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インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
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今週はホーリーのある週。

ホーリーとは、インドの一大祭日。大変なことになる。らしい。

JNUでも教員や学生の中には故郷に帰ってしまう人もいるため、実質的には開店休業状態に近い1週間になる。らしい。一昨日の金曜日の授業後は、田舎に帰る人たちと「ハッピー・ホーリー!」と言いあって解散する流れ。すでに、自分の週6コマの授業のうち5コマが行われないことが判明している。今週の授業は、明日(8日)の1コマだけの予定。ただし、その他に研究会2つ。

この1週間が終われば、JNUでは残り2ヶ月、冬セメスターの終わりまでせわしない日々が続く。らしい。

また、気候も、一気に夏へ向かう。らしい。この最近の気温上昇の激しさは、かなりのもの。冬は温水シャワーを使い続けてきたが、昨日からは水のシャワーに切り替えた。水といっても、建物の屋上のタンクに一度蓄えられたぬるい水で、冷たくはない。

今セメスター中最後のまとまった休日となるこの週をどうすごすかについては、いろいろと考えてきた。まとまった日数の旅行や、立て続けの小旅行も検討したが、結局控え目な動きになりそう。週末に小旅行、それだけ。それ以外はヒキコモリ気味に過ごして、体力と学力を養う。つもり。

今住んでいるムニールカーがどういう状態になるかが少し心配。早くもホーリーに向けて浮足立った雰囲気がある。ホーリー用の水鉄砲が盛んに売られているし、フライングして色粉を投げつけ合っている子供も。

一緒になってバカ騒ぎに加わるか、やり過ごすか、それが問題だ。
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時刻は午後11時50分。室温、24.5℃。

もう夜もそれほど冷えない。ディナーに「たむら」で天ぷら(Rs. 680)を食べたあとの帰りのオート・リクシャーも、半袖で大丈夫だった。天ぷらでちょっと胃もたれ。

部屋で毛布にくるまってふるえながらPCに向かっていたのは、わずか2か月前のこと。

夏に向けて加速中。
最近、グルメ記事が少ない。グルメにうつつを抜かす余力がなくなりつつあるのが最たる理由。食の求道者でありたい、とは思うのだが。

しかし、現実にはメニューの定番化が進み、チャレンジが減りつつある。朝食は自室でコーンフレークwith牛乳、フルーツ(バナナとかイチゴとか)、コーヒー。ときとぎヨーグルト(Mishti doi, Rs. 7)も。ランチは学内の図書館裏のキャンティーンでマサーラー・ドーサー(Rs. 12)が定番。スペシャル・チャーイ(Rs. 4)といっしょに。ディナーは日替わりだが、平日は簡単に済ませることが多くなってきた。

アルコールは、だいたい毎日。ビールはフォスター(Foster, 大瓶でRs. 40)。ワインはスーラ(Sula, Rs. 500くらい)。ラム酒はオールド・モンク(Old Monk)。

今日はちょっと変わり種で、ギネス・ドラフト。ドラフトはクリーミーな方。440 mlで1本Rs. 190。高い。日本での値段は覚えていない。こちらではもちろん高価な品。酒屋で見つけたときに衝動買いしたが、実はそんなに好きではない。ヴァサント・プレイス・マーケット(Vasant Place Market)にて購入。ちなみに、このマーケットはオート・ワーラーにはそう言っても通じない。サンデー・マーケットとか、何かそんなふうに言っている。正確にはわからない。

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以下は、夕食の一例。デリー式パスタ風うどん。材料はうどん。作り方はパスタ。調味料は北インド。けっこうおいしくできた。やや乳化。

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午後2時からの授業(今日はリサーチ・メソドロジーの中間試験)に向かうべく、JNU構内を歩く。暑い。もう限界。ちょっと疲れていたせいかもしれないが、日中の暑さはかなり厳しく感じる。長時間は耐えられない。

