インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
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1日目:10月15日(木)
旅立ちの朝は大概待ち遠しいものだ。期待と不安を抱きつつ、つい早く目を覚ましてしまうことなどが多い。 しかし今回はそうはいかなかった。旅立ち前にどうしても終わらせておくべき仕事が残っており、完全な徹夜で旅立ちの朝を迎えた。かろうじて朝6時ごろまでに仕事を終え、それから旅支度をあわただしく整えた。 朝8時、寮で朝食を済ませる。寮の朝食はパン食かインド料理メニューかを選べるようになっており、後者を選択することが常なのだが、この時点ではまだパン食しか準備ができていなかったため、やむなくパンにバターをつけて口に放り込む。寮で出されるパンは嫌いだ。これを食べるといつも、日本のおいしいパンが頭をよぎる。 タクシー(easy cabs)は前日に予約を済ませておいた。10時15分発のフライトから逆算して、8時30分に予約した。1時間少し前に空港に着く計算。あまり時間的余裕がないのは、このタクシー会社を信用してのことだ。 朝食を終えて、予約時間の10分ほど前に寮の前の広場に出た。同じ寮の韓国人学生と会話をして待つ。この人とは初めて話した。てっきりインド北東部の人だと思っていた。向こうも自分のことをそう思っていたらしい。 時間になっても車が見えないため、寮の前のバス・ロータリーまで出るが、車は来ない。 予約時間を20分過ぎても来ない。 おかしい。 タクシー会社に電話をして確認する。こんなときに限って回線が混んでいて、なかなかつながらない。ようやくつながって確認すると、なんと車はこちらに向かっていないという。タクシーの運転手が確認の電話を自分の携帯に入れたが、電源が切られていたため、キャンセルしたとのことだった。電源が切られていたというのは事実でない。電波の入りが悪かったか、運転手が嘘をついているかのどちらかだ。仮に前者だったとしても、SMSを送るなり、繰り返し電話をかけるなり、適切な対応を重ねるべきであったはずだ。このタクシー会社のシステムは信頼しているが、システムがしっかりしていても人が悪ければどうしようもない。 ともかく、すぐに車を向かわせた。それから20分ほど、9時20分ごろにようやく車が来た。急ぎ空港に向かうよう言ったが、この運転手は実に安全運転。普段ならば評価するところだが、なぜこの急ぐときに限って遅い。路上では同社のタクシーに追い抜かされた。それでも順調に9時40分着(タクシーはRs. 165)。フライト30分前。間に合った。 チェック・インもセキュリティ・チェックも空いており、余裕を持って搭乗ゲートまで間に合った。チェック・イン時に割り込みを試みる不届きものがいたが、一喝したところすごすごと引き下がり、他のカウンターに割り込みに行った。こういう場所のマナーを知らないのだろう。さて、チェック・インが遅れたために席が悪いのは仕方がないとしよう(3人席の真ん中)。しかも、出発は大幅に遅れた。1時間近く遅れて、11時ごろの離陸となった。 今回はJet Airways社のJet Konnect便。機内食が有料の会社だ。デリー発、バグドグラ経由のバグワティ行き。ほぼ満席。フライト自体は順調で、午後1時半ごろにバグドグラ空港に到着した。バグドグラで降りる客が多い。欧米系の客が多いのは、おそらく自分と同じくダージリンやシッキムを目指す人々なのだろう。 周囲は平地。緑豊かで、まるで東南アジアの様相。山に近い土地を想像していたので、予想外であった。 当然、暑い。 行き先を考えて服を多く持ってきているが、まだ着なくてよかった。デリーの空港では少し迷っていたのだ。降りるときを考えて長袖を着ておくべきか否かを。半袖のTシャツで正解だった。 この空港のセキュリティはかなり厳重。理由は後で。 空港のプリペイド・タクシーを利用し、最寄りの街のスィリグリー(Siliguri)へ。バグドグラ空港からスィリグリーのバス・ターミナルまででRs. 260。しかし、タクシーを降りたその周囲のバス・ターミナルは見えない。ジープはたくさんいるのだが。実は、タクシーの運転手がこの後どこへ行くのかと聞くので、ダージリンに行くつもりだと答えたところ、気を利かせてダージリン方面行のジープが集まる場所に降ろしてくれていたのだ。さりげなく気を利かせてくれた結果なのだが、これは余計なお世話というもの。ダージリンに向けて発つその前に、この街でやることがあるのだ。バス・ターミナル近くのシッキム州政府事務所でシッキム入境の許可書を得る必要があるのだ。 