インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
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冬休み(12月6日~1月5日)の今のうちに、先のモンスーン・セメスター(夏学期)の授業について振り返り、記録を残しておきたい。
[以下長文] 所属するジャワーハルラール・ネルー大学(Jawaharlal Nehru University)の博士中期課程(注:大学院大学であるJNUの学制は、通常、2年間の博士前期課程M.A.、同じく2年間の博士中期課程M. Phil.、3年間を基本とする博士後期課程Ph. D.からなる)の国際学研究科、国際関係・国際組織・軍縮センター、外交・軍縮専攻の最初のセメスターでは、以下の3つのコースの履修を定められていた。各コースは90分授業が週2回。したがって週6コマとなる。 コース1 「国際関係の理論的側面」 コース2 「インドと軍縮」 コース3 「環境国際交渉」 履修すべきコースは定められており、基本的に選択の余地はない。ただし、あとで判明したことだが、1つ目の「国際関係の理論的側面」は基礎クラスという位置づけがされており、希望すれば別専攻に設置されているアドヴァンス・コースに代えることも可能であった。同専攻のクラスメイトでは、9名中2名がアドヴァンス・コースを受講していた。 コース1 「国際関係の理論的側面」 担当教員は、研究者としてJNUに職を得て3年目の若手の助教(Assistant Professor)。以下MM。大学院の途中で理数系から国際関係論に転向した変わり種。MMの書いた論文を読んだことはないが、国際関係理論、とくに安全保障の理論と、アメリカの対外政策の分析に関心を向けているようだ。JNUで提出された博士論文は、ルワンダを事例とした人道的介入に関するもの。 週2回の授業は、祝日など定められた休みを除き、1回の休みもなく行われた。教員組合のストライキの時も構わず授業をしていた。各90分の授業時間だが、30分遅れで始まり、1時間遅れで終わるのが基本パターン。したがって平均は2時間くらいだが、ときには3時間を超えることもあった。ただし、受講生の他のコースとかぶらないよう配慮はしていた。また、直接本人の口から聞いたわけではないが、意図的に開始時間を遅らせて、学生に課題論文を読む時間を作らせているような気がしてならなかった。深読みしすぎかもしれないが。 講義形式は、事前に指定して読ませた指定文献を解説するスタイル。おおよそ2回の授業で1本の論文を終える。毎回、その解説の鋭さにうならされた。かなりの時間をかけて授業準備をしていることが窺えた。時には文献の理解を問う質問を受講生に投げかけ、答えさせる。ちなみに、他専攻と合同の授業で、20名ほどが受講していた。ただし後述するようにスケジュールが厳しくなった後半は、ほぼ一方的な講義となった。 授業内容は、Waltzのネオ・リアリズムに始まり、それに対する批判、ネオ・リベラリズム、リベラリズム、リアリズム、コンストラクティヴィズム、マルクス主義、批判理論、フェミニズム、ポスト・モダニズム、規範理論、英国学派と、主要な国際関係理論のいわば原典というべきテキストを選択し、進む。しかし、7月下旬に始まり12月初旬に終了するこのセメスターだが、折り返し地点の10月初旬の時点ではまだネオ・リアリズムへの批判を終えたあたりだった。つまり、半分を終えた時点で1つの理論しか終えてないというペースであった。以降は各理論1本の論文を扱うのが精一杯となったため、ネオ・リベラリズムならKeohane、コンストラクティヴィズムはWendtというように、代表的論者の論文1本を選択し、駆け足で進んだ。それでも主要な理論を一通りカヴァーするという目的を達せられそうもなかったため、11月中旬、MMはいつものように淡々と言った。「このままでは終わらないので、来週からは毎日授業をする」と。以降、土日祝日や研究会などイヴェントのある日を除いて、本当に毎日、夕方3時ごろから5時半ごろにかけて授業が行われた。他の科目もセメスター末の課題提出やプレゼンで佳境を迎える中、多くの学生はほとんど休まず出席を続けた。結果、何とか予定されていた各理論を一通り終えることができた。そんな無茶をしたのは、本格的に国際関係理論の授業を受けることのできる機会がこのセメスターしかないというカリキュラム上の理由と、MMの職業的熱意のためであった。 結果的にネオ・リアリズムに多くの時間が割かれたが、MMがネオ・リアリズムに固執しているわけではない。Waltz以降の国際関係理論の展開がいわばWaltzとの対話を余儀なくされたことを反映してのことであり、むしろ、インドにおける国際関係研究がマルクス主義やネオ・リアリズムに傾倒していることを批判していた。また、MMの学生時代からの友人という他専攻のある教員は、MM自身のスタンスについて、特定の理論に依拠しないが、すべての理論に対して批判的であると述べていた。 評価は3回の筆記試験(中間試験が30%、期末試験が50%)、提出課題(10%)、出席状況(10%)によって行われた。課題提出はおおよそ毎週1本。授業で扱った文献や、授業で扱う時間がなかったが重要な文献に関する要約や書評で、各おおよそ1,000語程度。一部学生は長く書けばよいという錯覚があるのか、やたらに長いレポートを提出していたが。