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インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
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昨夜の出来事。

夕食時、馴染みの北インド料理レストラン、サンデー・マーケット(ヴァサント・プレイス・マーケット)のアルカウサル(Alkauser)へ。ここ1か月で3回目になる。思いのほかすぐにオート・リクシャーをつかまえることができ、しかもいつも行き先の説明に手間取る場所だが、今回は「サンデー・マーケット」の一言で通じたうえ、Rs. 25という適正価格を初めから提示された。午後7時ごろというオート・リクシャーを最も捕まえにくい時間なのだが、うまくいった。

ゆえに、早く着きすぎた。待ち合わせまで時間があったため、マーケットで買い物をして時間をつぶす。バナナ、メロン、ワイン、ラム酒・・・など。酒屋でしばらくワインを悩むついでに、他の客の買い物を見物していた。ローカル・マーケットという場所柄もあってか、高い酒はほとんど出ていない。多いのはビールで、圧倒的にストロング・タイプが売れる。アルコール度数の高いタイプ。自分は嫌い(まずくて飲めない)なので、なぜそれがそんなに売れるか不思議でしかたない。それと、ラム酒のような安くて強い酒も売れている。要するに、できるだけ安く酔える酒が人気なのだろう。つまり、大事なのは、価格とアルコール量の関係。

待ち合わせの7時半にはまだ少し時間があった。しかもインドのディナー・タイムには少し早すぎたため、アルカウサルはまだテーブルが用意されていなかったが、店員に言ってとりあえず椅子とテーブルを用意してもらう。スライス玉ねぎがすぐに供されたので、それをかじりながら待った。

やや遅れて友人が現れた。空港から直に来たのだが、タクシーの運転手に行き先が伝わらずに遠回りをしてきたようだ。空港からは一本道なのだが、その道の説明がうまくいかなかったのかもしれない。デリー南中部では「アウター・リング・ロード」と呼ばれる道路をその道をまっすぐ来ればよいだけ。しかし空港方面まで行くと環状になっておらず、「アウター・リング・ロード」とは呼ばれていないらしい。そのことが混乱を招いたようだ。

それはともかく、食事をはじめてしばらくすると、雨がポツポツと落ちはじめた。屋外の雨除けがないところのテーブルだったので、軒先に避難しようとするが、店員が「すぐに止むから待て」という。まあきっとそうだろうと思い、そのまま食事を続けた。しかし、雷も轟きはじめる。しばらくして、雨足が強くなりはじめたので、たまらずテーブルごと雨の当たらない部分(マーケット内の通路部分)に移動。すると一気に風が強まる。土煙りが舞い、料理を襲う。さらに雨も強まる。嵐。落ち着かない状況だったので、食事は手短に済ませ、会計を済ませる。だが、とても帰れる状況ではなかった。道にでてオート・リクシャーやタクシーを拾うまでにびしょびしょになってしまう。仕方なく、しばらく雨宿り。これほど強い雨は雨季が終わって以来初めてのはずだ。しかも、強い雨が継続する。1時間以上。雨季でもこんなにまとまって降った記憶は少ない。

しばらく雨宿りをしていた。すると、意外なことに、傘をさして歩いている人が少なくない。おそらく半年ぶりくらいの強い雨なのに、なぜ備えがあるのだろうか。マーケットの住人なら、傘が置いてあるのはわかる。しかしそうは見えない人でも、傘をさしている人たちがいる。車に常備してあるのだろうか。それも、傘の種類が多彩。あるおじさんは角の生えたかわいい傘を、ある人はパラソルにしか見えない巨大な傘を、ある人は折り畳みの傘を、ある人はマギーの販促グッズと思われる傘をさす。多彩な傘。傘は非日常の領域に属するものなのでは、というのが友人の仮説だったが、それは考えすぎだろう。

あまり遅くなると今度は車を拾いにくくなる懸念があったので、雨が多少弱まったところで意を決して近くのタクシー・ステーションまで歩く。JNUまでRs. 150というかなり高い値段だったが、やむを得ない。

家に戻ったころには雨はすっかり弱くなっていた。よくある展開だ。
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1月に始まったこのセメスターは、これまでが緩すぎた。ろくにこれまで授業が行われていないコースすらあった。だが、3月中旬のホーリー・ウィークが終わり、各コースともに5月12日のセメスター末から逆算して、あわただしくなり始めた。前セメスターもそうだったので予想はしていたが。昨日は朝10:30に連絡が回り、11:00からの授業が突如組まれた。学生も教員も学内に住むことが基本とされるここならではだ。そのコースはこれまでの2ヶ月半で2回しか授業がなかったのだが、来週からは平日は毎日10時からやるという。実際に毎日行われることはないのだろうが、少なくとも用意はしなければならない。勘弁してほしい。

