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インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
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正式な名称とか、企画趣旨とかはよくわからない。日本語学科の祭りのようなものがあるから手伝いに来てほしいと、「これでインディア」のアルカカット氏から依頼を受け、馳せ参じた。2週間くらい前にそのような話を聞いており、そのときには承諾してしまっていたので、今さら断るわけにはいかない。

手伝ったのは、やきとらのブース。やきとらとは、デリーで活動している出張専門焼き鳥店。店主も店員も本物の日本人。1串Rs. 30で提供される焼き鳥の屋台を手伝った。200本用意された焼き鳥はすぐに売り切れた。おかげで早く仕事が終わった。めでたしめでたし。

もう1店、隣には豆腐屋が出店していた。こちらの方。味は普通だった。ただし、ここデリーでは普通の豆腐が貴重。

日中いろいろとイヴェントがあったらしく、その後の夜の部の一部を構成していたらしい。その後、日本映画の上映会も行われていた。

集まっていたのは主に日本語学科の関係者。日本料理や映画に興味を抱いている学生や教員は多いので、告知さえしっかりしていればもっと人は集まるのだろう。しかし、他の研究会などもそうであるように、ここJNUではイヴェントの告知がうまく機能していない。関与することになった自分ですら、事前に話は聞いていたものの、このイヴェントが今日だということを夕刻に電話をもらうまで認知していなかったくらいだから。
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3月15日(日)

遅めに起きて、チェックアウトを済ませる。今日もO氏と合流。朝食はガンパティに程近いドルフィン・レストランへ。ここはホテルの屋上にあるのだが、見たところここのホテルはきれいで好感が持てる。オムレツやパンなどセットの朝食を注文。ちなみに、隣の席の客が、昨夜のヴァルナの客と同じ人だった。偶然というよりは、同じようなところを回っているから起こるべくして起きる出来事と解釈すべきなのだろう。

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ドルフィンからの景色。鳥とガンガーとジャンタル・マンタルみたいなもの

昨日不発に終わったマニカルニカー・ガートへ。おじさんが寄ってきて勝手にガイドを始める。後で金をせびられるのでこういうのは相手にしないのが通例なのだが、しっかり説明してくれていたので、このおじさんのガイドに委ねることにした。死体が運びこまれ、ガンガーの水に浸されてから、積まれた薪の上で焼かれる。3時間かかるらしい。火葬場を見下ろせる建物に案内され、そこで僧侶らしき人が祈りを奉げてくれる。その僧侶からは薪代が払えない貧しい人のために寄付を求められ、さらに案内してくれたおじさんからはガイド料を求められる。それぞれにわずかな金額を渡す(Rs. 100, Rs. 50)。不満そうだったが、大した抗議はなく、気が付いたら彼らは姿を消していた。ちゃんとガイドをしてくれたので、こちらとしては相応の金額を払ったつもり。ただし、薪がどこから運ばれてくるのかを尋ねるO氏の質問は、残念ながら回答を得られずじまいだったが。

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その後もしばらくその建物から眺めていると、また違う人が現れて、勝手に説明を始める。金を払うつもりはまったくなかったが、無視しつつも話を聞いていた。最初は写真を撮るな、と言っていたが、なぜか途中から写真を撮れ、に変わった。おそらく、写真を撮らせてから金を請求するつもりなのだろう。薪代についてもいろいろ言っていたが、最初のおじさんとは全く違う金額だった。もちろん金は渡していない。

この場所でいろいろと考えされられたとか、そのような話をよく聞く。だが、残念ながら、自分にはそのようなことは起こらなかった。多くの人が強い印象を受けるのは、おそらくは、日ごろ忘れている死という現実を突きつけられるからなのだろう。

旧市街の迷路を抜けて、オート・リクシャーでサールナート(Sarnath)の遺跡を目指す。途中、ショッピング・モールにマクドナルドが入っているのを見つけてO氏が喜んでいた。ヴァーラーナスィー生活に1つの安らぎの場を見つけたようだ。

サールナートは、後で知ったが、『歩き方』によると、ガウタマ・シッダールタが最初に説法をしたところらしい。6世紀に造られたというダメーク・ストゥーパ(Dhamekh Stupa)がメイン(ストゥーパ=仏塔)。アショーカ王(紀元前3世紀)の建てた柱の遺跡もある。周辺には様々な寺があり、日本や中国、タイの寺院や、ジャイナ教の寺もある。しかし、信仰の場として訪れている人よりも、自分のように観光で訪れている様子の人が多かったようだ。時間の都合で、考古学博物館はパス。

