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インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
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予定外の臨時帰国から10日。1月3日、インドに戻る日を迎えた。

成田までは自宅から車で送ってもらった。渋滞も懸念されたが、さすがに早朝のためか、スムースに到着。ゆえにずいぶん早く到着。

いつもの第2ターミナル。Uターンのピークとなる日だが、さすがに出発ロビーは混んでいない。

まずは空港のインフォーメーションで車椅子を借りる。一応名前等は書かされるが、身元確認はなし。車椅子をそのまま持っていってしまってもバレないだろうに。インドならこのシステムはありえない。

車椅子で動くことになると、こういう場所ですらまだまだバリアフリーから程遠いことを思い知らされる。本屋などの店には入っていけない。エレベーター(出発ロビーの3階とレストラン等がある4階をつなぐ)が車椅子で乗るには狭すぎる。など。

今回のフライトは、12時ちょうど発予定のエア・インディアAI307便。しかし、9時30分のチェックイン開始を前にして、出発予定時刻が13時10分発予定に変更となっていた。雲行きが怪しい。

チェックインでは、はじめは列に並んでいたが、途中で気づいた係員が優先的に受付をしてくれた。ここで空港インフォメーションで借りた車椅子(出国手続き以降には入れない)から、JALマーク入りの車椅子に乗換え。介助者も手配してくれることになったが、搭乗まで時間があるので、またあとでカウンターに来ることに。

出発予定時刻は13時10分のまま。しかし、展望台から見ても、エア・インディアの機体が見当たらない。到着便案内を見ると、本来8時到着予定のはずが、12時到着予定に変更になっていた。ずいぶんな遅れだ。13時10分に出発できるとは到底思えない。

後でわかったことだが、この日はデリーで霧がすごかった。きっとその関係での遅れだろう。

12時過ぎに再びチェックイン・カウンターに行き、そこからは職員に車椅子を押してもらった。クルー用の経路を通っていく。厄介な手続きをスムースに抜けていけるのは悪い気はしない。もちろん荷物などのチェックはしっかりあったが。

12時半ごろ搭乗口に到着。まもなく搭乗開始のはずだが、その雰囲気がない。まだクルーもいる(中に入っていない)。12時に到着したばかりなのだから当たり前といえば当たり前。

13時に搭乗開始となった。他の客より一足先に搭乗。機体入口前まで車椅子で押してもらい、あとは松葉杖で。荷物を背負って杖で歩いた帰国時より格段に楽であった。他人の助けを借りることへの抵抗はあるが、助けを求める勇気も必要だと学んだ。

結局出発は14時頃。今回は搭乗率7割くらい。自分のエア・インディア経験の中ではかなり混んでいるほう。帰国時の23日ですら、空席率7割だったのだから。そして座席は帰国時と同じ場所になった。中列の通路側で、トイレに近いところ。ただし帰国時は空いている席に自分で動いた結果なので、同じ席を指定されたわけではない。こういう不自由な乗客を乗せるエリアがだいたい決まっているのだろう。

何かと評判の悪いエア・インディアだが、進歩している面もある。現在使用している機体は新しく、設備も充実している。各席にモニターがついており、その機能も徐々にではあるがレベルアップしている。しかしせっかくレベルアップしたモニターだが、中列ではすべてモニターが機能していなかった。これでは意味がない。また、今回は乗客が多いわりにアテンダントが少なく感じた。アナウンスは3言語(ヒン、英、日)で行われるが、以前は違ったはずだ。

9時間強のフライト。インド時間19時半すぎに到着した。他の客が降りるのを待ち、それから降りる。さらに車椅子の手配を頼んで待つ。しばらく待ったのち、車椅子と介助員到着。機体前から車椅子で押してもらった。入国手続きを優先的に突破し、待合ロビーの外のプリペイドタクシーのところまで押してくれた。そこでチップを要求されたが、現金は持っていないからごめんね、と言って断った。もちろん嘘。払ってもいいのだが、帰国時に押してくれた職員はそういう素振りがまったくなかったので、誠実な職員に払わず、あからさまに要求する職員に払うのは気が引けた。

迎えに来てもらったO氏と合流して、公営プリペイドタクシーでVasant KunjのモールDLF Placeへ。高級インド料理レストランVedaで夕食をとってから寮の自室へ。

この日のデリーは湿っていた。午後8時に空港を出る際、道路は濡れ、タクシーも濡れていた。久しぶりの雨が降ったとのこと。そして午後10時過ぎは、もう霧が立ち込めていた。

こうして不自由な状態でのデリー生活を再スタートさせた。

順調に行けば、今回の滞在は短期になる。
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故障発生による、急遽の帰国。松葉杖をついての帰国の旅路。

故障発生当日に翌日の便を取ったはずが、何の勘違いか、まちがえてその2日後(故障発生から3日後)の便をとってしまったので、それほど急ぎの帰国という感じはしない。

帰国の足に選択したのは、エア・インディアの直行便。デリー=東京の直行便としては他にJALもあるが、エア・インディアのほうが安いし空いているので、特にこの混雑期でこの負傷状況なら、空いているエア・インディアだ。ランクはエコノミー。往復で約Rs. 30,000。さすがにこの時期は普段よりすこし高い。

