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インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
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大晦日、そして元日、新年を迎えるデリーの顔を捉えるべく、カメラを携えて街へ出た。

が、論文よろしく先に結論を述べてしまうと、ほとんど通常と変化がなく、カメラを取り出す機会も少なかった。多くの店は大晦日も元日も開いていた。高級マーケットのバサント・ロークのお店は元日もほとんどが開いていた。学生が多く集う庶民向けマーケットのベール・サラーイも半数以上の店が営業していた。JNUは冬休みだが、次のセメスターの授業登録期間が始まっており、事務は大晦日も元日も開いていた。ただ、元日は若干職員が少なかったように思う。一応開いてはいるが、平常通りの機能は果たしていないというタイプである。同様の例は、30日に付き添いで訪れた病院でも見られた。営業はしており医者も看護師もいるのだが、診察科の受付担当者が休んでおり、代わりの業務をこなせる人がいないという信じがたい状況であった。デリー屈指の高級な病院の話である。住んでいるアパートの清掃およびゴミ回収をしているお兄さんは、大晦日は休んでいたが、正月はいつもどおり朝から働いていた。前日は休みだったこともあり、正月から働いているとは予想せずにゴミを出していなかったため、ゴミの回収に部屋を訪ねてきたノックの音で、元旦の目覚めを迎えることとなった。
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正月のためのものかどうかわからないのだが、道端の花屋は花飾りを並べていた(右写真。ヴァサント・クンジュにて撮影)。日本の正月飾りに似ている気がしないでもない。尋ねると買わねばならない雰囲気になることが予想されたため、写真だけ撮って通り過ぎた。

上記のように、外見上、正月を迎えるにあたっての大きな変化はなかった。だが、新年を祝う気持ちがないわけではない。クラスメートからも新年を祝うSMSが来ていたし、英語のほとんど通じなかったオート・ワーラー(オート・リクシャーの運転手)に別れ際に笑顔で「Happy New Year!」と言われたことも妙に印象的であった。

街で正月気分は味わえなかったため、この2日間は日本食をメインとして、(めずらしく)郷愁を募らせてみた。大晦日の昼、日本物産店Yamato-yaにて各種食材の調達。鏡餅(前記事)、各種麺類、カルピス、調味料など。レジ前に置いてあった白菜に目がとまる。鍋をやりたい衝動に駆られるが、他の食材や参加者の準備なしに白菜だけ買っても仕方ないので見送り。ランチはYamato-yaで購入したペヤング・ソース焼きそば。湯切りの方法が変わったような気がする。とは言っても日本にいたころも含めて長らく食べておらず、いつ変わったのかはわからない。夕食は日本人数人で近場の日本料理店たむらへ。せっかく予約をしてくれていたのに、予想に反してガラガラ。着いたときは地元の人たちが1組だけ。日頃たむらをにぎわせる日本人デリー駐在員はそれぞれの家庭で新年を迎えているのだろうか。気まぐれで麻婆豆腐を注文した。おそらくレトルトだろうが、悪くない。その後、自室で蕎麦をゆで、年越し蕎麦とする。ムンバイーの企業から販売されている中国産乾麺(地元のスーパーで購入)のあまりの質の低さに悲しい気持ちとなる。麺を袋から取り出しただけでボロボロと崩れおちる。袋の密閉が不十分で吸湿しているのかもしれない。
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元日は、正月料理関係なしに、ラーメンを食した。日本製の袋めんを使う。同じ袋の乾麺でも、昨日の中国製蕎麦とは雲泥の差でこちらのほうが高品質。蕎麦も日本からの輸入品にすれば少しはましになったであろうと後悔。付属の調味油を使って野菜(たまねぎ)を炒めて加えた。たまねぎは長ネギの代理。色づくまでたまねぎを炒めているため、驚くほど見た目は悪い。
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プロフィール
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toshi
性別:
男性
自己紹介:
2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
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