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併設のディア・パークのチケット売り場。
インド人Rs. 3、アジア系外国人Rs. 10、他の外国人Rs. 20。
こんな料金区分は初めて見た。

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ストゥーパ

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アップで

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4ヶ国語で書かれた石碑(ヒンディー、英語、南部の丸文字、日本語)

オート・リクシャーでヴァーラーナスィー市街へ戻る。アメリカ系のホテル、ラディソン(Radisson)へ。2階のレストランへ入る。ランチのメニューは2種類のみ。コースが決まっていて、ベジかノンベジかを選べるだけ。2人ともノンベジ(Rs. 499)をチョイス。ドリンクは別で、ビールを注文。ドメスティック(インド国内産)のビールを注文すると、カールスバーグ(Carlsberg)の缶を薦められる。カールスバーグがドメスティック?インドで生産を始めたのだろうか。飲んでみたところ、たしかに良かった。

料理は基本的に北インド料理なのだが、アメリカ系ホテルらしい創意を感じた。4種類のソースが机上に用意され(醤油系、ピーナッツ系など)、薄手のローティーに玉ねぎと肉をのせて、ソースをつけて食べるように促される。そのように、ちょっとした捻りのある北インド料理。手ごろな値段で味が良く、デザートまでついて、非常に満足度の高いランチとなった。

ランチを終え、帰路に着く。ホテルの前でオート・リクシャーを拾おうとすると、リクシャーの中に座っていたおじさんが出てきた。

自「空港へ」
お「Rs. 400」
自「タクシー価格じゃん」
お「タクシーだから」

「え?」と思っていると、おじさんが別のタクシーを指さす。オート・リクシャーの運転手ではなかったらしい。しかも、値下げを求めたわけでもないのに、Rs. 300でいいと言う。安すぎると思って少し不安もあったが、乗ることにした。ここでヴァーラーナスィーに残るO氏と別れ、タクシーで空港へ。タクシーは安全運転でまっすぐ空港へ。不安は杞憂であった。おそらくは、空港で他の客を拾う予定がちょうど入っていたので、空車で空港に向かうよりは、安くてもいいから客を乗せたかったのだろう。空港に着くなり、運転手は出迎えの準備を始めていた。

狭く小汚い空港ターミナルでしばらく待つ。願わくは、この空港はもう二度と使いたくない。セキュリティ・チェックが長蛇の列となっており、しかもそこを抜けた後の待合室は席がいっぱいで座ることもできず、さらに待合室には売店もないというひどいところだった。あの待合室の状況は、だれか倒れてもおかしくない。

行きと同じスパイスジェットでデリーに帰る。帰りはRs. 3,800ほどで、他社と同じくらいの価格。日曜夕方のデリー行きということもあってか、席はほとんど埋まっていた。機内食がないのは行きと同じ。この価格でこのサーヴィスだと不満。1時間ほど遅れて、デリー着。

デリー国内線空港の新ターミナルに着。まだフル開業していない新しいターミナルにもかかわらず、早くもトイレの汚れが気になる。困ったものだ。空港内のイージーキャブス(Easycabs)のブースでプリペイド・タクシーを手配。バンガロールでの経験で、公営のプリペイド・タクシー・ブースよりも、民間大手のタクシーが良いことを学習しており、それを踏まえてのチョイス。JNUまでRs. 245。少し高めだが、きれいな車で快適な移動となった。

これにて2泊3日のヴァーラーナスィー旅行終了。1度は行ってみたいと思っていたその願望を果たすことができた。O氏の手助けもあり、要所をじっくり回りきることができた。その意味ではとても満足している。トラブルもなく、まともな食事にありつくこともできた。ホテルも悪くなかった。だが、正直なところ、もう一度行きたいとは思わない。インド国内旅行でそのような印象を抱いたのは初めてだ。街を歩けば悪臭が鼻をつき、リクシャーの運転手がまとわりつき、路地に入れば薬物の売人が頻繁に(そして気軽に)声をかけてくる。そのようなディープな世界を愛するならヴァーラーナスィーもいいところかもしれないが、自分は好きになれそうもない。ガンガーの神聖さを求めて訪れる人もいるのだろうが、それならヴァーラーナスィーである必要はなく、上流にもっとまともな別の都市がある。なんで日本人が好んでこの街を訪れるのかは、疑問として解消されずに残った。
3月14日(土)