寮から空港までは、Easycabsで。予約時に指定した時刻の20分前に来た。偉い。

空港ターミナル入り口。いつも無愛想な警官も、今回はこちらを気遣ってくれた。航空会社のカウンターで車椅子を借りなさい、とアドバイスをくれた。そうするつもりだ。

最小限とはいえ十分重い荷物を背負い、松葉杖をついて歩く。正直辛い。少し歩くと腕がつかれる。

エア・インディアのカウンターでチェックイン。松葉杖の状態のままで列に並んで待っていると、ある他の乗客が車椅子を持ってきてくれた。日本語を操る欧米系の女性。多謝。

列で自分の前に居たのは若い日本人女性1人。預け荷物をベルトコンベアに載せようとするが、重いらしく、手こずっていた。普段なら手助けをすべきところだが、今日はそれができない。それどころか、その女性の手続きが終わって自分の番になるとき、荷物持ちましょうか、と自分に声をかけてくれた(が、預ける荷物はなかったので断った)。今の自分が無力な存在であることを痛感。

チェックイン手続き。座席については、オンラインでのチケット購入時に指定しておいたので聞かれなかった。手続きの最後に、係員が「手助けが必要ですか?」と聞いてきた。もちろん。手回しできない車椅子に乗せられており、介助なしではどうにもならない。

しばらく列の横でそのまま待つ(その間、出国手続き書類を記入。もう慣れたもの)と、係員が1人来てくれた。車椅子を押してもらい、出国手続きカウンターへ。列をなして待っている人たちを追い越して、カウンターへ。しかし車椅子用のカウンターに職員がいなかったため、通路の中途半端な場所で待たされる。すぐに他のカウンターに呼ばれ、手続き。こうやって優遇されて悪い気はしない。

つぎはセキュリティチェック。ここでも別枠。クルーと車椅子の人用の場所があった。そこは空いていたので、列に並ばずさっさと手続き。荷物と杖をスキャン。そういえば、本来ラップトップは荷物から出さなければならないのだが、中に入れたままだったし、指摘もされなかった。

これで搭乗準備完了。また出発まで2時間近くあった。さて、これからどうすればいいんだ?

搭乗ゲートの近くまで車椅子で押してくれると言うが、それからずっとそこで待っていろというのか?だいぶ時間もあるので、トイレに行ったり、食事をしたりしたい。それらにずっと係員をつきあわせるのは悪い気がする。

なので、車椅子はここでもう結構。あとは杖で自力でなんとかする。ということにした。

しかしすぐにこの判断を悔いた。まずトイレに行ったのだが、その場所から最寄のトイレまではかなりの距離があった。荷物を背負って杖で行くのは大変であった。途中で休憩しながらなんとかたどり着いた。

ずっと座ってまっているのも気分的にしんどいので、ちょくちょく杖をついて歩いた。本当にいちいち大変だ。慣れればもっと楽に動けるようになるのだろうか。

そういえば、空港は徐々に進化している。今回は、マッサージのコーナーが新たに出来ていた。9月には無かったはずだ。

しばらくして、出発便の遅れが表示された。出発予定が1時間延びた。過去の経験から、嫌な予感。

そのままロビーで2時間半ほど待たされた。

その間、健常時は気付かなかったことに気づく。車椅子客の多さだ。インドには、「確かにその体形では歩けないだろうさ……」と思わせるようなマダムが多い。車椅子で運ばれてきて、搭乗ゲート近くの椅子に移され、そこで待っていた。ずっと係員が付いているわけではなかった。移動したい場合は呼べばいいのだろう。自分もそうすればよかった。しかし、まだそういうメンタリティーが身についていない。何というか、他人の手を煩わせるのが癪なのだ。

結局、自力で杖をついて搭乗も行った。列に並び、杖をついて歩いて乗り込んだ。もう腕が限界。

なお、利用する便がキャンセルとなるのが最大の懸念事項であったが、それは回避された。2時間ほどの遅れで出発となった。

機内の狭い通路を苦心しながら杖をついて進み、自分の席へ。通路前の前が開いた席を取ったはずだったが……?なぜか違う。通路側ではあったが、前後に座席のある席。事前に席を指定したのは何だったのか。自分のミスか、さすがエア・インディアということなのかはわからない。

杖は隣の席に立てかけておいたが、固定しないといけないらしく、キャビンアテンダントに注意された。窓際の席に移って窓際に杖を立てかけることを提案されたが、足元に横たえることで解決。3-3-3の座席配列の中央部3席を占拠した。自分だけがそうしたわけではなく、十分空いていたため、多くの他の乗客も1人で席を3つほど使っていた。