今週は日本向けの原稿の締め切りもあったので(まだ仕上げてないが)、授業の負担増加と重なり、かなり忙しい週となった。忙しさもセメスター末に向けて加速しそうだ。

今セメスターの最大の収穫は、リサーチ・メソドロジーの授業で社会科学の方法論をじっくり学べたことだろうか。3名の教員が分担して行うこの授業は順調に進み、1人目の科学哲学、2人目のアーカイブ・リサーチが終わり、いよいよ3人目の計量分析セグメントに入る。担当教員は「君たちがついて来れるかどうかは知らないが、フルスイングで行く」と宣言している。学生がついて来れなかったら意味がないだろうに。この教員は前セメスター末に「毎日補講」を実行した人だけに、「フルスイング」が恐ろしい。
正式な名称とか、企画趣旨とかはよくわからない。日本語学科の祭りのようなものがあるから手伝いに来てほしいと、「これでインディア」のアルカカット氏から依頼を受け、馳せ参じた。2週間くらい前にそのような話を聞いており、そのときには承諾してしまっていたので、今さら断るわけにはいかない。

手伝ったのは、やきとらのブース。やきとらとは、デリーで活動している出張専門焼き鳥店。店主も店員も本物の日本人。1串Rs. 30で提供される焼き鳥の屋台を手伝った。200本用意された焼き鳥はすぐに売り切れた。おかげで早く仕事が終わった。めでたしめでたし。

もう1店、隣には豆腐屋が出店していた。こちらの方。味は普通だった。ただし、ここデリーでは普通の豆腐が貴重。

日中いろいろとイヴェントがあったらしく、その後の夜の部の一部を構成していたらしい。その後、日本映画の上映会も行われていた。

集まっていたのは主に日本語学科の関係者。日本料理や映画に興味を抱いている学生や教員は多いので、告知さえしっかりしていればもっと人は集まるのだろう。しかし、他の研究会などもそうであるように、ここJNUではイヴェントの告知がうまく機能していない。関与することになった自分ですら、事前に話は聞いていたものの、このイヴェントが今日だということを夕刻に電話をもらうまで認知していなかったくらいだから。
この宇宙の時間が一方に流れて2度と繰り返されないものだと仮定すると、すべての1日はその日限りの特別な1日であると言える。

そのような厳密な意味ではなくて、日常会話レベルの普通の意味において、今日の天候は特殊だった。

朝から曇り空。この時点で十分珍しい。自転車につもった土埃の様子からすると、もしかすると多少雨も降ったのかもしれない。ほぼ例外なく快晴の日々が続いていたので、曇り空に違和感がある。どことなく憂鬱な感じを受ける。

昼過ぎごろからは晴れた。いつも通りの暑さ。厳しい暑さだが、いつも通りの様子に安心感すら感じてしまう。

金曜午後は2時半から4時までの授業スケジュール。今日は3時半から6時までの授業になった。毎週のことだが。前回は珍しく定時通りの2時半に教員が現れ、こちら学生が面食らったものだ。

それはさておき、授業中、5時頃から外の様子が気になっていた。音。何の音だろうか。雨?そんなはずはない。風が強くなっているようだ。

授業が終わり、学内の寮へ自転車で移動する。曇り空の夕暮れで薄暗い感じ。風がやや強い。今日は一部の寮でホステル・ナイト(寮ごとの祭りのようなもの)があるためか、学生が浮足立っている。

寮でシャワーを浴びる。もう温水は不要。夕刻でも、ためらいなく水シャワー。そういえば、今週に入ってから急に蚊が増えた。シャワー室のドアを開けると、大量の蚊が現れる。3月終わりごろから蚊が急に増えると誰かから聞いたのを思い出す。

7時前、寮からムニールカーの自室へ向けて自転車移動。風が一段と強くなっていた。嵐。花びらが、落ち葉が、そして土煙りが、舞う。路上のパイロンも舞う。土煙りで視界が遮られる。土煙りに車のフロントライトが映し出される。土煙りが、目に、口に、鼻に入る。スモッグとの格闘を強いられた冬はマスクを常時携帯していたが、今日はそんな備えはない。片腕で顔を守ろうとするが、どうしようもない。

日本なら、春の嵐とか言われるものだろう。ここデリーでは、もう春という言葉は似つかわしくない。初夏の嵐、とでも言っておこうか。
明日11日はホーリー。今日10日も祝日。ホーリーついでではなく、ガンディーの誕生日。2日連続の祝日となった。