6時過ぎの日の出をガンガーで堪能すべく、早起き。5時半ごろ部屋を出ると、外はまだ暗いし、ホテルのスタッフも誰も起きてない。O氏と合流後、ホテルに戻ってスタッフを起こし、ボートを手配してもらう。1時間でRs. 40。6時頃、薄明かりのなか、ボートはガンガーへ漕ぎだす。

ボートの漕ぎ手は12歳くらいの少年。最初、それよりも若い少女が同乗してきて、ガンガーに流す灯篭を売りにきた。家族の数だけ買えとか、1つRs. 50だとか漕ぎ手の少年が言ってくるが、1つもらい、Rs. 20だけ渡して帰らせる。本当はこの少女が昨日は1つRs. 10でこれを売っていたことを知っているが、少しは儲けさせてあげようとの思いが働いた。

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日の出ごろのガンガー

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月とガートと灯篭売りの少女

ガンガーの日の出を見ようと思ったが、残念ながら曇り空。1時間のツアーが終わるころ、ようやく太陽が顔をのぞかせた。

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沐浴する人々

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ガンガーの日の出とペットボトル
 
この漕ぎ手の少年はやる気がないのか下手なのか、とにかく遅い。どんどん抜かされていく。解説も無理。流れてくる死体(の一部)を指さして「死体」と言うくらい。確かに言われないとわからないが。

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漕ぎ手の少年

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DVD水上移動販売

有名なガンガーのボート体験を終えたが、正直なところ、特別に感じるところはなかった。

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ガートから撮った1枚

ガンパティの屋上のレストランでO氏とともに朝食。ここからの景色はよい。パンケーキ、オムレツ、コーヒー。コーヒーはとてもまずい。おそらくは安いインスタント。パンケーキも味がなかった。

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ガンパティ屋上レストランから

徒歩でマニカルニカー・ガート(Manikarnika Ghat)の火葬場へ。屋外で死体が焼かれる様子に多くの日本人観光客が衝撃を受け、さまざまな思いを抱く場所として有名。訪れると、死体は運びこまれていたが、肝心の火葬はまだ行われていなかった。まだ朝8時ころで、早すぎたのだろうか。見物人の数も少ない。日本人観光客が他に2人いたくらい。しかたなく、次へ。

ヴィシュワナート寺院方面へ、旧市街の路地を行く。迷子。O氏はこのすぐ近くの語学学校(バーシャ・バラティBhasha Bharati)にて住みこみでレッスンを受けているので道がわかると思っていたのだが、ダメだった。しかも、迷った挙句に出た場所が、その語学学校。期せずしてそこにたどり着いたとき、O氏はさすがに少しショックを受けていたようだった。

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語学学校入口
 
せっかくなので、その語学学校を案内してもらう。「学校」といえるほどの施設ではなく、路地裏の少し大きめの家で、教室も開いているといった程度の規模。O氏が宛がわれている部屋も見せてもらったところ、なかなかきれいで広さも十分。JNUの寮よりはよほどいい。

現在地も把握できたことで、あらためてヴィシュワナート寺院方面へ。しかし、この日は大統領が来るということで交通管制が布かれ、厳重な警備状況となっていた。もちろん中へも入れず。

封鎖された一角を迂回して旧市街中心地に出て、サイクル・リクシャーを拾う。次の目的地、バナーラス・ヒンドゥー大学(Banaras Hindu University)へ。インドに来る前から何度も聞いたことのある有名な大学だ。今回のヴァーナーラスィー観光の目玉の1つ。

サイクル・リクシャーのままで大学構内へと入る。市街の喧騒とはうって変わって、落ち着いた雰囲気。扇形に区画され整然とした構内を進む。構造物はJNUよりもきれいな気がする。

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バナーラス・ヒンドゥー大入口

まずは学内にあるヴィシュワナート寺院へ。旧市街の同名寺院とは別もの。靴を脱がねばならず、靴置場でRs. 5とられた。「ごるぴー」と言われて、はじめは何を言われているのかわからず、日本語で5と言っているのだと気付くまで時間がかかった。外国人価格なのだろう。訪れた人々が真剣に祈りを奉げている姿が印象的だった。

