インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
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いよいよホーリーが近づく。
ホーリー・グッズを買い求める人々。
JNU内のショッピング・コンプレックスにて。 ホーリーをインドで迎えるのは3度目になる。最初は3年前。一介の旅行者として。ホーリーのことなんて何も知らず、ホテルからそとに出ようとしたら、スタッフに "If you go out, you will be coloured." と言われ、身構えたものだ(結局無事だったが)。去年はもちろんインドにいた。そして今年。 とにかく論文を早く書かねばならない状況なので、とてもではないがホーリーのバカ騒ぎに付き合っている暇はない。 それにしても、ここ1週間は急激に暑くなった。もうシャワーは水でもイケる。昼間なら。 ホーリーは季節の境目とよく言われるが、今年はまさにそんな感じだ。 PR
昨日、オート・リクシャーに乗った帰り道での出来事。
交差点で、オート・リクシャーが警官に呼び止められ、道端に停車させられた。 運転手は激しく抗議する。客のせてるのに商売の邪魔するな、みたいなことだろう。たぶん。 警官はライセンスの提示を要求。運転免許なのか、オート・リクシャーの営業許可なのかは知らない。 運転手、愚痴りながらもおとなしくライセンスを見せる。 警官は手で「行け」の合図。 オート・リクシャー、発進。 とくに問題もなく、よかった。 しかし運転手の怒りは収まらない。 「あいつら、……チキンなのさ」 ??? 何を言いたいのかさっぱりわからない。 「ライセンスを持ってなかったら、Rs. 500を要求してくるのさ」 へぇー。そうですか。 だとすると、「チキン」は適切な表現ではありませんよ、と言いたかったが、それは心の中にしまっておいた。
ヴァサント・クンジのケンタッキーフライドチキンで昼食。買い物ついでに。
カウンターで注文を言いかけたところで、店員が何かアピール。胸のバッチを指差す。 「オーダーは指で指して」 みたいなことが書いてあった。 要するに、聴覚障がい者なので、メニューを指で指して注文してください。ということだ。 こういった客商売への聴覚障がい者の進出は、自分の知る限り、最近の変化だろう。昨年暮れに訪れたグリーン・パークのコスタ・カフェでも聴覚障がい者を使っていたが、注文を受ける係ではなく、配膳などの担当であった。カウンター業務に聴覚障がい者、というのはここKFCで初めて見た。そもそも日本でも見た記憶はない。 とくに問題もなく注文を済ませた。ヒンディー語で押し通されるより、よほどマシだ。「デザートは後でお持ちしますか」、という細かいところは他の店員がフォローしていたが。 インドでは、四股に障がいを持つ人を見かける頻度は非常に高い。かくいう自分もまだ足を引きずっているわけだが。しかし、視覚障がい者は大学内でくらいしか見かけないし、知能障がいと思しき人を見かけることはまったくない。 インドにおける障がい者の境遇などは全然知らないが、こうして社会進出が進むことはきっといいことなのだろう。
今使ってるプリンタは、CanonのMX 328。(画像はCanon Indiaより)
![]() ![]() ADF(自動原稿送り)機能付き複合機の低価格モデル。日本未発売のはずだ。要するに、海外市場専用低価格モデル。去年、ネルー・プレイスでRs. 7000で買った。安い。 ADFは便利。論文や本のコピーのスキャンの手間が大幅に省ける。もうADFは手放せない。特にインドでは役に立つ。 そこで、帰国時に持ち帰るかどうか、悩んでいた。サイズはかなり大きいので、持ち帰るのは大変。誰かに売って日本で買い直すことも一案だが、知人にモノを売りつけるのには抵抗があるし、また日本で買い直すといっても相当する機種が日本にないから、より高価格の複合機か単品のADFスキャナを買うことになる。 と思い悩みつつ、徐々に持ち帰り路線に傾きつつあったのだが、さらに悩ましいニュースが。 今月、日本でCanonのPixus MX 350が発売される(参照)。おおよそMX 328に相当する機能の新モデル。当然従来日本で売られていたCanonのADF付き複合機より格段に安い。18,000円を切るくらい。今のところMX 328よりちょっとだけ高いが。 日本のデフレもここまで来たか……。などといった大きな問題は、とりあえずどうでもいいとして。 さてどうしようか。