2年前、初めてインドに来たのもこのころ。あのときも、すでにこのくらい暑かった。ついつい、当時に思いを馳せる。インドに来てからの半年はあっという間だが、2年前というと、だいぶ昔のように思える。当時のインド滞在、慣れない土地で、体調を崩し、いろいろと苦労したことはよく覚えているが。

ところで昨日(2日)、インドの下院選挙日程が発表された。4月16日から、5月13日まで。5回に分けて実施される。自分のような素人目には、何で1日でできないのだろうかと不思議に思えるが、もちろんそれなりの理由があってのことだろう。

5月中旬まで大学の授業があるため、選挙期間中はインドに居られることになりそうだ。学期末の時期に相当するので、じっくり観察することはできないだろうけど。

選挙の開始まであと1か月半。ということは、5月中旬の帰国予定まであと2カ月半。やっと帰れるという気持ちが全くないとは言わないが、焦りのほうがはるかに強い。それまでにやらねばならないことは山ほどある。
9/11(nine eleven)といえば、アメリカの同時多発テロのこと。アメリカと世界に衝撃を与えたあの事件は、9/11とだけ言えば、その事件の意味で通じる。同じように、26/11(twenty six eleven)という言葉がある。昨年11月にムンバイで起きた大規模テロのことだ。インド以外でどの程度使われていのかは知らない(おそらく使われていないのだろう)が、インドではすでにかなり流通しているように思われる。

11月26日が26/11というように日付が前になるのは、アメリカ式英語とインド式英語(イギリスもそうかな)の違いのため。アメリカでは月、日、年の順だが、インドでは日、月、年の順。

26/11から早3ヶ月。事件のインパクトは今も色濃い。市民生活への影響はともかく、政治的なインパクトが甚大であったことに疑いの余地はない。

早3ヶ月だが、視点を変えればまだ3ヶ月。書店でこの事件に関する本を見つけた時には、その早さに驚いた。

Harinder Baweja, ed., 26/11: Mumbai Attacked, New Delhi: Roli Books, 2009. Rs. 295. 216 pg.


ジャーナリストによる叙述的な作品。「なぜ」を説明するのではなく、「なにが起きたか」をまとめた本。事件そのものの展開を説明することに紙幅の大部分が割かれる。したがって学術的な関心に応えてくれる本ではないが、何かの役には立つかもしれないと思い、購入。

この本を見て(読んではいない)気になったのは、事件を美化しようとする傾向が感じられたこと。事件に現場で関わったインド側関係者を英雄視するようなところが見られる。9/11のときも同じような傾向があった。そのような心理が働くことは理解できる。だが、凶悪なテロリストに対峙する英雄たちという構図を際立てることには怖さも伴う。9/11後のアメリカを想起せざるを得ない。事件から3ヶ月、インド政府はきわめて抑制的な対応をしているが。

歴史の記憶という問題は、国際政治における1つの研究分野と言える。26/11が今後人々にどのように記憶されていくことになるかは、興味深い。

ちなみに、本書にはこの事件のテロリストたちの顔写真が掲載されている。もちろん1人以外はその場で殺害されているので、遺体の写真ということになる。
もうすっかり東京でも食材として定着した感のあるゴーヤー。思うに、東京で市民権を得てからの日はまだ浅い。高校の修学旅行で沖縄を訪れた折に初めて目にし、興味本位でゴーヤー・チャンプルーを注文したが、そのときは苦くてほとんど食べられなかったように記憶している。それがいつのまにやら、今では好きな夏の食材の1つとなっている。

ところで、「チャンプルー」というのは興味深い言葉だ。もちろん日本で「チャンプルー」といえば、沖縄料理のあれである。元々の意味としては、混ぜ合わせたものということらしい。そして、そのような意味を持つ同じ音の語が東アジアから東南アジアにかけて散在するのだ。インドネシア語にも同じく「campur」という単語があることを教えてくれたのはJNUのO氏。Wikipediaで見たところ、一説には、インドネシア語・マレー語を語源とするらしい。「チャンポン」も同じような意味だ。福建語由来説もあるらしい。いずれにしても、海を通じての東・東南アジアのつながりを感じさせてくれる。