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大学内の寺院

寺院の前に小さな商店が軒を連ねていたので、そこの飲食店で休憩。コーヒー・シェイクRs. 20。並びの本屋に寄ってから、この大学の図書館へ。部外者でも書類をその場で書けば簡単に入れる。中を一回り見学。歴史を感じさせる重厚な建築。所蔵資料も検索したが、自分にとってめぼしい資料はなさそうだった。

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BHU図書館

同じく構内にある美術館はこの日は休館日だったため、入れず。寺院の前でラッシーを飲んで一息つき、次の目的地をめざす。ガンガーの対岸にある、ラームナガル城(Ramnagar Fort)へ、オート・リクシャーでRs. 50(大学を出てから拾った)。

この間の道がひどい。ヴァーラーナスィーの道路の路面状況は概して酷かったが、このときの移動が最悪だった。ガンガーは浮き橋を渡ったのだが、ここがまたひどい。オート・リクシャーがかろうじてすれ違えるくらいの狭い橋。激しい揺れになんとか耐えて、ラームナガル城に到着。

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浮き橋

この城に、わざわざ河を渡って訪れる価値はない。中の博物館(Rs. 15)も、城自体も。『歩き方』は博物館を「見ごたえあり」としているが、まったく同意しかねる。しいて言えば、城から見るガンガーは悪くない。

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ラームナガル城入口

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博物館

城の見物を終えたころにはすでにランチタイム。市街に戻って昼食をとりたいが、早朝からの活動で疲弊しており、再びオート・リクシャーに揺られて橋を渡り、酷い道を通って戻るのは何としても避けたかった。そこで、あるのかどうかもわからなかったが、ボートで戻ることを提案。乗り気でないO氏をなんとか説き伏せ、岸へ。すると、観光客を相手にしているガートのボート漕ぎとはまた違う、漁を生業としていると思われる人々がいた。交渉の末、Rs. 150で対岸のガートまで送ってもらうことに。朝のボートに比べてずいぶんと高い。しかし、ガンガーの涼しげな風を受け、悠然と景色を眺めながらのこの移動は悪くなかった。朝のボートの少年とは違う歴戦のおじさんが漕ぐにもかかわらずそれなりに時間もかかったし、Rs. 150というのもそんなに悪い値段では無いように思えた。

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ボートを待つ1

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ボートを待つ2

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ガンガー、ボートを漕ぐおじさん、水牛の群れ

アッシー・ガートというところで上陸。そこからは徒歩で、また日本食レストランをめざす。途中また迷子になり、さらに日本語を操る少年にだまされそうになりながらも、なんとかたどりつく。

『歩き方』にも紹介されているしゃん亭。豚汁そばを注文。豚汁に麺とじゃがいもが入ったメニュー。おいしくない。麺に至っては、何の麺なのかすらわからなかった。風味がなく、蕎麦なのか、うどんなのか、はたまた別の何かなのか、わからない。値段は安い(Rs. 100未満のメニューばかり)が、味もそれ相応。O氏が注文していたかつ丼も、彼の様子からするに、あまり良くなかったようだ。

ここは店員が日本人。日本語で接客され、とまどう自分とO氏(とくに後者)。考えてみれば、日本人が店員として接客してくれる店なんて、インドに来てから初めてだ(オーナーが日本人とか、シェフが日本人ならある)。会計を頼むのは日本語でなんて言えばいいか、などということを真面目にO氏と議論してしまった。

併設のインターネット・コーナーを利用してから、旧市街中心地方面へ戻る。O氏と別れ、ホテルへ戻る。シャワーを浴び、身を泡で包んで洗っている最中に、何と水が止まってしまった。困った状況。バスタオルを巻いて部屋から顔を出し、ホテルのスタッフに告げる。すると、すぐにポンプでくみ上げるから5分だけ待って、との対応。実際に5分くらいで復旧した。

しばらく休憩したのち、再びO氏を合流し、夕食へ。ヴァーラーナスィーで一番おいしいものを食べようということで、高級ホテルであるタージ・ガンジスをめざす。だが、オート・リクシャーが連れてきたホテルは名前が違う。ザ・ゲートウェイ・ホテル(The Gateway Hotel)。確かにタージ・グループのホテルだ。名前が変わったのだろうか。