昨日、ようやくとある論文を書き上げて提出した。今回は直前に慌てて書き上げるといういつものパターンとは違い、7割方完成するところまで数日前に到達していたが、最後の詰めに苦しみ、結局締切当日の提出になった。これで完成とはならず、いろいろとまた修正が要求されるのだろうが、とりあえずは一安心だ。
というわけで一山こえた。しかし今週は次の山をこえなければならない。より高い山だ。 試練の日々は続く…。
今日は、生活再建のための諸作業。朝から動く。松葉杖1本をつきながら。
まずは寮の食費の支払いだ。不在時は食費を止めることができるが、手続きが面倒だし、たいした金額ではないのでそのままにしていた。2ヶ月分でRs. 2,700支払い。 つぎは、新聞屋。不在中も代わりの住人が居たので、しっかり料金は発生している。5紙分と雑誌代で、Rs. 500ちょっと。1ヶ月分。もう新聞をたくさん読む時間がないので、1紙に変更した。 さて、次は自転車だ。2ヶ月近く前に骨折したとき以来、放置されている。寮の前でタイミング良くオート・リクシャーを拾う事ができ、JNU正門近くの駐輪場へ。同じく寮の前でオート・リクシャーを待っていた人と分乗。彼も松葉杖。 駐輪場で無事に自転車発見。しかし、がっつりサビている。 乗ってみる。やはりかなり傷んでいる。自分の足の話ではなく、自転車が。なので自転車修理のお兄さんのところに行って自転車を預けた。 ちなみに、骨折部位に負荷のかからないように、右足はかかとでこいでいる。十分イケる。歩くより全然楽。歩いていると、劣化した右ふくらはぎがすぐに疲れてしまう。 つづいて、オート・リクシャーで最寄のマーケット、バサント・ロークへ。 本屋はまだ開いていなかった。もう10時過ぎだが。 なので床屋。日本で行っておけばよかったのだが、何となく行きそびれてしまっていた。カット、髭剃り、シャンプーでRs. 500くらい。これでも高いほう。今日はちょっと手抜きをされた感じがする。 本屋は、まだ開いていないので、薬屋・スーパーで買い物を済ます。 それからようやく本屋。11時半オープンだろうか。馴染みの店主に怪我を心配される。しっかり買い込む。 昼食はスーパー・マルシェのとなりの安い店、Zaikaで。バター・チキンとローティーのセットでRs. 75。リーズナブル。味は大したことないが。ずいぶん待たされたのは、きっと時間が早すぎたからだろう。まだ12時ごろだったので、ランチタイムには早すぎた。 予定ではこのあとほかのマーケットまで足をのばすつもりだったが、荷物の重さが限界水準に達しているので撤退。 オート・リクシャーで自転車修理の店に戻る。 が、まだ作業をしてくれていなかった。5分待て、と言われる。「5分待て=20~30分」の公式を適用し、ベンチに腰をかけて買ってきた本を広げて長期戦の構えをとるが、それほどはかからなかった。たぶん15分くらい。細かくメンテナンスをしてくれた。おかげでかなりマシになった。雨ざらしで錆び付いたのはどうしようもないが、乗れる状態までなった。請求はなんとRs. 120。日本なら安くて驚きだが、ここでは高くて驚いた。自転車修理でこんなにたくさん払ったのは初めてだと思う。パンク修理ならRs. 10のところだし。まあいいが。おそらく油をたくさん差したからなのだろう。 自転車をこいで寮へ戻った。 これで、自転車という能動的に制御できる移動手段を得られた。 これからの生活、何とかなる。そういう実感をつかめた。
エア・インディアAI307便にてインド入り。ちょうど1ヶ月ぶり。
ほぼ予定通りのフライト。日本時間午後12時すぎに出発し、インド時間午後7時前に到着。フライト時間が9時間半オーバーと非常に長いのは風のためとか。 今回は、エコノミークラスの最前列の席だった。前に座席がないので、足が伸ばせてよい。給食が最初に始まるのもよい。ただし、富士山とかカンチェンジュンガとか、見所になると他の席の客が覗き見にくるのはいただけない。 2月、デリーはベストシーズン。暑からず。寒からず。 東京が寒かったので、デリーは暖かく感じられた。 今回の日本滞在は、療養目的。それ以外の用事もこなしたが。 怪我は癒えていないが、そうも言ってはいられない。時間が無いのだ。3月末までの、残り少ない留学生活を再開させる。
