏で固める。

(9)薬(痛み止め)の購入(Rs. 58)。

以上。

(2)から(9)までがすべて同じフロアであったのは幸いだが、付き添いなしではなかなか大変だろう。

診察の医師からは6週間の車椅子生活を言い渡されたが、この街で車椅子生活を送る困難は容易に想像ができた。常時の介助なしでは無理だ。

幸いにして片足は無事なので、松葉杖を使うことにした。だが、病院内の薬局には売っていなかった。受付で聞いたところ、AIIMSの近くで買える、との情報を得た。AIIMSというのは、All India Institute of Medical Sciencesという公立病院のこと。インドNo. 1の病院として非常に有名。2009年1月にマンモーハン・シン首相が心臓バイパス手術を受けたのもこの病院だ。周囲には薬局が乱立している。確かにそこならありそうだ。

待たせておいたタクシーに乗り込み、AIIMS方面へ。薬局が立ち並ぶのは、デリーを南北に貫く所要街道オーロビンド通り(Aurobindo Marg)。友人に購入してきてもらった(Rs. 900)。

近くのマーケット(Green Park)でランチと買い物。さっそく松葉杖を使って歩き出す。初めてのことで、ぎこちない。杖の持ち方は?どうやって階段を昇り降りは?よくわからないが、何となくで実践。しかしさっそく階段でこけた。きっと日本の病院で治療を受けていれば、松葉杖の使い方とかを教えてくれるのだろうけど、今回そういう流れにはならなかった。

ランチと当面の買出しを済ませたあとは、当初の予定をすべてキャンセルし、そのまま寮に帰った。部屋が地上階なので、部屋にたどり着くのは容易だった。地上階でなかったら、大変な苦労だ。

部屋に戻り、まずは履いていたデニムにハサミを入れて切り裂く。捲し上げた状態でギプスを固めてしまったため、破かない限りは脱げなくなっていた。留学生活の思い出がつまったデニムだが、やむを得ない。代わりに室内着のジャージを履く。しかしこれで外出はしたくない(見た目の問題もあるが、何よりも寒い)。ふと、留学1年目に愛用していたデニムを思い出した。留学スタート時は今より10kg以上体重が重かったので、当時のデニムは太い。もしかしたら、と思って試したところ、ギプスを通過させることができた。これなら履ける。

1人になって気付かされたのは、想像を絶する不自由さ。最大の問題は、両腕で松葉杖を使うため、モノを持てないことだ。水を汲んでくるという単純作業すら困難だ。

デリーでは、困難に直面した人がいるとき、周囲の人たちは非常に親切だ。とくにJNU内ではなおさらだ。だからちょっとしたことをお願いして、断られるor無視されるという可能性はほぼゼロだ。この点はおそらく東京より優れている。バリアフリーという観点では東京と比べものにならないほど遅れたこの土地だが、それでも身体的障碍をもった多くの人が生活できているのは、そのような周囲のサポートがあるからだろう。

周囲の助けを得れば、何とかやっていける。周囲の友人たちは、こちらが頼めば間違いなく助けてくれる。だが、自分のメンタリティーとして、助けを差し出すことは構わないが、助けを受けるのは忍びない。

諸事情を勘案して、一旦帰国することにした。微妙な判断だ。一時撤退で体制を立て直す、という意図はない。むしろ、生活面での障害の少ない実家で過ごすことにより、研究に振り向ける時間を確保することが狙いだ。

困難と課題を抱え、留学生活は最後の3ヶ月にさしかかる。まさに正念場だ。追い込まれないと頑張れない性格なので、これでようやく舞台は整った、と前向きに考えておこう。
先日こんなニュースがあった。
アーンドラ・プラデーシュ州の一部地域がテーランガナ州として独立することが決まった。この決定をめぐり、街頭でバスが襲撃されるなど治安が悪化・・・
街頭で市民が暴れて、バスが襲撃された。まあ、何となく分からないでもない。

しばらく前、デリーでもこんなことがあった。
ある地域で停電が頻発し、怒った一部市民がバスを襲撃・・・
ここまでくると、なぜバスなのか、インド事情に詳しい人でないとわからないだろう。なぜ電力会社事務所ではなく、バスなんだ、と。