そこのレストラン、ヴァルナ(Varuna)へ。ビールから初めて、スープ、グレービー(汁モノ)2品、ナーン、デザート、締めのコーヒーまで、単品をコース仕立てに注文していった。チキンを使ったグレービーが特によかった。インド料理というよりも、イタリアンのような味わい。全体的にスパイスが控え目なのは、こういう外国人向けのところの共通する特徴。コーヒーは強烈な酸味と苦み。ただし香りは弱い。これはインドの豆の特徴なのだろうか、こういう傾向がある。

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皿上左がそのチキンのグレービー

デリーの高級レストランでこの注文をしたら大変な値段になるが、ここでは1人Rs. 1,000弱で済んだ(税込、サーヴィス料は含まず)。ヴァーラーナスィーは物価が安い。

格調ある高級ホテルから、川岸の安ホテルへと戻る。2日目はこれにて終了。
3月13日(金)

正午、自宅発。空港へ行く前に、ヴァサント・クンジにあるビッグ・バザールというスーパーで着替え用の下着を購入。洗濯物を預かったドービーがホーリー休暇から戻ってきておらず、手持ちの下着が底をついていたため。

ビッグ・バザールからオート・リクシャーで空港へ。Rs. 100。Rs. 120と言われたのをRs. 100に値切ってしまったが、あとで思うとRs. 120くらいで適切だった。値切りすぎを反省。

空港着。前回(南インド遠征)同様、古い国内線ターミナル(1B)。前回も利用した軽食店が模様替えしていた。Mc Indianから、BUNO and KAFFAへ。コーヒーに重点が置かれたようだが、軽食メニューは変わってないと思われる。じゃがいものバーガーとコーヒーを注文。味は前回のムンバイー・マサーラーの方が上。

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新しくなったカフェ、変わらないバーガー
 
今回のフライトは往復共にスパイス・ジェット(spicejet)を利用。帰りはRs. 3,800くらい(諸経費込み)で同じくらいだったが、なぜか行きが異常に安かった。Rs. 1,800(諸経費込み)ほど。安さにつられて、初めてのスパイス・ジェット利用。
 
カフェの前にチェック・インは済ませた。早かったためか、カウンターはガラガラだった。カフェで一息ついた後、しばらく待つ。午後2時半発の便で、時刻は2時近くになっていたが、なかなかセキュリティ・チェック開始の案内が出ない。痺れを切らせてセキュリティ・チェックに行くと、すでにこの便の乗客はセキュリティ・チェックに進んでいた。案内表示が遅れていたようだ。

順調に搭乗も済み、予定の15分遅れで出発。機内はほぼ9割の入り。この時期のヴァーラーナスィー行きということで日本人観光客が多いと予想していたが、さほどではなかった。見たところ、3~4人だろうか。格安便のため、機内食はなし。ジュースをRs. 50で購入。サンドイッチはRs. 100で販売されていた。短時間のフライトなので、機内食はなくていい。その分安ければ。

スパイスジェット機内の様子

フライトは予定通り、1時間ほど。出発の遅れに応じて15分遅れで到着。ヴァーラーナスィー空港。小汚い空港。ターミナルの隣に建設中の建物があったが、新ターミナルだろうか。到着ロビーから外に出て、手配しておいたホテルのタクシー・ドライバーを発見。他にも客がいるらしく、車に案内されたあと「5分待て」と言われる。インド人の「5分待て」は20分を意味するというのがこれまでの経験に基づく定石であったが、ここでは本当に5分だった。きれいな車で、エアコンを必要以上に効かせて、市内を目指す。途中、市街地の路地を進む。辛うじて車が通り抜けられるような路地で、人と牛を押しのけながらドンドン進む。ホテルのあるヴァーラーナスィー市街中心部は車が入れないため、少し手前で下車。ホテルのポーター(という語は適さないが)が迎えに来ていた。そこからは徒歩。延べ1時間ほどの移動であった。

市街の混沌とした様子、そして街を満たす異臭には、初めてインドを訪れたときを想起せざるをえなかった。初めてインドを訪れ、いきなりパハール・ガンジに連れてこられた時の衝撃。その経験が久々に蘇った。さらに強烈なスケールで。