機内で面倒だったのは、通路が狭くて杖の使用が困難なため、動きがとれないことだ。機内での移動といえば、トイレくらいしかない。幸い、席からトイレまではすぐだった。3mくらい。なので、杖は使わず、片足で跳ねてトイレまで行った。

7時間弱のフライトで成田着。日本時間午前10時ごろ。

他の客をやり過ごし、最後に降りる。問題は、機体を出たところから車椅子を運んでもらうかどうかだ。何となく頼みそびれ、聞かれもしなかったので、結局そのまま自力で行くことになった。

誤算だったのは、ターミナル内の移動距離が想像よりも遥かに長かったことだ。ターミナルの一番端に到着していたのだ。途中休憩を挟みながら進んだ。何とかたどり着き、入国手続き、税関チェックを通過。税関チェックでは杖を見られた。

そこから先、特に困難は無かった。ちょうどすぐにリムジンバスがあったので、ほとんど待たずに済んだ。バスへの搭乗は職員が手伝ってくれた。そしてリムジンバスの終点には、親に車で迎えに来てもらった(これはいつもと同じ)。無事帰宅。

今回の教訓。無理をせずに、手助けを頼もう。
1年半に及ぶインド生活、何らかのトラブルに見舞われるであろうことを予測していなかったではない。幸いにしてこれまでは深刻なトラブルとは無縁であったが、ついに一昨日、重大なトラブルに見舞われた。それも、インドとはあまり関係のないトラブルに。

この日は友人とニューデリーおよびオールドデリーを訪れる予定になっていた。まずタクシーを調達すべく、1人でJNU正門前のタクシー会社に向かった。

駐車場を歩いているときのことだった。足場が斜めになっているところで足を滑らせた。バランスを崩し、転倒。右足つま先に全体重かかり、不自然に折れ曲がった。

その折れ曲がり方に、ヤバイ、と思った。骨が折れたか?右足甲が痛む。とりあえず足の指は動くし、痛みもそれほどではないが、ただでは済まないだろうと思った。骨折経験もないので、痛みからの判断はできなかった。良くて捻挫、最悪複雑骨折。とにかく病院に行かねばなるまい。

そのままタクシーに乗り、まず友人と合流。事情を告げ、病院に付き添ってもらうことに。

訪れたのは、ロックランド病院(Rockland Hospital)。その友人が利用したことがあり、自分も付き添いで行ったことがあった。JNU内のヘルス・センター以外にはここしか知らなかったので、迷わずここを選んだ。

Rockland Hospital
B-33-34, Qutab Institutional Area, New Delhi 110016
http://rocklandhospital.net/

デリー有数の立派な病院。相対的にコストは高いが、その分設備は充実しており、さほど混雑もしていない。

入り口で車椅子に乗せられて、応急室(Emergency)へ。しかし、ここからが長かった。まあ、日本でも病院とはそういうところか。違いは、いちいち先に支払いをする必要があることだ。

(1)応急処置。ただし、症状と名前・年齢を聞き、血圧をチェックしただけ。

(2)登録用紙に名前などを記入し受付へ。登録料(Rs. 50)と診察料(Rs. 300)の支払い。

(3)診察。医師は英語堪能。とりあえずレントゲン検査を受けるよう指示を受ける。

(4)レントゲン検査料の支払い(Rs. 200)。

(5)レントゲン撮影。

(6)診察。骨折。足の甲の骨が、1本は完全に折れ(砕け?)、他2本もヒビが入っている。6週間の患部固定を要するとのこと。レントゲン写真を見るなり、同行の友人が驚きの声を上げていた。自分の澄ました様子からして、これほど重症だとは思っていなかったそうだ。

(7)ギプス処置の資材代金(Rs. 1,184)と処置料(Rs. 500)の支払い。

(8)処置。石膏で固める。

(9)薬(痛み止め)の購入(Rs. 58)。

以上。

(2)から(9)までがすべて同じフロアであったのは幸いだが、付き添いなしではなかなか大変だろう。

診察の医師からは6週間の車椅子生活を言い渡されたが、この街で車椅子生活を送る困難は容易に想像ができた。常時の介助なしでは無理だ。

幸いにして片足は無事なので、松葉杖を使うことにした。だが、病院内の薬局には売っていなかった。受付で聞いたところ、AIIMSの近くで買える、との情報を得た。AIIMSというのは、All India Institute of Medical Sciencesという公立病院のこと。インドNo. 1の病院として非常に有名。2009年1月にマンモーハン・シン首相が心臓バイパス手術を受けたのもこの病院だ。周囲には薬局が乱立している。確かにそこならありそうだ。

待たせておいたタクシーに乗り込み、AIIMS方面へ。薬局が立ち並ぶのは、デリーを南北に貫く所要街道オーロビンド通り(Aurobindo Marg)。友人に購入してきてもらった(Rs. 900)。

近くのマーケット(Green Park)でランチと買い物。さっそく松葉杖を使って歩き出す。初めてのことで、ぎこちない。杖の持ち方は?どうやって階段を昇り降りは?よくわからないが、何となくで実践。しかしさっそく階段でこけた。きっと日本の病院で治療を受けていれば、松葉杖の使い方とかを教えてくれるのだろうけど、今回そういう流れにはならなかった。