ゴーヤーは熱帯アジア原産。インドでは主に南部でポピュラーな食材だが、ここデリーでも手軽に入手できる。スーパーの野菜売り場でゴーヤーを見かけたとき、ゴーヤー・チャンプルーをつくることを思いたってしまった。


1回目の挑戦。具材は、ゴーヤー、豆腐、卵。塩、コショウ、醤油、にんべん「つゆの素」で味付け。インドのゴーヤーもちゃんと苦い。豚肉がないため、もの足らない味。「つゆの素」は鰹節風味を補うべく投入したが、ちょっと違った。

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2回目の挑戦。1回目の具に、ベーコンと玉ねぎを追加。卵は6個Rs. 40の高級品を使用。豚肉も近くのスーパーで簡単に買えるのだが、ある程度まとまった量を買わねばならないので、今回はベーコンで代用。手元にあった玉ねぎもついでに入れてしまったのだが、ベーコンと玉ねぎに全体の味を支配される結果となってしまった。ゴーヤーも入ってるベーコン・玉ねぎ炒め、という感じ。

ゴーヤーの下ごしらえが面倒なので、自分で調理する機会はもうあまりないかもしれない。ところで、インド料理ではどう使われているのだろう。Wikipediaにはサブジなどに使われると書かれているが、これまで見たことはない。
(タイトルだけ見て誤解されると困るので予め言っておくと、自分が被害にあったという話ではない)

インドの旅行ガイドを開けば、そこにはさまざまな事件の被害体験談が盛りだくさん。初めてインドを訪れたときは(・・・そういえば、ちょうど2年前の今頃だった)、そのような事件やトラブルに遭遇することへの恐怖心でいっぱいだった。

時は流れて、実際にデリーに暮らして7ヶ月目に入る今、その警戒心はどうしても緩くなっているところがある。知識や経験を増し、リスクを避けるスキルが向上しているという側面もなくはないだろうが、それよりもやはり、これまで幸いにして自分が被害に遭っていないということが、警戒心を下げる単純な理由である。

ガイドブックで事件の話を読んでも、無関係な他人事としか思えないようになっていた。そう感じる理由としては、経験値の低い旅行者と自分は違う、という自惚れもあるのだろう。

だが、身近な人のトラブルの話を聞けば、さすがに印象は違う。最近、自分よりも明らかに経験値の高い2人のトラブルを聞いた。そのことは、弛んだ防犯意識に再活性化をもたらしてくれた。

先のカルナータカおよびケーララへの旅行の直前に、JNUの先輩であるアルカカット氏の「これでインディア」でスリ被害体験談を読んだ。このことは、旅行に向けて、留守中の自室の侵入犯対策と、旅行中のスリなどのトラブル予防策を再検討するきっかけとなった。

また、金曜日にはインド人のクラスメイトから、かなり深刻なトラブルの話を聞いた。これが今回の記事のタイトルにした、睡眠薬強盗の事例である。

彼は、1月中旬の祝日を利用して帰省し、デリーに戻る電車内で睡眠薬強盗に遭った。意識を失い、ラップトップを含めて身ぐるみ剥された。薬の作用が強く、今でもなお後遺症がある様子だった。そのせいで、約3週間もの間、授業を休むことになり、ようやく木曜日にデリーに戻れたとのことであった。

睡眠薬強盗については、話としては聞いたことがある。しかし、自分の身近な人、それも屈強な地元の人間がそのような事件の被害に遭っているという話はかなり衝撃的であった。現在の姿はかなり痛々しいのだが、少なくとも事件以前の彼の姿は、用心棒でも務まりそうな体躯であり、また性格的にも決して不注意なタイプではない。そんな彼が、そうした事件の被害者になり、甚大な損害を被ったことにショックを受けた。