理由は、日頃からバスが市民の憎悪の対象であるから。公道を我が物顔で暴走し、事故を頻発させているため、バスは嫌われもの。だから、何かあると真っ先に襲撃対象となる。

自分としても、デリー生活の最大の危険は、テロでも、健康被害でも、犯罪被害でもなく、バスだと思っている。それくらい、バスの運転は脅威だ。彼らが警察と癒着していて問題が起きたときにも処罰から逃れる連中がいるということも、市民の怒りを助長させているのだろう。

そういえば、最近デリー市バスの運賃が上がった。Rs. 3, 5, 7, 10だったところが、Rs. 5, 7, 10, 15に(たぶん)。それでも日本に比べれば激安だが、ローカル・バスは貧しい人の乗り物なので、利用者に与えるダメージは大きいだろう。
現在、5紙の新聞を購読している。毎朝、配達のおじさんが新聞をドアの下から滑り込ませる音が目覚まし代わりになってきた。

5紙の新聞と、他にも雑誌を購読している上客だからだろうか、配達のおじさんはいつも自分(だけ?)に笑顔で恭しく挨拶してくれる。仕事は正確かつ迅速で、プロフェッショナルな新聞配達人だった。

数日前に、配達の人が代わった。

その次の日から、3紙しか届かなくなった。

昨日朝、配達の時につかまえて、あと2紙だ、と告げる。が、英語が通じない。というか、新聞の名前と数字しか言ってないのに、なぜ通じない?とりあえずティーケーと言っていたが。。。

今朝も3紙。もう一度、あとHindustan TimesとStatesmanだ、と言うが、どうも通じていない。そこで、前者を略してHTと言ったらわかってくれたようだ。Hindustan Timesが通じない(あんたの商品だろう)となると、これは厳しい・・・。

他の多くの学生からもいろいろと言われていた。各部屋の購読紙を憶えていないからだろう。おそらくは、文字も読めない。だから、前任者からリストを引き継いでいるとしても、それを読めない。この寮にはとても多く部屋があるので(300くらい?)、この混乱が収まるには当分の時間を要しそうだ。

[追記]

翌朝、ちゃんと5紙が届けられた。

「これでどうだ」と言わんばかりの笑顔で手渡してきたが、朝早くからドアをノックするのは勘弁してほしい。

郵便事情メモ。

前回はこれ

今回はEMSで封筒を一往復。

11月26日、東京(のはずれ)の郵便局で差出。
12月1日、受け取りinJNU。

所要5日間。(週末含む)

12月2日午後、JNU内の郵便局に出す。
12月8日、東京(のはずれ)の自宅着。

所要6日間。(週末含む)

無事でなにより。

しかし、順調であっても、往復で2週間弱かかってしまう。今回のように、締切のある提出書類のやりとりはやはり大変だ。各種書類のやりとりをすべてオンラインで処理できるようになればよいのだが、未だに重要書類ほど、直筆のサインやら判やらが必要になるので厄介だ。
昨日は、タミル舞踊を見に行った。

これまで、インドに1年以上いながら、この手の舞踊を見に行ったことはなかった。理由は簡単。興味がないからだ。しかし今回は、インドでも最も有名な舞踊家のひとりがJNU近くで公演を行うというので、知人の誘いに乗ってみた。食わず嫌いは良くないだろう、と考えて。

日本人・ドイツ人・インド人の不思議な6人編成で乗り込んだ。JNUからオート・リクシャーで10分。場所はRK Puram Sector 2という場所にある、Ayyappa Temple。南インド系の寺院。観覧無料。

行ってみると、何とこの日の演目が変更されていた。超有名らしいというその人ではなく、違う人になっていた。タミルの舞踊であることにはかわりないのだが。せっかく行ったので、見てきた。

代役は、かなりレベルの高い人だったらしい。演者は計7人で、レベルの高いシニア2人、優秀な若手1人、拙い若手2人、子供2人。シニア2人の表現力に素晴らしかった。

何となくだが、すごいものだなぁ、という感じはした。

でも、所作の意味がわからない。ストーリーがわからない。歌の意味がわからない(同行のインド人によると、主にサンスクリット語らしい)。

だから、「ああ、こういうものか」という感想の域を出ない。知識不足のために堪能できないことが残念に思えた。

また機会があったら、行ってみてもいいかな。そんな気がする。
日本語入力システムを変えてみた。Windows既定のIMEから、Google日本語入力に。

まだちょっと試しただけだけど、Googleのほうが快適。変換予測が賢い。誤変換が少ない。まだ学習していないにも関わらず。

昔はAtokを使っていて、その後IMEに移行したときは多大なストレスを味わったが、長く使ってIMEにも慣れてしまっていた。

Google日本語入力の唯一の不便は、辞書機能がないこと。IMEでは、同音で紛らわしい語の意味が変換リストに表示されるので、正確な文章を書くことを要求される自分にとっては便利だった。