ランチと当面の買出しを済ませたあとは、当初の予定をすべてキャンセルし、そのまま寮に帰った。部屋が地上階なので、部屋にたどり着くのは容易だった。地上階でなかったら、大変な苦労だ。

部屋に戻り、まずは履いていたデニムにハサミを入れて切り裂く。捲し上げた状態でギプスを固めてしまったため、破かない限りは脱げなくなっていた。留学生活の思い出がつまったデニムだが、やむを得ない。代わりに室内着のジャージを履く。しかしこれで外出はしたくない(見た目の問題もあるが、何よりも寒い)。ふと、留学1年目に愛用していたデニムを思い出した。留学スタート時は今より10kg以上体重が重かったので、当時のデニムは太い。もしかしたら、と思って試したところ、ギプスを通過させることができた。これなら履ける。

1人になって気付かされたのは、想像を絶する不自由さ。最大の問題は、両腕で松葉杖を使うため、モノを持てないことだ。水を汲んでくるという単純作業すら困難だ。

デリーでは、困難に直面した人がいるとき、周囲の人たちは非常に親切だ。とくにJNU内ではなおさらだ。だからちょっとしたことをお願いして、断られるor無視されるという可能性はほぼゼロだ。この点はおそらく東京より優れている。バリアフリーという観点では東京と比べものにならないほど遅れたこの土地だが、それでも身体的障碍をもった多くの人が生活できているのは、そのような周囲のサポートがあるからだろう。

周囲の助けを得れば、何とかやっていける。周囲の友人たちは、こちらが頼めば間違いなく助けてくれる。だが、自分のメンタリティーとして、助けを差し出すことは構わないが、助けを受けるのは忍びない。

諸事情を勘案して、一旦帰国することにした。微妙な判断だ。一時撤退で体制を立て直す、という意図はない。むしろ、生活面での障害の少ない実家で過ごすことにより、研究に振り向ける時間を確保することが狙いだ。

困難と課題を抱え、留学生活は最後の3ヶ月にさしかかる。まさに正念場だ。追い込まれないと頑張れない性格なので、これでようやく舞台は整った、と前向きに考えておこう。
12月16日(水)

3日目のこの日は、夕方のフライトまでさほどやることがない。かなりゆとりのあるスケジュール。朝は遅めに起き、ホテルのレストランで朝食。ビュッフェ・スタイル。さすがTaj、という感じ。コーヒーもまとも。後でわかったことだが、朝食も宿泊料金に含まれていた。そうと知っていれば、昨日もホテルで食したのだが。

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朝には英字新聞だけでなく、日本語ニュースサイトのヘッドラインが届けられた。
右は外で買ったマサーラー味のバナナ菓子。
マサーラーの味が強すぎ、バナナの味がわからない。

11時ごろにチェックアウトして、オート(Rs. 30)で近くの観光スポットBibi Ka Maqbakaへ。

この移動の際、最初に声をかけてきたオートは、Rs. 100と言ってきた。今回の旅で、吹っかけられたのはこのときだけ。Tajから出てきているので多少高めに言ってくるのは仕方ないが、Rs. 100はいかん。こちらがインドに不慣れな外国人旅行者ではないと察するなりRs. 40まで下げてきたが、こちらの心象を害したのでアウト。他のオートを拾った。

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入り口。

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アーグラーのタージ・マハルさえ知らなければ、
十分にすごいと思えるのだろう。

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中には墓。
 
アーグラーのかの有名なタージ・マハルのミニチュア版といった趣(「貧乏人のタージ」と言われているらしい)。タージ・マハルはムガル5代皇帝シャー・ジャハーン1世が妃のために建てた墓。ここBibiは、6代皇帝アウラングゼーブの時代に、その息子アザーム・シャーが母(=アウラングゼーブの妃)の墓として建てたものだ。

どうしてもアーグラーとの比較になってしまうので、建物それ自体の魅力には乏しい。観光地としてよりも、公園として地元の人々に親しまれているようだ。

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散歩している人も多い。
だが、日陰が少ないので、日中は散歩に向かないと思う。

次は、また近くのPanchakkiへ(オートでRs. 30)。水車の技術を誇るものらしいのだが、よくわからなかった。

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プールみたいになっている。

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説明文。(珍しく)まっとうな英語。

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モスク併設。

これにて観光終了。時刻は午後1時前。フライトは5:20。だいぶ時間が余った。

今回は2泊3日の旅程となったが、この地域の観光は1泊2日で十分だったようだ。早朝の便(Jet Lite)で来て、翌日夕刻の便(Air India)で帰る日程でも主要ポイントはカヴァーできる。あるいは往復ともJet Liteで、3日目の午前中には帰る日程も可。

