忍者ブログ
インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
[19] [18] [17] [16] [15] [14] [13] [12] [11] [10] [9]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今回のミッションは、友人の友人、つまりは見ず知らずの人をデリーの国際空港に迎えに行かねばならないというもの。JNUの友人(ここでは仮にO氏とする)がその友人(M氏)を空港で迎える予定だったのだが、O氏が体調を崩し、とても迎えに行ける状況ではなかったという、やんごとなき諸事情により急遽発生した極めて特殊なミッションである。自分の知人が来た場合でも空港での出迎えはしていないため、デリーでの空港出迎え自体が初体験となった。

[以下長文]

予定では深夜午前2時の到着。余裕を持って、午前0時に出発した。JNU正門前でオート・リクシャーを拾い、国際空港を目指す(Rs. 120)。道半ばほどから、霧に視界が遮られはじめる。10メートル先が見えない。進んでいる道路の幅がわからないほどに視界が悪い。普段はウインカーを出さずに曲がる車も多いここデリーでも、さすがにほとんどの車がハザード・ランプを点灯させながら、徐行していた。速度を出せないことに加えて、途中で給油をしたこともあり、空港に着くまで約1時間もかかった(おそらく平時の2倍以上の時間)。客を乗せているタクシーやオート・リクシャーが(短距離の移動中でも)給油に行くことも珍しくはない。濃霧の中でガス欠になったらそれこそ打つ手がなくなってしまうので、抗議もしない。

空港ターミナル着。入場料80ルピーを払い、到着ロビーへ入る。ここで気づいたのだが、到着ロビーの出迎えする人が待つエリアにトイレがない。一旦有料のエリアを出ないとトイレに行けないという信じられない構造。建前上はそのエリアを一度出たら、もう一度入場料を払わなければならない。実際には入口の警備員が柔軟に対応していたが。台頭する大国インドの国際的な玄関口としてふさわしい設備を整えていただきたいと切に願う。

滑走路も濃霧に覆われているため到着の遅れが懸念され、実際に大幅に遅れる便や、到着がムンバイーに変更される便もあったが、幸いM氏の便(香港発キャセイ・パシフィック)は予定通りの時刻に到着した。しばらくするとその便の乗客がぞくぞくと出てきたが、名前を書いた紙を持って待っている自分に声をかける人間は現れない。これは起こるべくして起こった事態と言えるだろう。こちらはM氏の顔を知らないし、むこうは旧知のO氏が待っていると思い、紙に書かれた名前ではなく見知った顔を探している。おかしいと思いながらも待っていると、ダウンして寝込んでいるO氏から携帯に連絡が入った。曰く、M氏はすでにロビーのどこかにおり、公衆電話からO氏に電話をかけてきたとのこと。わざわざO氏の顔写真を印刷した紙を用意した待っていたが、やはり見てもらえなかったようだ。さほど広いロビーではないので、すぐにそれらしき人物を特定でき、M氏に合流できた。

第1関門を突破したが、次の関門も容易ではない。彼をO氏の予約したホテル(Euro Star Internationalという空港近くの小規模なホテル)に送り届けなければならない。おおよその場所はわかるが、行ったことのないホテルであり、有名な大規模ホテルでもないため、視界不良の中で発見できるか不安であった。国際空港からのタクシーは多くの外国人観光客がトラブルに巻き込まれることで有名である。コミッション(手数料)目当てで違うホテルに連れて行こうとしたり、旅行会社に連れていったりと、トラブルが絶えない。わざわざ出迎えをしなければならないのもそのためである。そこで、比較的トラブルが少ないと言われるプリペイド・タクシーを利用することとした。過去自分がデリーの国際空港に到着するときは迎えの車を手配していたので、プリペイド・タクシーの利用は初めてであった。到着ロビーを出たところにあるプリペイド・タクシーのカウンターで先に料金を払ってチケットを購入する。M氏をホテルに送り届けたあとそのタクシーでそのまま自宅近くまで帰るつもりで手配しようとしたが、プリペイド・タクシーの料金体系上、1か所しか目的地を指定できないと言われてしまった。仕方ないので、とりあえずホテルを目的地に指定した(Rs. 170)。その後自宅まで送ってもらうためには、あとで運転手と直接交渉するしかない。購入したチケットにタクシーの番号が書かれるので、その番号のタクシーに乗り込み、チケットを渡して目的地を伝える。すると困ったことに、その運転手はホテルの場所がわからないと言う。周りの他の運転手たちがその運転手に熱心に説明した結果、一応納得したそぶりを見せ、出発。極度の視界不良の中、本当に到着できるかどうか非常に不安であった。空港に来た時よりも悪化した濃霧のなか、車はゆっくりと進む。20分ほどで、目的のホテルがあると思われるエリアに到着。しかし、ホテルの場所はわからない。深夜3時であったが道を歩く人がいたため、運転手がホテルの場所を尋ねるが、わからない。濃霧が視界を遮っていることも状況を悪くしている。ホテルに電話をして運転手に説明してもらうという最後の手もあったが、幸いなことに、偶然ホテルの看板を発見することができた。安堵しつつ、タクシーを降りる。チップや追加料金の請求はなかった。ホテル街のエリアであり、オート・リクシャーが近くに止まっているのが見えたため、タクシーを帰してM氏をホテルへ案内する。だが、ホテルの看板のあった建物に入るとそれは違う建物であった。発見したホテルの看板の表示があまりにも不親切であり、視界も悪いため、どこにあるのかさっぱりわからない。だいぶさまよったのち、開いていた他のホテルを見つけたので、そこのフロントで道を尋ねたところ、こちらの問いかけには答えず道へ歩き出し、「来い」とだけ言い、目的地のホテルまで案内してくれた。渋い。

果たしてようやく目的のホテルに到着した。安ホテルと聞いていたが、見たところなかなか良さそうだ。フロントの対応も良い。M氏のチェックインを見届けた後、オート・リクシャーを拾い、さらに厳しくなった濃霧の中をのろのろと進んで帰宅した(Rs. 150)。この時間でも交通量のある幹線道路の移動は恐怖であった。立体交差に入る分岐点では、分離帯に衝突することを避けるために警察車両が停車して警察官が灯りを振りかざしていたが、目前に来るまでそれすら見えなかった。戻りついた午前4時過ぎには、自宅周辺も濃い霧が立ち込めていた。視界不良の中をやっとのことでたどり着いた時には、運転手と共に何かをやり遂げたような達成感すら感じられた。

こうして振り返ってみると、濃霧の中での移動を強行した今回のミッションはあまりにもリスクの高いものであった。デリー日本人会のウェブサイトによると、12月下旬から1月までは霧とスモッグがひどいらしい。濃霧が予想される時間帯の移動は極力避けるべきであろう。
PR

コメント


コメントフォーム
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字


忍者ブログ [PR]
プロフィール
HN:
toshi
性別:
男性
自己紹介:
2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
本棚
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
ブログ内検索
カウンター