インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
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2月上旬、早くも暑い。最高気温はまだ30℃未満なのだが、直射日光を浴びると、体感ではかなりの暑さになる。にもかかわらず、朝夕はしっかり冷えるので、服装が難しい。一日の温度変化が20℃近くにもなるという環境は、日本ではあまりないように思う。
今日は所属のセンターで研究会が行われた。自分の現在の研究テーマとは違うが、関連するテーマであり、非常に興味深かった。 もちろん、写真は何ら関係ない。寮の前の広場を通過していた牛の群れを撮影したものである。 以下、研究会メモ。 2009年2月4日 報告者:Ashok Maharaj (Ph. D. program, Georgia Institute of Technology) 題: Regaining Indian Prestige: The Chiniese Nuclear Test, NASA, and the Satellite Instructional Television Experiment (SITE) 報告者は例によってJNU卒業生。今はアメリカでPh. D.プログラム在学。今回の報告は1975年の米印間のテレビの衛星放送の協力に関するもの。報告者はNASAの国際関係を研究しており、インド、ブラジル、そして日本との関係を主に見ているとのこと。報告の前に挨拶に行ったところ、「こんにちは」と挨拶された。多少日本語ができるらしい。 1964年の中国の核実験の後、米NASAはインドに協力を打診した。1969年に合意され、1975年から1年間にわたって行われたのがこのSatellite Instructional Television Experimentである。技術的な詳しい話は省く(というか、よくわからなかった)が、要するに、NASAの協力の下で、インドでこの時代にテレビの衛星放送の実験が行われていたのだ。 報告は叙述的であり、時間の制約のためか依拠している資料も明らかにされなかった点は不満なのだが、報告者による分析以前に、扱われている事実そのものが興味深かった。 質問は「中国の核実験」→「SITE」→「インド核実験の遅れ」という因果関係を推定するものが多かったが、それは誤解である。それについては何も言っていない。報告者は、1次資料に基づいてこの事例を紹介しただけであり、それ以上のことは述べていない。その意味で、極めて慎重な報告であったのだが、出席者の中にはそのような姿勢をもの足らなく思う向きもあったようだ。 しかし、SITEとインド核実験の因果は対象外とするにしても、SITEの意図および政策的については明らかにされなければならないだろう。今回の報告の中では、1次資料から発掘した当事者の行動や発言を紹介していたのだが、それら物証から、結論に至る論理プロセスが(報告の中では)不明確であった。おそらく論文には記されているのだろうが。 [追記] 今回の研究会に関して、クラスメイトから「何を言いたいかよくわからなかった」という感想を多く聞いた。1次資料の発掘それ自体に重点の置かれた報告であったため、理論志向の強いセンターに所属する学生にとってはそう感じられるのだろう。 PR ![]() ![]() |
プロフィール
HN:
toshi
性別:
男性
自己紹介:
2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
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