Classic TravelのホテルであるHotel Classicでランチをとることにした。オートでRs. 50の移動。このとき、運転手が場所を把握していなかったので、メーターを倒して走り出した。しかしメーターが回らない。もしや、メーターが壊れているとか言って法外な要求をしてくるのでは、と嫌な予感。だが、純粋にただ壊れていただけだった。適正と思われるRs. 50を渡した。

アウランガーバード駅の近く、Hotel Classicのあるべき場所に到着。しかし存在していなかった。Rasa(?)とかそんな名前に変わり、しかも改装中だった。『ロンプラ』に書かれた悪評を払底するための改名だろうか、などと邪推してしまう。

ともかくそこ(旧Hotel Classic)のスタッフが改装中であることを教えてくれたのだが、ついでにレストランも教えてもらった。歩いて2分のTandorというレストラン。ローカルな、ちょっと高いレストランといったところ。日本語を発するスタッフ複数。ビール(バドワイザー)、タンドーリチキン、パニール・コールマ、バター・ナーンをオーダー(一人Rs. 400くらい)。店名からしてタンドーリチキンは期待していたのだが、いたってノーマル。むしろパニール・コールマがヒット。甘くておいしい。パニール・コールマとナーンを食べているのに、ハチミツ味のクレープを食べているような感覚。

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左上がパニール・コールマ。

まだ時間があったので、すぐ近くのスーパーVishal Mega Martで買い物。自分は靴下をまとめ買い。同行のO氏は何を血迷ったか、腕立て伏せ用の補助器具(push-up bar)を購入。確かに安かったし、デリーではあまり見かけないので気持ちはわからなくもないが…。案の定、空港のセキュリティ・チェックで見咎られ、実演を交えて説明する羽目になっていた。

まだ時間があったので、到着時に空港からの道で見かけたCafé Coffee Dayで時間をつぶしてから、ようやく空港へ。

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空港に向かうオート・リクシャー。
シールたくさん。
そして、何故か耳あて(もちろん寒くない)。
怪我でもしているのだろうか。

帰りのフライトは、5:20アウランガーバード発予定、ムンバイー経由のデリー行きAir India便。やや遅れて出発。到着は午後10時過ぎ。ターミナルは混んでおり、タクシーを使うには待つ必要があったので、歩いて空港を出て道端のオート・リクシャーを拾って帰宅した。

[感想]

今回は、2泊3日のコンパクトな旅で、内容的にも無難だった。移動は飛行機と、車のチャーター(一部オート・リクシャーも使ったが)。ホテルは一流。コストを費やしたなりに、快適な旅となった。観光地のわりに、人が良く、不快な思いをさせられることがなかった。逆に、鮮烈な印象を受けたことも特にない。石を削った労力はすごいと思うが、それだけ。1度は見ておくべきものを見てきた、そんな感じだろうか。

遺跡はもういいかな、という気がしてくる。
12月15日(火)

2日目はアジャンターを攻める。前日と同じClassic Travelで車をチャーター(Rs. 1,800)。8:30にスタート。

アジャンターの石窟群までおよそ片道2時間。プラス朝食休憩30分。11時頃に到着。エローラとは違い、車で石窟近くまでは入れない。駐車場からバスに乗り換える。あたりは土産物屋が立ち並んでおり、売り子がつきまとってくる。しかしさほど押し付けがましくなく、不快度は低い。しかもなぜか、「あとで」とばかり言ってくる(日本語で)。すぐに店に引きこもうとはしないのだ。

バス(Rs 12)で石窟入り口近くへ。そこでチケットを買い(Rs. 250、外国人価格)、歩いて巡る。計30の石窟がある。

ちなみにインドの世界遺産はタージ・マハル(Rs. 750)を除いてどこも統一価格。

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駐車場からこのバスを利用するしかない。

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歩いてめぐるので、結構大変。
このような神輿(?)に乗って回ることもできる。
4人で担いでくれる。
Rs. 400。
  
アジャンターの石窟は、紀元前1世紀から紀元2世紀(=前期)、ならびに5世紀後半から6世紀(=後期)にかけて作られた仏教寺院。
 
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第1窟入り口。ここが目玉らしい。
後期のもの。

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壁画。

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似て異なるもの。

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青色はどうやって作ったのだろうか。

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第26窟入り口。ここも人気。

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石窟を巡る途中で、ダルビッシュに似ている人を見つけて、「あの人ダルビッシュに似ているね」のようなことをO氏に話していた。後で(その日のランチ、翌日の空港および飛行機でも遭遇)わかったのだが、その人は日本人観光客のガイドで、日本語ペラペラだったので、こっちの話していたことを理解していたかもしれない。別に悪口は言っていなかったので構わないが、気まずい。

敷地内のマハーラーシュトラ州政府観光局のレストランで昼食。チキン・ターリー(定食、Rs. 120)とビール(Rs. 125、Foster大瓶とパパド2枚)。メニューでは、なぜかビールだけが大きな文字になっていた。しかもビールを注文すると、無愛想な店員に「Good」と返された。