ホーリー前日にあたる今日からお祭り騒ぎになるのならともかく、そうでないならば、デリー市内の散策でもしようかと思っていた。が、体調不良で朝から動けず。今年初の体調不良。昨晩あるものを食べてから調子がおかしくなったので、原因はたぶんそれ。

何も食べずに安静にしていたところ、夕方には回復。外の様子はおとなしく(外国人の住むアパートの上の階が騒がしかったが)、危険は感じられなかったため、最寄りのマーケットへ。

おなじみのバサント・ローク・マーケット。マーケット入口の警備がやたら厳重。昨年9月のデリーの同時多発テロ以来の厳戒態勢ではなかろうか。人出も少ない。ディスコの前では、マーケットには早くも色粉をかけ合っている若い連中もいたが、仲間内だけで周りを巻き込まずにやっている。それなら全然かまわない。

中華料理のチェーン店、Yo! Chinaで粥でも食べようかと思っていたが、そこはやたら混んでて入れず。何やらキャンペーン中のようだ。「名前にaの文字があるひとには、ラッキーが!」みたいな。

ところで、アメリカの女優マイリー・サイラス(Miley Cyrus)が、目を細くした写真を撮り、それが東洋人に対する侮辱であるとして問題となる事件が最近あった。昨年、あれと同じポーズを見たことがある。このYo! Chinaのポスターでだ。少女が両目を横から手で引っ張っているポーズ。少なくとも自分には、侮蔑的だと思えた。私的な写真ならまだしも、中華系のチェーン店の広告でそれをやってしまう。問題になったかどうかは知らない。たぶんなってないのだろう。

その後、結局いつものスーパー、マルシェで買い物をして帰る。お粥用に米を調達。祝日恒例ドライ・デーで、酒は売っていなかった。酒売り場には「ドライ・デー。ハッピー・ホーリー!」と書いてあったが、ガンディーのことも忘れないでほしい。帰り際、自宅近くの商店で水の配達を頼む。20リットル入りのミネラル・ウォーター(Bisleri)のタンクをいつも使っている。配達料込みでRs. 75。水道水では料理はできないため、欠かせない。あしたのヒキコモリに備えての準備でもある。

夕飯は粥。ココナッツ・ミルクと砂糖・塩を入れて炊き、甘くデザート風に。もちろん見た目はただの白粥。

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今週はホーリーのある週。

ホーリーとは、インドの一大祭日。大変なことになる。らしい。

JNUでも教員や学生の中には故郷に帰ってしまう人もいるため、実質的には開店休業状態に近い1週間になる。らしい。一昨日の金曜日の授業後は、田舎に帰る人たちと「ハッピー・ホーリー!」と言いあって解散する流れ。すでに、自分の週6コマの授業のうち5コマが行われないことが判明している。今週の授業は、明日(8日)の1コマだけの予定。ただし、その他に研究会2つ。

この1週間が終われば、JNUでは残り2ヶ月、冬セメスターの終わりまでせわしない日々が続く。らしい。

また、気候も、一気に夏へ向かう。らしい。この最近の気温上昇の激しさは、かなりのもの。冬は温水シャワーを使い続けてきたが、昨日からは水のシャワーに切り替えた。水といっても、建物の屋上のタンクに一度蓄えられたぬるい水で、冷たくはない。

今セメスター中最後のまとまった休日となるこの週をどうすごすかについては、いろいろと考えてきた。まとまった日数の旅行や、立て続けの小旅行も検討したが、結局控え目な動きになりそう。週末に小旅行、それだけ。それ以外はヒキコモリ気味に過ごして、体力と学力を養う。つもり。

今住んでいるムニールカーがどういう状態になるかが少し心配。早くもホーリーに向けて浮足立った雰囲気がある。ホーリー用の水鉄砲が盛んに売られているし、フライングして色粉を投げつけ合っている子供も。

一緒になってバカ騒ぎに加わるか、やり過ごすか、それが問題だ。
時刻は午後11時50分。室温、24.5℃。

もう夜もそれほど冷えない。ディナーに「たむら」で天ぷら(Rs. 680)を食べたあとの帰りのオート・リクシャーも、半袖で大丈夫だった。天ぷらでちょっと胃もたれ。

部屋で毛布にくるまってふるえながらPCに向かっていたのは、わずか2か月前のこと。

夏に向けて加速中。
午後2時からの授業(今日はリサーチ・メソドロジーの中間試験)に向かうべく、JNU構内を歩く。暑い。もう限界。ちょっと疲れていたせいかもしれないが、日中の暑さはかなり厳しく感じる。長時間は耐えられない。

2年前、初めてインドに来たのもこのころ。あのときも、すでにこのくらい暑かった。ついつい、当時に思いを馳せる。インドに来てからの半年はあっという間だが、2年前というと、だいぶ昔のように思える。当時のインド滞在、慣れない土地で、体調を崩し、いろいろと苦労したことはよく覚えているが。