ホテルはガンパティ・ゲスト・ハウス(Ganpati Guest House)。旧市街の中心、ガンガーのほとりに位置する。客は見たところ外国人観光客のみ。ゲストブックを見ると、日本人観光客も同じ日に泊まっていたようだ(遭遇なし)。スタッフはとても親切で、外国人観光客受けするのがよくわかる。建物や部屋それ自体はボロいが、きれいに掃除されている。利用したのはRs. 800の部屋。テレビ、エアコン付きのダブル。この界隈ではかなり高いほう。部屋の清潔さ、立地の良さなどを考えると妥当な値段と思えた。

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ガンパティ・ゲスト・ハウス中庭

チェック・イン時に宿泊代とタクシー代(Rs. 600)をすべて支払ってしまったため、手持ちのお金がほとんど尽きてしまった。そこで、ホテルのレセプションで場所を聞き、銀行のATMへ。地図を書いて丁寧に説明してくれた。ガンガーのほとりを歩き、ガート(堤)を上り、旧市街ど真ん中でお金を下ろす。その後ホテルに戻り、シャワー。温水はほとんど出なかった。冷水も勢いが弱い。

O氏と合流して夕食へ。ガンガー沿いのガートで待ち合わせ。その時は、ちょうど名物のプージャーと呼ばれる礼拝が行われていた。祈りを捧げる火のパフォーマンスといったところか。

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プージャー
 
当然地元の料理を案内してくれると思いきや、O氏のチョイスは日本食のイーバ・カフェ(I:ba Cafe)。まあそれも悪くない。徒歩で30分くらいかかっただろうか。結構遠かった。途中、声をかけてくるサイクル・リクシャーはとんでもない値段で吹っかけてくる連中が多かった。

イーバ・カフェ。オーナーは日本人らしい(『歩き方』)。ということは、「イーバ」とは「飯場」のような日本人名から来ているのだろうか。確認しなかったが。とてもきれいな店で、インド、それもヴァーナーラスィーにいるとは思えない感じ。日本語メニューも用意されている。注文したのはマトン肉の丼(たしかRs. 120くらいだったはず)。牛丼で、牛肉の代わりにマトンを使ったような料理。肉はやわらかく、味付けも程よく、とてもおいしかった。値段も手ごろ。味噌汁や抹茶シェークもよかった。南インドの豆を使ったコーヒーというものを試したが、これはいまいち。香りがない。

この手の安い日本料理屋は、北デリーにはあるらしいが、南デリーにはない(少なくとも知ってる限りでは)。近くにこの手の店があればいいと思った。

ホテルに戻り、翌朝に備えて早々と就寝。テレビでは日本アニメ入っていた(もちろん翻訳)。ドラえもんのつぎは、こち亀だった。これらアニメを見て育ったインドの子供たちが、日本語や日本のことに興味をもってくれたらいいな、と思う。

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夜のガンガー
2009年3月13日から15日にかけて行ったヴァーラーナスィー旅行。ホーリー・ウィークで金曜日の授業がなかったことを利用して、3日間の日程を確保した。ヴァーラーナスィーに魅力はとくに感じていなかったが、JNUの友人のO氏が所用で長期滞在している機会に、一度は訪ねておくことにした。

3月13日(金)
デリーからヴァーラーナスィーへ


3月14日(土)
市内観光(ガンガー、BHUほか)


3月15日(日)
ヴァーラーナスィー・サールナート観光、デリーへ帰る


この宇宙の時間が一方に流れて2度と繰り返されないものだと仮定すると、すべての1日はその日限りの特別な1日であると言える。

そのような厳密な意味ではなくて、日常会話レベルの普通の意味において、今日の天候は特殊だった。

朝から曇り空。この時点で十分珍しい。自転車につもった土埃の様子からすると、もしかすると多少雨も降ったのかもしれない。ほぼ例外なく快晴の日々が続いていたので、曇り空に違和感がある。どことなく憂鬱な感じを受ける。

昼過ぎごろからは晴れた。いつも通りの暑さ。厳しい暑さだが、いつも通りの様子に安心感すら感じてしまう。

金曜午後は2時半から4時までの授業スケジュール。今日は3時半から6時までの授業になった。毎週のことだが。前回は珍しく定時通りの2時半に教員が現れ、こちら学生が面食らったものだ。