『歩き方』の情報にしたがって、「シッキム・ツーリスト・インフォメーション(Sikkim Tourist Information)」の場所を訪ねてまわったのだが、反応が芳しくない。シッキム方面行の旅行業者か何かを探していると思われたのかもしれない。サイクル・リクシャーを使って何とかたどり着いてわかったのだが、しっかりとした州政府のオフィスがあり、「シッキム・ツーリスト・インフォメーション」はその中の部署の名前にすぎない。なので、単純にシッキム州政府事務所の場所を聞くべきだったのだ。 シッキム入境許可証の申請。パスポートとビザのコピーと、それから写真1枚が必要。無料。コピーは自分で用意する必要がある。申請書類を記入して、外にコピーをとりに行って、戻ってそれを提出し、それから5分くらいで手続き完了。手際はよいし、対応もよい。ガイドブックもくれた。係官は当然東アジア系の顔立ち。なお、入境日を特定しておく必要がある。 無事に許可証を入手できた。ここでちょっと一息。ダージリンに向かう前に、ランチにしよう。 すぐ近くのレストランへ。パニール・マッカーニー(Paneer Makhani)とナーンのセット。とてもおいしい。あと、ちょっとリスクを感じながら、コールド・コーヒーを注文。 一息ついて、いざダージリンへ。考えられる移動手段には、バス、ジープ、タクシーがある。長距離バスはもう懲りている(参照)。実質2択だ。 シッキム州政府事務所すぐ近くのジープ乗り場へ。すると、すぐにジープの手配師が寄ってきた。乗合ジープは20分ほど待たねばならないと言う。同じ型のジープを1人で借りきればすぐに出発できて、Rs. 900とのこと。 少し迷ったが、ここは小銭をケチることよりも、時間(夕方までに着きたい)と体力(徹夜明け)のことを考えて、ジープを借りきることにした。 手配師と運転手が揉めている。「ダージリンまでRs. 500って、それはないよ…」みたいなことを運転手が言っている。手配師、取り過ぎ。手配師は自分に向かって、「この運転手はoldだから、チップを後で弾んでやってくれよ!」みたいなことを言う。ここで言う「old」は、おそらく経験豊富だよ、というアピールなのだろう。結果的に、運転手が丸めこまれた。ちなみに運転手は日本の農村のおじさんのような東アジア系の顔立ち。手配師は北インド的な若者。手配師の勝ち。 3時ごろ、ダージリンに向けて出発。 初めは平野部。茶畑、蛇行する川…。 しばらく行くと、裾野の景色。正面に、山脈が見えてくる。軍の基地や演習地の中を通り抜ける。富士の裾野を思い起こさせる景色だ。 徐々に山道に。狭く、舗装が酷い。そこら中に穴が開いており、穴は近くの河原から運ばれたであろう大きめの石で埋められるだけ。当然、激しく車は揺れる。借りきって良かった。 そして、完全な山道。蛇行する狭い山道を駆け、一気に標高を上げていく。がけ崩れ、道路が崩れている個所も多い。途中、滑落していた大きな岩石に車体をこすりながらかろうじて通り抜けられるところもあった。 標高差1,000メートルほどあったと思われる(後で調べたら2,000メートルもあった)。山道を囲んでいた木々は背の低いものの代わる。気温ももちろん下がる。Tシャツ1枚でスタートしたが、途中で長袖のパーカーをはおり、さらにショールを身にまとった。 出発から2時間ほどで、早くも太陽が沈みかける。山間は日の入りが早い。 山を登り切って山脈を越えると、向かいの山脈の中腹に街が見えた。あれがようやくクルシャン(Kurseong)の街だ。まだダージリンまでの道半ばか。 クルシャンの街からは交通量の多い国道55号に入り、世界遺産ダージリン・ヒマラヤ鉄道の線路と平行する。ここからは標高差は少ない。 あとで判明したことだが、クルシャンまでの激しい道は、いわば裏道。表の国道55号を使えば、これほど過酷ではない。この裏道は、それなりの体力がないと耐えられないだろう。 大きな地図で見る (国道55号は、スィリグリーから一旦西に向かい、川沿いを北上する。それに対し、今回利用した山道は、スィリグリーからまっすぐ北に向かう道。山々に正面から挑むルートだ) 午後7時、ようやくダージリン着。4時間もかかった。『歩き方』にはスィリグリーから2時間と書いてあるのだが…。遠回りしたわけでもないし…(むしろ近道)。クルシャンからの国道55号の混雑がなかったとしても、2時間で着くとは到底思えないのだが…。裏道がいけないのだろうか… ダージリンのジープ・ターミナルで降りる。チップは要求されなかったので渡さなかった。素朴なおじさんだった。 もう真っ暗。疲労困憊。