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インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
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3月15日(日)

遅めに起きて、チェックアウトを済ませる。今日もO氏と合流。朝食はガンパティに程近いドルフィン・レストランへ。ここはホテルの屋上にあるのだが、見たところここのホテルはきれいで好感が持てる。オムレツやパンなどセットの朝食を注文。ちなみに、隣の席の客が、昨夜のヴァルナの客と同じ人だった。偶然というよりは、同じようなところを回っているから起こるべくして起きる出来事と解釈すべきなのだろう。

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ドルフィンからの景色。鳥とガンガーとジャンタル・マンタルみたいなもの

昨日不発に終わったマニカルニカー・ガートへ。おじさんが寄ってきて勝手にガイドを始める。後で金をせびられるのでこういうのは相手にしないのが通例なのだが、しっかり説明してくれていたので、このおじさんのガイドに委ねることにした。死体が運びこまれ、ガンガーの水に浸されてから、積まれた薪の上で焼かれる。3時間かかるらしい。火葬場を見下ろせる建物に案内され、そこで僧侶らしき人が祈りを奉げてくれる。その僧侶からは薪代が払えない貧しい人のために寄付を求められ、さらに案内してくれたおじさんからはガイド料を求められる。それぞれにわずかな金額を渡す(Rs. 100, Rs. 50)。不満そうだったが、大した抗議はなく、気が付いたら彼らは姿を消していた。ちゃんとガイドをしてくれたので、こちらとしては相応の金額を払ったつもり。ただし、薪がどこから運ばれてくるのかを尋ねるO氏の質問は、残念ながら回答を得られずじまいだったが。

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その後もしばらくその建物から眺めていると、また違う人が現れて、勝手に説明を始める。金を払うつもりはまったくなかったが、無視しつつも話を聞いていた。最初は写真を撮るな、と言っていたが、なぜか途中から写真を撮れ、に変わった。おそらく、写真を撮らせてから金を請求するつもりなのだろう。薪代についてもいろいろ言っていたが、最初のおじさんとは全く違う金額だった。もちろん金は渡していない。

この場所でいろいろと考えされられたとか、そのような話をよく聞く。だが、残念ながら、自分にはそのようなことは起こらなかった。多くの人が強い印象を受けるのは、おそらくは、日ごろ忘れている死という現実を突きつけられるからなのだろう。

旧市街の迷路を抜けて、オート・リクシャーでサールナート(Sarnath)の遺跡を目指す。途中、ショッピング・モールにマクドナルドが入っているのを見つけてO氏が喜んでいた。ヴァーラーナスィー生活に1つの安らぎの場を見つけたようだ。

サールナートは、後で知ったが、『歩き方』によると、ガウタマ・シッダールタが最初に説法をしたところらしい。6世紀に造られたというダメーク・ストゥーパ(Dhamekh Stupa)がメイン(ストゥーパ=仏塔)。アショーカ王(紀元前3世紀)の建てた柱の遺跡もある。周辺には様々な寺があり、日本や中国、タイの寺院や、ジャイナ教の寺もある。しかし、信仰の場として訪れている人よりも、自分のように観光で訪れている様子の人が多かったようだ。時間の都合で、考古学博物館はパス。

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併設のディア・パークのチケット売り場。
インド人Rs. 3、アジア系外国人Rs. 10、他の外国人Rs. 20。
こんな料金区分は初めて見た。

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ストゥーパ

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アップで

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4ヶ国語で書かれた石碑(ヒンディー、英語、南部の丸文字、日本語)

オート・リクシャーでヴァーラーナスィー市街へ戻る。アメリカ系のホテル、ラディソン(Radisson)へ。2階のレストランへ入る。ランチのメニューは2種類のみ。コースが決まっていて、ベジかノンベジかを選べるだけ。2人ともノンベジ(Rs. 499)をチョイス。ドリンクは別で、ビールを注文。ドメスティック(インド国内産)のビールを注文すると、カールスバーグ(Carlsberg)の缶を薦められる。カールスバーグがドメスティック?インドで生産を始めたのだろうか。飲んでみたところ、たしかに良かった。

料理は基本的に北インド料理なのだが、アメリカ系ホテルらしい創意を感じた。4種類のソースが机上に用意され(醤油系、ピーナッツ系など)、薄手のローティーに玉ねぎと肉をのせて、ソースをつけて食べるように促される。そのように、ちょっとした捻りのある北インド料理。手ごろな値段で味が良く、デザートまでついて、非常に満足度の高いランチとなった。

ランチを終え、帰路に着く。ホテルの前でオート・リクシャーを拾おうとすると、リクシャーの中に座っていたおじさんが出てきた。

自「空港へ」
お「Rs. 400」
自「タクシー価格じゃん」
お「タクシーだから」

「え?」と思っていると、おじさんが別のタクシーを指さす。オート・リクシャーの運転手ではなかったらしい。しかも、値下げを求めたわけでもないのに、Rs. 300でいいと言う。安すぎると思って少し不安もあったが、乗ることにした。ここでヴァーラーナスィーに残るO氏と別れ、タクシーで空港へ。タクシーは安全運転でまっすぐ空港へ。不安は杞憂であった。おそらくは、空港で他の客を拾う予定がちょうど入っていたので、空車で空港に向かうよりは、安くてもいいから客を乗せたかったのだろう。空港に着くなり、運転手は出迎えの準備を始めていた。

狭く小汚い空港ターミナルでしばらく待つ。願わくは、この空港はもう二度と使いたくない。セキュリティ・チェックが長蛇の列となっており、しかもそこを抜けた後の待合室は席がいっぱいで座ることもできず、さらに待合室には売店もないというひどいところだった。あの待合室の状況は、だれか倒れてもおかしくない。

行きと同じスパイスジェットでデリーに帰る。帰りはRs. 3,800ほどで、他社と同じくらいの価格。日曜夕方のデリー行きということもあってか、席はほとんど埋まっていた。機内食がないのは行きと同じ。この価格でこのサーヴィスだと不満。1時間ほど遅れて、デリー着。

デリー国内線空港の新ターミナルに着。まだフル開業していない新しいターミナルにもかかわらず、早くもトイレの汚れが気になる。困ったものだ。空港内のイージーキャブス(Easycabs)のブースでプリペイド・タクシーを手配。バンガロールでの経験で、公営のプリペイド・タクシー・ブースよりも、民間大手のタクシーが良いことを学習しており、それを踏まえてのチョイス。JNUまでRs. 245。少し高めだが、きれいな車で快適な移動となった。

これにて2泊3日のヴァーラーナスィー旅行終了。1度は行ってみたいと思っていたその願望を果たすことができた。O氏の手助けもあり、要所をじっくり回りきることができた。その意味ではとても満足している。トラブルもなく、まともな食事にありつくこともできた。ホテルも悪くなかった。だが、正直なところ、もう一度行きたいとは思わない。インド国内旅行でそのような印象を抱いたのは初めてだ。街を歩けば悪臭が鼻をつき、リクシャーの運転手がまとわりつき、路地に入れば薬物の売人が頻繁に(そして気軽に)声をかけてくる。そのようなディープな世界を愛するならヴァーラーナスィーもいいところかもしれないが、自分は好きになれそうもない。ガンガーの神聖さを求めて訪れる人もいるのだろうが、それならヴァーラーナスィーである必要はなく、上流にもっとまともな別の都市がある。なんで日本人が好んでこの街を訪れるのかは、疑問として解消されずに残った。
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自己紹介:
2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
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