しかし、その点を考慮しても、Googleのほうがいいかも。
冬支度。といってももうすでに冬。

相対的に寒く感じるのだろうか、デリーの冬はみんなかなり厚着。自分もそう。

今、フランスからJNUに来ている訪問研究者は、信じられないくらい薄着。確かに、ドイツやフランスよりは暖かいでしょうけど。

昨日は、サロージニー・ナガルのマーケットで服の買い出し。

マフラーRs. 50。
セーターRs. 800。(安いものならRs. 100で買える)
靴下Rs. 30×たくさん。
トランクスRs. 225×たくさん。(ローカルなものではないため高い)

それと、観葉植物(Rs. 150)。癒しを求めて。

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今日は、所属センターでパーミッション・レターをまとめて申請。外部の図書館を利用するためのもの。休み中にチェアパーソンが捕まらないと困るから、休みに入る前の今のうちに。

朝10時半に行くと、秘書不在で、居たのはチェアパーソン本人だけ。普段はスタッフ秘書に渡すが、仕方ないのでチェアパーソンに直接サインをもらう。権威主義の発達したインドでは、学生にとってチェアパーソンは恐れ多い存在。なのでちょっと恐縮。

秘書にスタンプをもらう必要があったので、12時にもう一度行くと、秘書の出勤とちょうど同じタイミングだった。チェアパーソンが朝から仕事をしているのだから、秘書もがんばってほしい。
この1週間は非常に辛かった。精神的に。

[23日月曜日]

先週末から月曜までの3日間の国際会議が終わり、夜は在住日本人の集まりに顔を出してから自室に帰った。すると、インターネットが動いていないではないか。とりあえずモデムの電源を切ってみたり、PC側で接続の修復を試みるが、ダメ。悪戦苦闘の末、ふと電話機に目が向いた。もしや、電話回線そのものがダウンしているのではないか。そこで受話器を取ってみると、何の音もしない。これだ。電話回線がそもそもイカレてる。モデムのランプを見ても、確かにそうだ。

翌朝に復旧していることを祈って眠りに着いた。

[24日火曜日]

全体的な障害なら、近いうちに復旧されるだろうと踏んでいた。だが、翌朝になったも一向に復旧しなかった。しかも周囲に聞いたところ、他の部屋ではとくに問題は起きていないという。となると、自力で対応をしなければならない。

初年度に利用していたローカルなプロバイダーとは違い、MTNLは大きな企業であるから、ウェブサイトを見れば連絡先がわかる。しかし、本部に連絡していては対応が遅れてしまうだろう。

近くにオフィスがあるらしく、電話機の取りつけのときはそこから人が来ていた。だが、連絡先がわからない。場所もわからない。そこで、まずは、JNU内の分室を訪ねてみた。そこの人が担当でないのはわかっていたが、とりあえずという意味で。

固定電話が動いていないのだということを伝えると、こちらの住所と電話番号を聞かれたので、答えておいた。そして「ティーケー」(OKの意)の一言。むこうはヒンディー語のみのやりとりで不安がある。これでいいのか?ともかく、こちらの電話番号は確かに伝えたのだからしかるべきところに連絡をしてくれるはずだ。

いつ修理が来てもいいようにこの日はできるだけ自室で過ごしたが、それ以降なんの進展もなかった。

インターネットは夜に大学図書館で利用したが、接続速度が遅くてイライラする。前はもっとましだったような気がするのだが。そういえば、コンピューター室の利用時間が夜8時までではなく夜10時までに延長されていた。学期末の時限措置。これには少し助けられた。

[25日水曜日]

前日トラブルを伝えたので、おそらく今日来るだろうと考え、自室で待っていた(もちろんいろいろ作業をしながら)。

しかし、夕刻になっても何の進展もない。そこで、JNU内の分室を再度訪ねた。違う人物だったので、トラブルの内容を再度伝えると、自分に電話番号を渡してきた。ここに電話しろ、とのこと。

じゃあ一昨日の対応はなんだったのか。もしもこれが一昨日と同じ人物だったら物理的に激しく抗議を行っていたところだが、違う人ならそうもいかない。おとなしく引き下がり、受け取った電話番号にかけた。が、何の反応もない。もう日暮れで営業終了だろうか。