『歩き方』掲載のデカリン(Dekeling)というホテルへ。 部屋はいくつか空いているようだった。一番高い部屋をチョイス(税込Rs. 1,900)。山小屋風で、設備は大して良くない。お湯もあまり出ない。それどころか、ダージリンは水不足で水すら危ういとのことだった。 チェック・イン時に、翌朝のタイガー・ヒル(Tiger Hill)見物のタクシーを手配(Rs. 600)。 夕食はホテル1階のチベット料理屋デカヴァス(Dekevas)。観光客で賑わっていたが、店員が少なく、サーヴィスは非常に悪い。注文は自分で紙に書く。その代わり、値段は安い。チリ・ポーク、バター茶、トゥクパを注文(Rs. 200)。かなり待たされた後、なぜかバター茶とトゥクパが先に出てくる。順番がおかしい(普通、麺類は後で、茶はさらにその後だ)。しかたないのでトゥクパを先に食べる。全然おいしくない。味が無い。塩を振りかけて食べた。バター茶は初体験。そういうものなのだろうけど、これもおいしくない。かなり遅れて出てきたチリ・ポークが実は一番マシだった。インド的でない、日本の中華に近い味付け。 飲み物を買って、部屋に戻ってすぐ就寝。シャワーを浴びる余力もなく、ダウンしてしまった。前日は寝てないし、仕方ないか。 PR
10月中旬のダージリン・シッキム遠征。いつものようにブログにアップするつもりが、だらだらと1カ月近く経過してしまった。そろそろ書いておかないと忘れてしまいそうなので、ここらで一気に書き出してみることにしよう…。
2009年10月15日~10月20日 ダージリン・シッキム遠征 2年間のインド留学も終わりが見えてきた。残りの月日を考えると、出来ることは限られてくる。旅行もあと数回だろう。そう考えたときに、どうしても留学中に行っておきたいところの1つが、ダージリン・シッキムであった。夏にも一度計画したが、そのときは航空券を取れずに断念した。今回は満を持して、早めにチケットも手配して迎えた。スケジュール的には厳しい時期だったが、雨期が終わり、かつ寒くなる前というこの時期・10月中旬に(かなり無理をして)5泊6日の旅程を設定した。 1日目:10月15日(木) デリー―(飛行機)→バグドグラ空港―(タクシー)→スィリグリー―(ジープ貸切)→ダージリン 2日目:10月16日(金) ダージリン観光―(シェア・ジープ)→ガントク 3日目:10月17日(土:ディーワーリー) ガントクおよび周辺観光 4日目:10月18日(日) ガントク―(シェア・ジープ)→ダージリン、観光 5日目:10月19日(月) ダージリン―(ダージリン・ヒマラヤ鉄道)→スィリグリー 6日目:10月20日(火) スィリグリー―(オート・リクシャー)→バグドグラ空港―(飛行機)→デリー
5泊6日のダージリン・シッキム遠征を終えて、デリーに戻った。
旅の詳細はいずれアップするとして、帰ってきたばかりの生の感想を記しておこうと思う。 自然環境のすばらしさももちろんだが、おそらくそれ以上に、人と文化に心動かされた。
ハリドワール・リシュケーシュ遠征 1泊2日の小規模旅行。
ガンガーのほとりの街、ハリドワールとリシュケーシュへ。 電車で行くつもりだったが、前日にチケットを取りに行くと、満席だった。 やむをえず、バスで。
アムリトサル旅行後編。
2009年8月1日から3日にかけてのアムリトサル旅行。
まずは1日目の様子から。 デリーからアムリトサルに入り、黄金寺院とジャリヤーンワーラー庭園を見る。
3月15日(日)
遅めに起きて、チェックアウトを済ませる。今日もO氏と合流。朝食はガンパティに程近いドルフィン・レストランへ。ここはホテルの屋上にあるのだが、見たところここのホテルはきれいで好感が持てる。オムレツやパンなどセットの朝食を注文。ちなみに、隣の席の客が、昨夜のヴァルナの客と同じ人だった。偶然というよりは、同じようなところを回っているから起こるべくして起きる出来事と解釈すべきなのだろう。 昨日不発に終わったマニカルニカー・ガートへ。おじさんが寄ってきて勝手にガイドを始める。後で金をせびられるのでこういうのは相手にしないのが通例なのだが、しっかり説明してくれていたので、このおじさんのガイドに委ねることにした。死体が運びこまれ、ガンガーの水に浸されてから、積まれた薪の上で焼かれる。3時間かかるらしい。火葬場を見下ろせる建物に案内され、そこで僧侶らしき人が祈りを奉げてくれる。その僧侶からは薪代が払えない貧しい人のために寄付を求められ、さらに案内してくれたおじさんからはガイド料を求められる。それぞれにわずかな金額を渡す(Rs. 100, Rs. 50)。不満そうだったが、大した抗議はなく、気が付いたら彼らは姿を消していた。