このような被害に遭わないようにするためには、行動の計画段階と実行段階での警戒が可能である。旅行を例に取ると、行き先やルート、移動手段の決定という計画段階での警戒と、現場での警戒に分けて考えることができよう。現場でできる警戒は限られている。要するに、気をつけるしかない。自分の場合は、注意力に欠ける人間なので、現場での警戒には自信がない。そのため、計画段階でリスクを下げることが特に必要だと考えている。日本国内では航空機の利用を嫌っていたのにもかかわらず(東京=博多間新幹線移動が最たる例)、インド国内での移動に航空機を好んで使っている理由の1つには、(もちろん最大の理由は時間節約だが)バスや鉄道での移動よりも犯罪リスクが低いと考えていることもある。しかし、リスクをゼロにすることはもちろん不可能であるし、また金銭コストという代償も伴う。

誰だってトラブルには遭いたくない。しかし、トラブルを避けるがために、行動を抑制してしまうのももったいない話だ。今回のような機会に自分の防犯体制を見直し、できるだけリスクを下げるように努めながら、しかし行動的であり続けたいと思う。
金曜日の授業は3コマ。朝9:30から夕方5:30までみっちりになるはずなのだが、実際に3コマの授業がすべて実施されたことは今セメスターに入ってから1度もない。

その最たる原因は、1コマ目の授業の教員が授業をめったに行わないことにある。週2コマの設定だが、今週水曜日は教授のテレビ出演のため休講、金曜は出張中のため休講。ちなみに、水曜のテレビ出演に関して、学生には収録の観覧席に加わるように求めるメールが来ており、一部の学生はそれに応じて参加したとのことであった。だが、自分はそのことをあとになって聞かされた。どうやら、ヒンディー語での収録番組であったため、ヒンディー語を解さない私をそのような収録の「埋め草」に使うのは良くないという気遣いであった。参加した学生がいやいやであったのに対し、関心を有する自分が呼ばれなかったのは皮肉としか言いようがない。

ただし、その教員は授業ではなく個人的なコンタクトを通じて指導する方針で、決して教育をおろそかにしているわけではない。学生が教員の研究室や自宅を訪ねることに対しては常にウェルカムな態度であり、教員にとっては指導学生とのアポイントメントが最優先だ、と常日頃述べている。実際にその教員の下で学位論文執筆中の学生が、濃密な指導を受けている様子が伺える。学生がその教員の研究室に居座って論文を執筆しているのだ。コンピュータがないから、という理由ではない。こまめに指導を仰ぎながら、怠けることなく執筆をすすめるためだという。今日も研究室を訪ねると、教員は出張で不在であったが、学生がそこで教員のコンピュータを使って研究をしていた。

今日は2コマ目の授業が所属センター主催の研究会と重なったため、その授業も消滅し、結局1コマしか授業は行われなかった。

そこで、この記事の本題である、その研究会について。

報告者: Daniel Drache(York U., Canada)
テーマ: Defiant Publics and Neoliberalism's Five O'clock Shadow

ちなみに、「5時の影(five o'clock shadow)」とは、朝剃ったひげが夕方5時にはのびてうっすら影のように見えることを意味する慣用句である。
JNUの図書館裏の書店で本を漁っていると、店のおっちゃんがやたら汚い2冊の本を掘り出してきた。1つは30年前に出版されたもの、もう1つは55年前。いずれもアメリカで出版されたもの。値段はついていなかったが、2冊でRs. 1,000の提示。おっちゃん曰く、レアだから、とのこと。疑わしい。なんていい加減な値段だろうか。でもとりあえず購入した。bb25cbf0.jpeg

その内の1冊が、これ(右写真)。

Chester Bowles, Ambassador's Report, New York: Harper & Brothers, 1954.
 