ともかく、手掛かりは得た。

普段は安眠できる体質だが、何となくストレスのためか、眠りにつけない。翻訳の仕事をして夜を過ごした。

[26日木曜日]

朝10時、早速電話。誰かがでた。しかし、どうも違う番号にかけろと言っている(ヒンディー混じりで)。そこで言われた違う番号にかけたところ、ようやくそれらしき部署につながった。トラブルの内容、住所、電話番号を伝える。いつ直しに来るのかと聞いたところ、「今日だ」との返事。これで今日中に何とかなりそうだ。

午前中、進展なし。昼にもう一度かける。違う人だろうか、新たなトラブルを聞くような感じで、もう一度住所や電話番号を聞かれる。

夕刻、今日3度目の電話。こちらが話し出すなり、「Working, working」とだけ言って通話を切られた。

いつまでたっても来ない。もう日暮れだ。もう一度電話をかけると、誰も出ない。もう帰ったようだ。

怒りがつのる。破壊的衝動というのはまさにこういうことを言うのだろう。深呼吸をして、精神を落ち着かせようと試みる。しかし、落ち着かない。眠れないため、夜は遅くまで論文を読んで過ごしていたが、それも身に入らない。

[27日金曜日]

朝から何度もオフィスに電話をする。この日も10時ごろにようやく出た。昨日1日を棒に振ったことなどを激しく抗議する。むこうは行くから待ってろという。10分以内か、20分以内かと食い下がる。「30分以内」との言質を引き出し、とりあえず電話をきる。

電話をするこちらの語気も強まる。自室の通信状況は悪いため、寮の前の広場で通話をしていると、何事かという目で周囲が自分を見つめていた。

10時半。来ない。まあ、30分と言って30分で来るなんて思ってやいない。ここはインドだ。そう言い聞かせる。

11時。来ない。もう一度電話。まだ向かっているらしい感じはない。「すぐに来い」と怒鳴りつける。向こうも「すぐに」と答えて電話を切る。怒りに充ち溢れた話ぶりに、近くにいた警備員が心配してくれた。ヒンディー語なので何を言っているのかわからなかったが。

11時半過ぎ。来ない。電話。「今日行くさ」のようなふざけた答え。さっきの「すぐに」は何だったのだ。何時だ、と問い詰めると、「2時」との答え。ふざけるな、と怒りをぶつけると、「1時」。とにかく時間通りに来いと怒鳴りつける。

1時に人と会う約束をしていたが、2時にしてもらった。一緒にランチを取る予定だったが、相手は朝食を取っていなかったらしく、ランチが遅くなってしまい、迷惑をかけた。

生まれて間もない子猫たちを見つめて心をなだめる。寮の自室の目の前が子育ての場になっているのだ。

1時。来ない。電話。「向かってる」。本当か?

1時30分。来ない。

1時50分。来ない。もういい。2時の約束のために寮を離れた。

4時前、電話がかかってきた。どうやら修理の人が来たらしい。今何時だと思っていやがる、と口に出かかったが、おさえて、1時間で戻るから待ってろと伝える。

5時に部屋に戻る。屋外の回線の問題であったらしく、修理は終わっていた。機能が回復したことを確認。作業に来たオヤジに怒りをぶつけたいところだが、抑える。怒りを呑み込んでしまう性格は精神衛生に良くないんだろうな、なんてことを考える自分もいた。

ともかく、これでインターネットというライフラインが復旧した。週末まで続いていたら、週末はネット環境のあるホテルで過ごす予定でいたが、その出費は未然に防がれた。

一連のトラブルにおける最大の損失は、もちろん、自分の精神衛生状態だ。
ディーワーリー(10月17日)後、涼しくなり始めてデリーもようやく秋の趣となった。

その後しばらくは小康状態。気温が下がらず、11月上旬はむしろ気分的に暖かく感じられた。

しかしここ1週間、急激に冷え込んできた。一気に冬の気配。水シャワーに耐えられなくなりお湯を使うようになった。昼でも薄い上着がほしいくらいの気温になった。こうして部屋でブログを書く今もかなりの厚着。

というわけで、今日は毛布(右)を引っ張りだしてきた。これまでは薄手の綿布団(左)。ちなみに暑い時期は何も掛けない。
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プロフィール
HN:
toshi
性別:
男性
自己紹介:
2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
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