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器を見て残念な気分になった。
これ、寮の食事の器とまったく同じ。
もちろん味はこちらのほうがましだが。

駐車場に戻るとき、土産物屋との間でちょっとしたトラブルがあったが、自分のことではない(つまり同行のO氏のトラブル)のでここには書かない。

その後はまっすぐホテルに戻る。4時半着。

ホテルで一息。せっかくの一流ホテルなので、フィットネス・ルームも利用。マッサージも検討したが、高くて心が折れた。

夕食は、Rama Internationalというホテルのレストランで。宿泊料金はTaj Residencyよりやや安いくらいで、ここでは十分に高級なホテル。移動はオート・リクシャーでRs. 80。7時過ぎに着いたが、まだ7:30オープンだったのでしばらく待った。Taj Residencyのレストランはだいぶ早くから開いていたが、7:30はむしろインド的には普通。

Rs. 550(税別)のビュッフェ・スタイルを選択(通常のオーダーもできるが割高)。トマト・フィッシュ・マサーラーと、パニール・バター・マサーラーが美味しかった。いずれのメニューも無難に美味い。しかし食後のコーヒーは最低レベル(無味無臭)。まったく香りがしないので、自分の鼻がおかしいのかと思ったくらい。

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帰りのオート・リクシャーはRs. 50。デリー暮らしの感覚からすると、安すぎる気がするのだが、運転手の提示額が初めからRs. 50で、追加の要求も何もなかった。

ちなみに、この街のオート・リクシャーは幌がカラフルだ。黒が基本なのだが、赤、紫、青、黄緑、白…。2色のコンビネーションもある。個性豊か。

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左のオートの色彩感覚はどうかと思う。右は基本色。
12月14日(月)

旅たちの朝を徹夜で迎えるのが習慣となりつつある。悪い習慣だ。今回は、やるべきことがあったのも確かだが、早朝のフライトのために未明に起床できる自信がなかったので、前日に昼寝をとり、夜は寝ないことにした。最近寝起きが悪いので。

午前3時に一仕事を仕上げてメールで送信し、旅の支度を始める。4時半ごろにタクシー(Radio Taxi)でやってきた今回同行のO氏と合流し、空港へ。

今回のフライトは、5:40デリー発7:45アウランガーバード着のJet Lite便。フライトの1時間ちょっと前には空港に到着した。チェックインカウンターはやや混雑していたが、セキュリティ・チェックはガラガラで、余裕をもって搭乗準備完了。Costa Caféで軽めの朝食にマフィンとカプチーノ。

出発はほぼ定刻。機内の飲食は有料。サンドウィッチを食べたが、非常にまずかった。

到着もほぼ定刻。アウランガーバード空港。到着したその機体以外に航空機が見当たらないような小規模空港。ターミナルはそこそこきれい。機能と比較して無駄に大きなターミナルは、アムリトサルを連想させる。

気温30度弱。それほど暑く感じない。下はデニム、上は長袖のシャツを着ていたが、それでちょうどいいくらい。

ターミナルで声をかけてきた旅行会社のおじさんに従い、8時間Rs. 950で車をチャーター。市内とエローラ観光込み。名刺を受け取ってから気づいたのだが、『歩き方』や『ロンプラ』オススメのClassic Travelという会社だった。ちなみに、市内行きだけならRs. 200とのこと。

空港から1時間弱。エローラ石窟群に到着。都市間を結ぶ主要路線の路面はそれなりにちゃんと整備されていた。辺りは思いのほか緑が多い。農業はあまり盛んな感じはないが、平地には草や木が生い茂り、ヤギや牛の放牧や、場所によっては綿花の栽培。台地には草が茂り、ポツポツと木もある。ゆったりとそびえる岩盤台地には、平行に地層が走る。街道沿いの樹木は、デリー近郊の比較的新しいそれとは違い、かなり年季が入っている。

エローラは6世紀から9世紀ごろにかけて、岩盤をくりぬいて作られた石窟。全34。便宜上番号が振られており、1から12が仏教、13から29がヒンドゥー教、30から34がジャイナ教というそれぞれに異なった宗教の遺跡となっているらしい。見た実感として、そうした違いの重要性は正直なところよくわからない。

入場料はRs. 250(外国人プライス)。初めにジャイナ教石窟群(34→30)を見て、それから車で移動し、残り(ヒンドゥーと仏教、29→1)は一気にまとめて見た。車で石窟のすぐ近くまで行けるとはいえ、かなりの距離を歩くことになる。暑い時期には厳しいだろう。

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第34窟からスタート。

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まずはジャイナ教。

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狛犬?