ところで昨日(2日)、インドの下院選挙日程が発表された。4月16日から、5月13日まで。5回に分けて実施される。自分のような素人目には、何で1日でできないのだろうかと不思議に思えるが、もちろんそれなりの理由があってのことだろう。

5月中旬まで大学の授業があるため、選挙期間中はインドに居られることになりそうだ。学期末の時期に相当するので、じっくり観察することはできないだろうけど。

選挙の開始まであと1か月半。ということは、5月中旬の帰国予定まであと2カ月半。やっと帰れるという気持ちが全くないとは言わないが、焦りのほうがはるかに強い。それまでにやらねばならないことは山ほどある。
(タイトルだけ見て誤解されると困るので予め言っておくと、自分が被害にあったという話ではない)

インドの旅行ガイドを開けば、そこにはさまざまな事件の被害体験談が盛りだくさん。初めてインドを訪れたときは(・・・そういえば、ちょうど2年前の今頃だった)、そのような事件やトラブルに遭遇することへの恐怖心でいっぱいだった。

時は流れて、実際にデリーに暮らして7ヶ月目に入る今、その警戒心はどうしても緩くなっているところがある。知識や経験を増し、リスクを避けるスキルが向上しているという側面もなくはないだろうが、それよりもやはり、これまで幸いにして自分が被害に遭っていないということが、警戒心を下げる単純な理由である。

ガイドブックで事件の話を読んでも、無関係な他人事としか思えないようになっていた。そう感じる理由としては、経験値の低い旅行者と自分は違う、という自惚れもあるのだろう。

だが、身近な人のトラブルの話を聞けば、さすがに印象は違う。最近、自分よりも明らかに経験値の高い2人のトラブルを聞いた。そのことは、弛んだ防犯意識に再活性化をもたらしてくれた。

先のカルナータカおよびケーララへの旅行の直前に、JNUの先輩であるアルカカット氏の「これでインディア」でスリ被害体験談を読んだ。このことは、旅行に向けて、留守中の自室の侵入犯対策と、旅行中のスリなどのトラブル予防策を再検討するきっかけとなった。

また、金曜日にはインド人のクラスメイトから、かなり深刻なトラブルの話を聞いた。これが今回の記事のタイトルにした、睡眠薬強盗の事例である。

彼は、1月中旬の祝日を利用して帰省し、デリーに戻る電車内で睡眠薬強盗に遭った。意識を失い、ラップトップを含めて身ぐるみ剥された。薬の作用が強く、今でもなお後遺症がある様子だった。そのせいで、約3週間もの間、授業を休むことになり、ようやく木曜日にデリーに戻れたとのことであった。

睡眠薬強盗については、話としては聞いたことがある。しかし、自分の身近な人、それも屈強な地元の人間がそのような事件の被害に遭っているという話はかなり衝撃的であった。現在の姿はかなり痛々しいのだが、少なくとも事件以前の彼の姿は、用心棒でも務まりそうな体躯であり、また性格的にも決して不注意なタイプではない。そんな彼が、そうした事件の被害者になり、甚大な損害を被ったことにショックを受けた。

このような被害に遭わないようにするためには、行動の計画段階と実行段階での警戒が可能である。旅行を例に取ると、行き先やルート、移動手段の決定という計画段階での警戒と、現場での警戒に分けて考えることができよう。現場でできる警戒は限られている。要するに、気をつけるしかない。自分の場合は、注意力に欠ける人間なので、現場での警戒には自信がない。そのため、計画段階でリスクを下げることが特に必要だと考えている。日本国内では航空機の利用を嫌っていたのにもかかわらず(東京=博多間新幹線移動が最たる例)、インド国内での移動に航空機を好んで使っている理由の1つには、(もちろん最大の理由は時間節約だが)バスや鉄道での移動よりも犯罪リスクが低いと考えていることもある。しかし、リスクをゼロにすることはもちろん不可能であるし、また金銭コストという代償も伴う。

誰だってトラブルには遭いたくない。しかし、トラブルを避けるがために、行動を抑制してしまうのももったいない話だ。今回のような機会に自分の防犯体制を見直し、できるだけリスクを下げるように努めながら、しかし行動的であり続けたいと思う。
昨日深夜、南インドの旅から戻った。

明けて今日(10日)は、学生組織による全学ストライキ。旅の後片付けや休養ができるという点では幸いだが、このことが事前にわかっていればもう1日ケーララに滞在できたのに、という残念さもある。

そんな今日、個人的に、ちょっとした事件があった。


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プロフィール
HN:
toshi
性別:
男性
自己紹介:
2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
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