それはさておき、授業中、5時頃から外の様子が気になっていた。音。何の音だろうか。雨?そんなはずはない。風が強くなっているようだ。

授業が終わり、学内の寮へ自転車で移動する。曇り空の夕暮れで薄暗い感じ。風がやや強い。今日は一部の寮でホステル・ナイト(寮ごとの祭りのようなもの)があるためか、学生が浮足立っている。

寮でシャワーを浴びる。もう温水は不要。夕刻でも、ためらいなく水シャワー。そういえば、今週に入ってから急に蚊が増えた。シャワー室のドアを開けると、大量の蚊が現れる。3月終わりごろから蚊が急に増えると誰かから聞いたのを思い出す。

7時前、寮からムニールカーの自室へ向けて自転車移動。風が一段と強くなっていた。嵐。花びらが、落ち葉が、そして土煙りが、舞う。路上のパイロンも舞う。土煙りで視界が遮られる。土煙りに車のフロントライトが映し出される。土煙りが、目に、口に、鼻に入る。スモッグとの格闘を強いられた冬はマスクを常時携帯していたが、今日はそんな備えはない。片腕で顔を守ろうとするが、どうしようもない。

日本なら、春の嵐とか言われるものだろう。ここデリーでは、もう春という言葉は似つかわしくない。初夏の嵐、とでも言っておこうか。
アメリカのルイジアナ州知事、ボビー・ジンダル(Bobby Jindal)。インド生まれの両親の間にアメリカで生まれたインド系アメリカ人である。

ジンダル知事はインド系として実質初めて連邦下院議員に当選し、その後州知事に転じた。共和党若手のホープとしてみなされている。マイノリティーでエリートという点では、オバマ大統領に通じるところがある。

そのような期待を反映して、2月24日に行われたオバマ大統領の議会演説の同日行われる、共和党側からの対抗演説(reaction)に抜擢された。

が、その演説の評判は散々であった。

悪評はその演説の内容よりも、ジンダルの硬さに向けられている。そこでさっそく動画で確認してみたのだが、言うほど硬くはないと思われた。ただし、パッとしないというは確かにそう。内容はともかく、話し方に着目すると、国民向けに話している雰囲気ではないのだ。TVのスタジオと中継をつないで、キャスターの質問に答えているかのような雰囲気。

とりわけ今回の場合は、オバマ大統領と比較されてしまう。オバマ大統領に対抗できる共和党の新星、という役回りを期待されていたのだろうが、国民に訴えかける力において、オバマ大統領には遠く及ばなかった。

国問研の西川さんがこの件に関して少し踏み込んだ分析を示している(リンク)。「ジンダルの対抗演説はあまりにも保守の教条的な考えに満ちており、党派心に凝り固まった共和党が超党派的協力を拒否して大統領の足を引っ張るものと映ったのではないか」というのが彼の分析。

内容か、スタイルか、はたまた両方か。何がこのような不評を呼んだのかはわからないが、ジンダルが高い期待に応えられなかったことだけは確かなようだ。
明日11日はホーリー。今日10日も祝日。ホーリーついでではなく、ガンディーの誕生日。2日連続の祝日となった。

ホーリー前日にあたる今日からお祭り騒ぎになるのならともかく、そうでないならば、デリー市内の散策でもしようかと思っていた。が、体調不良で朝から動けず。今年初の体調不良。昨晩あるものを食べてから調子がおかしくなったので、原因はたぶんそれ。

何も食べずに安静にしていたところ、夕方には回復。外の様子はおとなしく(外国人の住むアパートの上の階が騒がしかったが)、危険は感じられなかったため、最寄りのマーケットへ。

おなじみのバサント・ローク・マーケット。マーケット入口の警備がやたら厳重。昨年9月のデリーの同時多発テロ以来の厳戒態勢ではなかろうか。人出も少ない。ディスコの前では、マーケットには早くも色粉をかけ合っている若い連中もいたが、仲間内だけで周りを巻き込まずにやっている。それなら全然かまわない。

中華料理のチェーン店、Yo! Chinaで粥でも食べようかと思っていたが、そこはやたら混んでて入れず。何やらキャンペーン中のようだ。「名前にaの文字があるひとには、ラッキーが!」みたいな。