ここJNUでは、学期初めの登録手続き(レジストレーション)というものがある。学費や諸経費を納入し、6枚綴りの書類を記入し、指導教授や所属センターの長の署名を集め、その上で学生証の更新などの手続きを行う。そうした一連の手続を自力で行わねばならない。
![]() 今日はそのレジストレーションがようやく完了した。めでたい。そこで、インド産のスパークリングワインであるSula Brut(右)を一人で飲み干しながら、これまでの経緯を記しておこうと思う・・・。 2年弱の留学中、これが最後のレジストレーション。だが、感傷は一切ない。ただただ煩わしいだけだ。 そもそも、今インドにいるのはレジストレーションを行うためだ。12月末に負傷したために帰国したが、とりあえずインドに戻らざるを得なかったのは、このレジストレーションを自力で行うねばならないためだ。昨年は友人のN氏が日本で用事があり、自分が彼のレジストレーションを代行、あるいは延期するために尽力したがかなわなかった経験から、自分でやるしかないと学習していた。そうでなければ、わざわざ松葉杖をついてこのインドに戻る必然性などなかったのだ。 レジストレーション期間は、1月5日までの1週間。そこで1月3日(日)にインドに戻り、翌4日から手続きをスタートさせることにした。昨年の経験からして、あまり早く戻っても仕方がないと考えていた。自分の学費はインド政府機関(ICCR)が大学に振込むのだが、これが遅れがちなため、インド政府の奨学金を受ける学生の手続きは否応なく遅れるのだ。 1月4日(月) 手続きスタート。まずは住んでいる寮の寮費を納める。午前10時過ぎ、寮の会計を訪ね、同じくレジストレーションを開始すべく寮費の支払いに来た学生とともに列をなし、今学期分の寮費を納入した。取るに足らない金額だ。 この寮費を納入したことにより、手続き書類を所属センターで入手可能となる。 寮から松葉杖をついて所属センターへ(松葉杖で行ける距離では無かった。後悔)。寮費の支払いを済ませた領収書を提示し、今学期の手続きの書類一式(フォリオ)を受け取る。 それから、学費の納入を確認すべく、アドミニストレーション・オフィスへ。まずは所属の有無を確認するのだが、その段階でパスポートを要求された。持っていなかったため、オートリクシャーで戻り、パスポートを持って再来。そして要求された書類への記載を行うが、インド政府奨学生である旨を記載すると、係官のおばちゃんから、まだICCRから学費が届いていないので手続きをできないとの無情の通知。ICCRから学費が振込まれるまで、これ以上の手続きはできない。 そのため、この日の午後は他のことに時間を使った。 1月5日(火) 前日は杖をついて行ったが、体力的にもう無理だ。そこで、友人のO氏に迎えにオートリクシャーで来てもらった。 フォリオを完成させるべく、指導教授の研究室を訪れる。アポなしだったが幸い遭遇できた。指導教授の項目にサインをもらうべくフォリオを差し出すと、指導教授欄のみならず、センター長の項目にもサインを埋めている。計12箇所。この学期からセンター長になったようだ。順番からしてそうだろうと予期していたので、驚きはない。これで手間が省けた。しかし指導教授がさらに多忙となってしまうのは、あまり嬉しいことではない。 それから、センターの事務所でフォリオに必要な印をもらう。これでフォリオはほぼ完成だ。あとはICCRだけ。 アドミニストレーション・オフィスに行っていたO氏に聞いてもらったところ、ICCRからの学費の振込はまだ行われていなかった。本来レジストレーションは今日までだが、仕方がない。自分のせいではない。 1月6日(水) この日は、レジストレーション以外に時間を費やす。O氏からの知らせによると、ICCRからの振り込みはまだであった。あとはICCRからの振り込みさえ行われればすぐにでも手続きは完了するのだが・・・。 故障発生以来、自分からそのことを知人たちに知らせることはなかったが、知人たちと遭遇する機会が増えてきた。いろいろと手助けを申し出てくれる。ありがたい。 1月7日(木) 自身の問題で連日アドミニストレーションに通っているO氏に迎えに来てもらい、ランチを共にしてからアドミニストレーション・オフィスを訪れた。すると、同じくICCRの奨学金を受けている日本人学生のT氏と遭遇。