著者チェスター・ボウルズ(1901-86)は、アメリカの在インド大使を2度(1951-53, 62-69)にわたって務めた政治家・外交官。コネティカット州知事(1949-51)や、ケネディ政権の国務次官(1961、当時は今と違い、国務省No. 2ポスト)も務めている。米民主党の大物と言えるだろう。

本書は最初のインド大使勤務の後に書かれたものである。

Amazon.comでチェックしたところ、何と10件もユーズド(中古)の出品がある。値段は$0.58から(もちろん送料が別にかかる)。55年前の本が今でもこれだけ残っているということは、かなり売れた本なのだろう。これだけ有名な本とわかっていれば急いで買う必要はなかったが、研究に関する本についてはチャンスを逃さないために躊躇わずに買うこと流儀としているので、後悔はない。

前書きをちょっと見ただけでも、売れた理由がなんとなく想像できる。平易な英語で書かれた文章がとても魅力的。口述筆記スタイルで書かれたのかもしれない。前書きの書きだしは、以下の通り。

アジアから戻ってたった3カ月でこの本を書くなんてことは、朝飯前だ!当時発見したことは、フレッシュでエキサイティングだった。問題点はまったく簡単で単純に思えたし、課題は明らかだと思った。

インドとネパールへの大使としての18か月からアメリカに戻った今、一番強い印象は、その課題と問題点がほんとうはすごく多面的で複雑だということだ。アジアの将来に唯一の、または簡単な解決策なんてないことは確かだ。そして、私はとても謙虚な気持ちで自分の考えをしたためている。

だが、将来、我々の時代の歴史は主にアジアで書かれると私は信じている。もしそうなら、そしてもしアメリカがその歴史を説きあかすことに建設的に参加することになるのなら、私のように世界最大の民主主義国の首都で目前にアジアを観察する機会を得た人には、アメリカの人たちに報告する義務がある。(p. ix)

わざと柔かく訳したところもあるが、雰囲気はこんな感じ。当時この本を手に取った人は、きっと関心をそそられただろうと思う。「アジア」という単語が緩く使われていることは気に食わないが、それはまた別の話。

構成は以下の通り。
今日のディナーに訪れたレストランは、グリーン・パークGreen Parkのメイン・マーケットの中心から東に少し歩いたところにある韓国料理店、Gung the Palace。初。

予約なしで訪れたところ、予備の小さな席しか空いていなかった。予約して訪れたほうがよい店のようだ。


こじんまりとした店構えだが、清潔感にあふれ、どことなく家庭的な雰囲気もただよわせる。韓国人のマネージャー、東洋系っぽい顔立ちのスタッフ(尋ねなかったが、インド北東部出身だろうか)、客は日本人と韓国人、きれいな店・・・。インドらしい要素に乏しい空間が形成されていた。

牛カルビ(Rs. 1,200)と石焼ビビンバ(Rs. 600)をいただいた(もちろんアルコールもある店だが、注文しなかった)。

韓国を訪れたこともなければ、日本の韓国料理店の利用経験すらほとんどないので、確かなことは言えないが、本格的な韓国料理なのだと思う。骨付きのカルビは、スタッフがテーブルで焼いてハサミで切り分けてくれた。カセット・コンロ(これは少し残念だが、しかたないのだろう)の上にクリスタル風の板を乗せ、その上で肉と野菜を焼く。しっかりタレにつけこまれていたであろう肉の味わい深さは、肉の脂のうまみを重視する日本の焼肉とはまた違う趣がある。やわらかく、甘みが強い。ビビンバはさすがに日本でも食べたことがあるが、具とご飯とタレをかき混ぜた結果に生み出される味の完成度の高さに大満足。ちなみに、ビビンバは量も多かった。

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半透明の石(?)の上で焼かれる牛カルビ

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まわりの付け合わせは全部サーヴィス

初めての本格韓国料理経験(たぶん)をインドですることになるとは・・・。

多くの韓国料理店がそうであるように、キムチなどの多彩な付け合わせがタダ(ただしキムチは嫌いなので食べない)。さらにご飯もサーヴィス。なんと、食後のフルーツ(パパイヤとメロン)とコーヒーもサーヴィス。

値は少し張るが、十分それに見合った満足を得られた。


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プロフィール
HN:
toshi
性別:
男性
自己紹介:
2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
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