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このあたり(第29窟)からヒンドゥー。おそらく。

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遊泳・沐浴禁止。
と言いたかったんだと思う。
ただし綴り(Sweeming?)が残念。

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エローラ石窟群の目玉、第16窟Kailasanatha寺院の入り口。
ここはさすがに人が多い。

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ここまで第16窟。
 
このあたりで、実はカメラの電池がご臨終。予備もあったが車の中。売り子もいたが、Rs. 40の電池をRs. 150でふっかけてきたので買わなかった。「それは通常Rs. 50、今は(キャンペーン中で)Rs. 40の電池だろ」と言ったが、Rs. 70までしか下げてこなかった。電池はしばらくあとにちょっとだけ復活。

第16窟は特に、学校で引率されて来ている子どもたちが多かった。

以下仏教。カメラの最後の力を振り絞った数枚。

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仏教遺跡には、東アジア系の観光客が多かった。「北京〇〇大学」のTシャツを着た韓国人(言葉からして)とか、もちろん大勢の日本人とか。

ちなみに、今回の旅先であるアウランガーバード、エローラ、アジャンターでは、日本語を操る地元民がとても多かった。仏教に関連する重要な遺跡を擁するこの地なので、日本人観光客が相対的に多いのだろう。

エローラ石窟入り口からすぐ近くのレストランでランチ。観光客向けの清潔感があるレストラン。値段も安くない。まずはCold Coffeeで一息。食事は、ココナツのグレイビーとチキンカレーに、バター・ナーン。チキンカレーは日本のカレーに近い味。全体的に量が少なく味が薄い。インドっぽくない外国人観光客向けのインド料理といったところだろう。

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車はアウランガーバード方面へ。途中、ダウラターバード(Daulatabad)の砦に寄る。天然の岩山を利用した要塞。Yadav王朝の首都であった12世紀末に作られたらしい。そのあたりの歴史はまったく知らない(インドにいる自分よりも、日本にいる世界史好きの高校生のほうが詳しいかもしれない)。

ふもとの駐車場から、頂上の砦まで片道1時間くらいかかるらしい。だが、ガイドブック売りの助言に従って、途中までしか行かなかったので、1時間超で観光を終えた。

印象は、優れた要塞。遠目に見たときには、この地形では水の調達が不可能ではないかと思ったが、実際には水利の仕組みと大型貯水池を備えていた。

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入り口付近。
奥に見える塔Chand Minarは比較的新しい。
とはいっても15世紀前半。

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巨大な貯水池Hathi Haud。像のタンクの意味。
水を引くシステムもあったらしい。

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砦の中の寺院Bharat Mata Temple。

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同。

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うし。リラックス感が好き。

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外国人観光客はほとんどいなかった。

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中腹からの見晴らし。

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おさる。

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外に空堀。内に水堀。

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さらに上から。
平地は緑が多い。

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中腹から砦を見上げる。
上までは行かなかった。
子どもたちで通路が混んでいたので。

ふもとの駐車場に戻ってきたとき、交通事故に遭遇した。横断中の若い女性をバイクがはねてしまった。命にかかわるような様子ではなかったが。はねたバイクは周囲の制止を降りきって逃げた。

その後はまっすぐホテルへ。市内中心からやや離れたTaj Residency。高級ホテルとして有名なタージ・グループだが、ここはビジネス仕様で、質素。価格も1泊Rs. 5,000ほど。もちろんインドではこれでも高級ホテルであることに変わりはないが、華美な感じはない。こういうところなので、今回は珍しく事前に予約していた。

疲れた。眠い(寝てないのであたりまえ)。ゆえにとりあえず部屋で休憩。

部屋は当然バスタブもついている。なので、浴槽にお湯をためて、湯に浸かることができた。いつ以来のことだろうか…。

しばらく横になったあと、歩いて外出して飲み物とスナックを調達(ホテル室内のミニ・バーは高いので)。

それから、ホテル内のレストランへ。屋外のバーベキュー仕様と、屋内の通常のレストランの2つがある。今回は屋内へ。ビール、エビのグレイビー、タンドーリチキン(違うかも)、ナーン。エビのグレイビーが美味。2人で計Rs. 2,300くらい。中級レストランから高級レストランの境界くらいの価格帯。

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右がエビのグレイビー。
しかし食べ方が汚い・・・。

1日目は終了。
わしはこんなとこ、きとうはなかった
(某大河ドラマより)
と言うのは大げさだが、本当はもっと本格的な旅行をしたかった。が、日程上3日間程度が限界という制約の範囲内で検討を行った結果、世界遺産であるエローラとアジャンターの石窟をターゲットとした旅程となった。デリーから航空機でアウランガーバードに赴き、そこを拠点にエローラとアジャンターを訪れた。


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JNUは12月上旬から1月上旬までの1ヶ月が冬休み。

学生は、故郷に帰ったり、旅に出たり、残って研究を続けたり。

昨年、チャンドラバーガー寮は、休みに入るなり、人が少なく寂しい状況になった。多くのインド人学生は故郷へ。ヨーロッパからの留学生はそもそも短期の留学生が多いので、学期が終われば帰るのが多い。アフリカからの留学生や、なぜか日本からの留学生は冬も帰らないのが多い。そして、南へ旅に出る。昨年は自分も、ゴアで1週間ほど過ごした。

ここブラフマプトラ寮の学生には、あまり動きがないように見える。人は大して減ってない。普段から授業がない人たちなので、休みに入ってもさほど変わらないということだろう。