ところで、アメリカの女優マイリー・サイラス(Miley Cyrus)が、目を細くした写真を撮り、それが東洋人に対する侮辱であるとして問題となる事件が最近あった。昨年、あれと同じポーズを見たことがある。このYo! Chinaのポスターでだ。少女が両目を横から手で引っ張っているポーズ。少なくとも自分には、侮蔑的だと思えた。私的な写真ならまだしも、中華系のチェーン店の広告でそれをやってしまう。問題になったかどうかは知らない。たぶんなってないのだろう。

その後、結局いつものスーパー、マルシェで買い物をして帰る。お粥用に米を調達。祝日恒例ドライ・デーで、酒は売っていなかった。酒売り場には「ドライ・デー。ハッピー・ホーリー!」と書いてあったが、ガンディーのことも忘れないでほしい。帰り際、自宅近くの商店で水の配達を頼む。20リットル入りのミネラル・ウォーター(Bisleri)のタンクをいつも使っている。配達料込みでRs. 75。水道水では料理はできないため、欠かせない。あしたのヒキコモリに備えての準備でもある。

夕飯は粥。ココナッツ・ミルクと砂糖・塩を入れて炊き、甘くデザート風に。もちろん見た目はただの白粥。

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最近の食糧。

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パニール・パスタ。オリジナル作品。パニールのカレー(ココナッツ風味で南インドな感じ)を作って、そこにパスタを投入。

そういえば、日本では自炊でパスタというと低コスト料理の王様のような位置付けがされているようなのだが、こっちでは外食でインド料理の方が安く済ませられる。

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レモンライスの素。炊いたご飯に混ぜるだけ。Rs. 12。米の臭さを消せるし、味も悪くない。

丈の短いバスマティ種の米を使っているが、こういう料理は細長いタイプの米が合いそう。

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アイリッシュ・コーヒー。粉末8パック入りでRs. 335。イギリスからの輸入品。学内ならRs. 5で小カップ1杯のコーヒーが飲める世界なので、これはちょっとお高めだが、カフェに行くと思えば、安いもの。

粉自体にはアルコールはもちろん入っていない。なので、ラム酒を入れて飲んでいる。上にチョコレート・パウダーを振ることも。

アイリッシュ・ウイスキーを使ってないものは、アイリッシュ・コーヒーではない
、らしいのだが、まあそんな堅いことは言わずに。
読書メモ。

IDSAのパンダさんがオバマ政権の対日政策について書いたレポート。2月のクリントン国務長官訪日を中心に。

Rajaram Panda, "Obama's New Engagement Policy Towards Japan," March 9, 2009.


会談の成果や、最初の訪問先としたことが日本で好意的に報じられたことについて詳しく書いている。とてもよく調べてある、というのはあたりまえなのでむしろ失礼か。インドの安全保障コミュニティの人がこのような問題をどう見ているかという観点で、興味深かった。

まず、経済への言及が少ない。日本では、アメリカの経済危機との関係からクリントン訪日をとらえる向きが強かったと思うが、そういった側面はあまり注目されていない。パンダさんの関心がそちらには向いていないのだろう。

クリントン国務長官が対外政策の3本柱として言及した「3つのD―防衛(defense)、外交(diplomacy)、開発(development)」のうち、開発重視の姿勢が見られたことの例として、緒方貞子JICA理事長との会談に着目していることは意外で、興味深い。ただし、「3つのD」は政策指針としては広すぎて無意味だと思う。

また、日本の情報を新聞社の英語サイトから得ているということがわかる。そのためだろうか、「主要な全国紙」の論調を分析する文脈で、ジャパン・タイムス(the Japan Times)が登場する。これはいただけない。明らかに「主要」ではない。

結論部では、クリントン国務長官が「共通の関心であるグローバル・イシューに対する政策、とくに環境問題をめぐる政策について議論する、日米中三国間対話の可能性を模索しているようだ」としている。そのことについてはそれまで本文中に言及がなく、論拠が不明で唐突な感が否めない。さらには、オバマ政権の「スパート・パワー」重視にも言及するが、そのことと外交や開発を重視する姿勢との関連については説明が必要だろう。「スマート・パワー」という概念は、今のところ、ソフト・パワー重視すること以上の意味は与えられていないはずだ。

クリントン訪日を以てして、オバマ政権の日本重視姿勢の証とできるかどうかは疑わしい。しかし、少なくとも、日本に寄らずに中国を訪れて日本軽視と受け取られた1998年のクリントン大統領(当時)とは違うということを示せた。パンダさんもそこを強調している。


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2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
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