中間試験は2回行われた(11月上旬、11月末)。MMによると、2回のうちで良いほうの成績で算定するとのこと。2回行ったのは、最初の試験の成績が全体的に芳しくなかったからとか。教育的目的ももちろんあってのことだろう。試験はいずれも論述式で、中間は2時間の試験で5問程度、期末は3時間の試験で10問が課された。 コース2 「インドと軍縮」 週2回の講義をそれぞれ違う担当者が行うという変則的な形式であった。 月曜日のパートは、中国外交を主たる研究分野とする准教授(Associate Professor)が担当であった。以下SS。SSはシンクタンクでのキャリアが長く、実務の知識に強いように思われる。印中関係に多くの業績がある。扱う分野は非常に広く、中国外交、軍縮の他、M.A.では平和学の講義も担当している。学会活動など学外の活発に活動を行っていることでも知られており、さらに特筆すべきはその「愛すべき人柄」(byセンター長)である。とっつきやすい人柄で、日本(人)についても知っているSSに、特に最初のころはいろいろと助けられた。こちらではめずらしく時間をきっかり守る人で、授業開始時間ちょうど、あるいは少し前に必ず現れ、毎回ほぼ時間どおりに授業を終えた。 講義内容は、受講生のキャリア形成に資するよう計算された内容であったと言えるだろう。最初のころは毎週論文1本、途中からは2週間で1冊のリーディングが課される。一貫して軍縮・軍備管理における現代的問題を扱う文献が選択された。SSのパートでは軍縮の世界的問題を担当することになっているということもあり、インドに限った内容ではなく、軍縮における国際的な問題が扱われた。それぞれの課題文献に対して書評や要約の提出、およびプレゼンが課された。これらを通じて、軍縮に関する基本的な知識、読解能力、書く能力、プレゼン能力を養おうとする意図であることは明白であった。受講生による報告の回と、講義の回が隔週で行われ、講義の回では課題文献とは別に特定のテーマに関する講義が行われた。 評価はレポートに基づいて行われた。授業で扱った3冊のブックレビューが中間試験とされ、期末は3,500語のペーパーが課された。 金曜日のパートは理論と同じMMの担当。建前ではMMがインドに関わる部分を担当することになっているのだが、先述のとおり、MMは理論に強い人。核拡散や核抑止など主に核兵器に関わる安全保障理論が中心となり、インドに関わる話は最後のほうに授業を数回あてただけとなった。先述の理論コースの毎日補講ためにこちらの授業が中止されることもあった。 理論のコースと同じく、期末試験が最終週、中間試験がその前の週に行われた。中間試験は、自宅持ち帰り形式で行われた。これは、試験問題が手渡され、それから48時間以内に提出しなければならないという、いわば短期間時限式レポート提出方式で行われる試験である。金曜日の授業後に配布され、日曜夕方までに解答を提出しなければならないということになったのだが、個人的にかなり苦しめられた。というのも、土曜日に国際ワークショップがあり、しかも前日・当日は各種準備に動きまわっていたため課題に取り組む時間を確保できず、日曜に課題を受け取り、短時間で一気に仕上げて提出することとなった。だが、一部のクラスメイトは、のうのうと月曜や火曜に提出していた。このあたりの緩さはなかなか理解できない。 コース3 「環境国際交渉」 「外交・軍縮専攻」の「外交」の部分を構成する授業。ちなみに、数年前に外交専攻と軍縮専攻が合併したという背景があり、この専攻では外交と軍縮の要素(人)に境界がある。 担当教員は国際学研究科の研究科長の教授。インド外交の専門家。多くの著作がある(ただしその多くはヒンディー語)。JNUでは各研究科(スクール)に1つの学校のような自立性があるため、研究科長(Dean)は日本の大学でいう学長のようなポジションと言えるだろう。したがって、とにかく多忙。出張で不在となることも多く、授業はわずかな回数しか行われなかった。所定の回数の3分の1未満であろう。授業回数は限られたものだったが、授業時間以外に接触して指導を仰ぐクラスメイトもおり、自分もそのようにすべきであったと反省している。 授業は講義形式ではなく、研究指導の形で行われた。与えられた「環境外交交渉」という大枠でのテーマの中で、受講生がトピックを選び、学期末にプレゼンを行うタームペーパー(5,000語)に向けて準備を進め、その進捗を報告して指導を仰ぐもの。それ以外の課題や試験は一切なく、評価はタームペーパーとプレゼン、およびそれに至るまでの過程を対象に行われる。 自分は地球温暖化に対する京都議定書以降の次の枠組み作りをめぐるG8と主要途上国の交渉をテーマにタームペーパーを書いたが、事実関係の叙述の域を脱せず、自分として満足の行く内容には仕上げられなかった。クラスメイトのタームペーパーには、越境環境問題や災害対応などでインドや周辺国の身近な問題を扱うものが多かった。中には、レジーム論やコンストラクティヴィズムを用いた意欲作もあった。 PR ![]() ![]() |
プロフィール
HN:
toshi
性別:
男性
自己紹介:
2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
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