さて今年の自分はというと。。。

いろんなプランがあった。

当初のプランは、パキスタン旅行。治安情勢悪化のため断念。さすがにあえて今は行かない。勇気と無謀は違う。

次は、スリランカ。およびタミル・ナードゥ。スリランカはたぶん今が旬。内戦が終わり、その後は思いのほか平穏。そのためかどうか知らないが、「冬はスリランカ」という人が多かった。自分もそんなことを考えて、スリランカ対岸のタミル・ナードゥ州とセットで、あるいはスリランカ単独で行くことを考えていた。だが、日程的に厳しくなった。どうせスリランカまで行くなら、せめて1週間くらいはほしい。それをやってしまうと、いろいろと間に合わないかもしれない状況になってしまった。

それから、東京遠征。用事があった。予算もあった。だが、時間も、何だかんだでお金も(経費が出るにしても)かかる。スケジュールを圧迫することは間違いない。悩んだ末、結局、やめた。帰国でリセットして気分転換、という考えもあったが、そうすると感覚が緩んでしまう恐れがあった。留学中の一時帰国の難しさについて、B大学のK先生から伺っていた話が頭を過ぎった。

東京を断念した時点で、短期の旅行が唯一実現可能なオプションとなっていた。諸事情に目を瞑って1週間くらいの旅行を敢行したい気もあったが、それは蛮勇というもの。自制した。

じゃあ、何処に行くか。

温泉?マナーリーまで行けばあるらしいが、あえて冬に寒い山に行くのは賢くない。

タミル・ナードゥ?大きな州なので、ここを見るには忙しい。

もう一度ケーララ?ケーララ北部のコーチンはすでに行ったが、南はまだなので、そこにピンポイントで行くという案もあったが、ハイ・シーズンのためか、飛行機が高いし、どうせケーララに行くならもっと日程がほしい。

で、結論は・・・
昨夜は、南デリーの中心からやや東、ムールチャンド(Moolchand)の立体交差の近くにあるイタリアンの店、フレイヴァーズ(Flavors)へ。

以前から何度か噂は聞いていたが、さほど近くはなく、また何かのついでに寄る場所でもなかったので、これまで実際に来たことはなかった。

交差点側の裏口から入ったためか、外見を見て「え?こんなにしょぼい店?」と思った。が、中はきちんと整っていた。狭いが、きれいで、サーヴィスも悪くない。この日は土曜夜ということもあってか、大変盛況であったが、サーヴィスはスムースに行われた。

価格帯は中間ランク。モダンなマーケットにあるレストランとして標準的な価格帯。アルコールなしならディナーで1人Rs. 1000くらい。

ただ、メニューの価格付けが、変わっている。不自然に価格の幅が狭い。つまり、メニューによる価格の差があまりない。たとえばエビのリゾットを頼んだが、これとチキンのリゾットの価格差が数10ルピーしかなかった。普通は倍近く違いそうなものだが。ドリンクもそう。ワイン1杯Rs. 300というのは妥当だが、ビール小瓶Rs. 200からというのはやや高い。

この日は、スパークリングワイン、ピッツァ、リゾット、パスタ(ペンネ)をいただいた。炭水化物ばかりだなぁ、というのは後の祭り(ただし1人で全部食べたわけではない)。

味は上々。ペンネはいまいちだったが、ピッツァとリゾットは合格点。特別美味しいとは思わないが、日本でもおそらく許されるレベルだと思う。


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先日こんなニュースがあった。
アーンドラ・プラデーシュ州の一部地域がテーランガナ州として独立することが決まった。この決定をめぐり、街頭でバスが襲撃されるなど治安が悪化・・・
街頭で市民が暴れて、バスが襲撃された。まあ、何となく分からないでもない。

しばらく前、デリーでもこんなことがあった。
ある地域で停電が頻発し、怒った一部市民がバスを襲撃・・・
ここまでくると、なぜバスなのか、インド事情に詳しい人でないとわからないだろう。なぜ電力会社事務所ではなく、バスなんだ、と。

理由は、日頃からバスが市民の憎悪の対象であるから。公道を我が物顔で暴走し、事故を頻発させているため、バスは嫌われもの。だから、何かあると真っ先に襲撃対象となる。

自分としても、デリー生活の最大の危険は、テロでも、健康被害でも、犯罪被害でもなく、バスだと思っている。それくらい、バスの運転は脅威だ。彼らが警察と癒着していて問題が起きたときにも処罰から逃れる連中がいるということも、市民の怒りを助長させているのだろう。

そういえば、最近デリー市バスの運賃が上がった。Rs. 3, 5, 7, 10だったところが、Rs. 5, 7, 10, 15に(たぶん)。それでも日本に比べれば激安だが、ローカル・バスは貧しい人の乗り物なので、利用者に与えるダメージは大きいだろう。


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プロフィール
HN:
toshi
性別:
男性
自己紹介:
2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
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