なんと、ICCRから学費の小切手を自力で勝ち取ってきていた。しかも、自分の分も持ってきてくれていた。ありがたや・・・。 T氏が持ってきてくれた小切手を持ち、アドミニストレーション・オフィスで手続きを行う。速やかに完了。 松葉杖をつく体力が限界に達していたので、途中で休憩を挟んでから、スクール(研究科)での手続きに移る。こちらも迅速に完了。スクールの事務に2枚、センターの事務に1枚を提出。 あとは完成したフォリオを2箇所に投函すればOK。 まずは学生課(Office of Dean of Students)へ。松葉杖で行くのはなかなかの骨であったが、他に手段はない(オートリクシャーやタクシーを使う場所ではない)ので仕方がない。学生課でフォリオを投函すると、小切手を持ってきてくれたT氏や、他の知人と出くわす。立ち話をしながら体力回復。 最後は自分の住む寮。T氏も同じ寮の利用者(住人とは言えないかも)なので、T氏のバイクに乗せてもらった。寮で管理人にフォリオを提出し、これで手続き完了。 当初は、4日と5日で終わればいいと思っていた。しかしICCRの動きがなく、うまくはいかなかった。場合によっては翌週への持ち越しも起こりうると懸念しはじめていた。そこで事態を展開させてくれたのは、T氏。多謝。彼のおかげで一気に片付いた。
不便だ。自由に動きがとれない。
右足を地に付けないため、松葉杖がないと歩けない。松葉杖で歩くのは想像以上に辛い。 今日はまず寮からスクールやアドミニストレーション・オフィス(管理部)に行く必要があった。普段なら自転車で5分の距離。タクシーを呼ぶには近すぎる。バスは危険すぎる(乗降時の身の安全が確保されない)。オート・リクシャーいればちょうどいいが、寮の前にいることはまれ。なので、歩いて行ってみた。が、この試みをまもなく後悔することになった。きつすぎる。スクールにたどり着いたときには、大粒の汗を滴らせていた。 戻るときはオート・リクシャーがいるので苦労しなかった。 午後は学外に出る必要があったので、まず寮の前に出てオート・リクシャーが居ないことを確認した後、タクシーを呼んだ。半日でRs. 400のパッケージ。 電話して20分ほどで車が来た。行き先を告げる。「サウス・エクステンション」 運転手「サウス・・・エクス・・・テン・・・ション?」 は?知らないの? 聞き取れているようなので、こちらの発音の問題ではないようだが、なぜ通じない?知らないなんてことはありえない有名な地名だ。東京で言えば原宿とか、そのくらいのレベル。(あまり良い例えが浮かばなかった) リングロードで、オーロビンド通りを超えたあたり・・・と経路を説明して、出発してもらう。 途中、運転手から名刺を渡される。確かに自分が電話をした、JNUの目の前にあるタクシー会社の名刺だ。なのになぜサウス・エクステンションを知らないのか。 口頭で指示をして、目的の場所に到着。サウス・エクステンションの携帯電話会社Airtelで手続きをしようとしたが、そこに必要なものがなかったので、店員に住所を紙に書いてもらい、他の店に行くことに。そこで運転手に住所を紙を渡す。GK-IIのMブロック・マーケット。 運転手「グレート・カイラシュ・・・パート・・・2?」 おい。逆に聞きたい。じゃあどこならわかるのか、と。新宿のタクシー運転手が世田谷を知らないようなものだ。 略称のGK-II(じーけーとぅー)、とこちらが言うと、聞き覚えはあったらしい反応を見せた。そしておもむろに携帯電話を取り出し、タクシー会社に電話をかけ、「GK-IIってどこ?」と聞いて道を教わっていた。 GK-IIまでは無事についたが、そのあとMブロック・マーケットを探してしばらく迷い(自分もあまり詳しくないエリア)、何回も道を訪ねてようやくたどり着いた。 その後のJNU近くの地名は流石にわかってもらえた。 かなり経験値の低い運転手だったということになる。しかし非常に低姿勢だったので、むしろ好印象。無論、辿りつけなかったり、大幅に時間をロスしたりということであればこのようにのんきなことは言えなかっただろうが。 |
プロフィール
HN:
toshi
性別:
男性
自己紹介:
2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
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