ちゃんとガイドをしてくれたので、こちらとしては相応の金額を払ったつもり。ただし、薪がどこから運ばれてくるのかを尋ねるO氏の質問は、残念ながら回答を得られずじまいだったが。 その後もしばらくその建物から眺めていると、また違う人が現れて、勝手に説明を始める。金を払うつもりはまったくなかったが、無視しつつも話を聞いていた。最初は写真を撮るな、と言っていたが、なぜか途中から写真を撮れ、に変わった。おそらく、写真を撮らせてから金を請求するつもりなのだろう。薪代についてもいろいろ言っていたが、最初のおじさんとは全く違う金額だった。もちろん金は渡していない。 この場所でいろいろと考えされられたとか、そのような話をよく聞く。だが、残念ながら、自分にはそのようなことは起こらなかった。多くの人が強い印象を受けるのは、おそらくは、日ごろ忘れている死という現実を突きつけられるからなのだろう。 旧市街の迷路を抜けて、オート・リクシャーでサールナート(Sarnath)の遺跡を目指す。途中、ショッピング・モールにマクドナルドが入っているのを見つけてO氏が喜んでいた。ヴァーラーナスィー生活に1つの安らぎの場を見つけたようだ。 サールナートは、後で知ったが、『歩き方』によると、ガウタマ・シッダールタが最初に説法をしたところらしい。6世紀に造られたというダメーク・ストゥーパ(Dhamekh Stupa)がメイン(ストゥーパ=仏塔)。アショーカ王(紀元前3世紀)の建てた柱の遺跡もある。周辺には様々な寺があり、日本や中国、タイの寺院や、ジャイナ教の寺もある。しかし、信仰の場として訪れている人よりも、自分のように観光で訪れている様子の人が多かったようだ。時間の都合で、考古学博物館はパス。 併設のディア・パークのチケット売り場。 インド人Rs. 3、アジア系外国人Rs. 10、他の外国人Rs. 20。 こんな料金区分は初めて見た。 ストゥーパ アップで 4ヶ国語で書かれた石碑(ヒンディー、英語、南部の丸文字、日本語) オート・リクシャーでヴァーラーナスィー市街へ戻る。アメリカ系のホテル、ラディソン(Radisson)へ。2階のレストランへ入る。ランチのメニューは2種類のみ。コースが決まっていて、ベジかノンベジかを選べるだけ。2人ともノンベジ(Rs. 499)をチョイス。ドリンクは別で、ビールを注文。ドメスティック(インド国内産)のビールを注文すると、カールスバーグ(Carlsberg)の缶を薦められる。カールスバーグがドメスティック?インドで生産を始めたのだろうか。飲んでみたところ、たしかに良かった。 料理は基本的に北インド料理なのだが、アメリカ系ホテルらしい創意を感じた。4種類のソースが机上に用意され(醤油系、ピーナッツ系など)、薄手のローティーに玉ねぎと肉をのせて、ソースをつけて食べるように促される。そのように、ちょっとした捻りのある北インド料理。手ごろな値段で味が良く、デザートまでついて、非常に満足度の高いランチとなった。 ランチを終え、帰路に着く。ホテルの前でオート・リクシャーを拾おうとすると、リクシャーの中に座っていたおじさんが出てきた。 自「空港へ」 お「Rs. 400」 自「タクシー価格じゃん」 お「タクシーだから」 「え?」と思っていると、おじさんが別のタクシーを指さす。オート・リクシャーの運転手ではなかったらしい。しかも、値下げを求めたわけでもないのに、Rs. 300でいいと言う。安すぎると思って少し不安もあったが、乗ることにした。ここでヴァーラーナスィーに残るO氏と別れ、タクシーで空港へ。タクシーは安全運転でまっすぐ空港へ。不安は杞憂であった。おそらくは、空港で他の客を拾う予定がちょうど入っていたので、空車で空港に向かうよりは、安くてもいいから客を乗せたかったのだろう。空港に着くなり、運転手は出迎えの準備を始めていた。 狭く小汚い空港ターミナルでしばらく待つ。願わくは、この空港はもう二度と使いたくない。セキュリティ・チェックが長蛇の列となっており、しかもそこを抜けた後の待合室は席がいっぱいで座ることもできず、さらに待合室には売店もないというひどいところだった。あの待合室の状況は、だれか倒れてもおかしくない。 行きと同じスパイスジェットでデリーに帰る。帰りはRs. 3,800ほどで、他社と同じくらいの価格。日曜夕方のデリー行きということもあってか、席はほとんど埋まっていた。機内食がないのは行きと同じ。この価格でこのサーヴィスだと不満。1時間ほど遅れて、デリー着。 デリー国内線空港の新ターミナルに着。まだフル開業していない新しいターミナルにもかかわらず、早くもトイレの汚れが気になる。困ったものだ。空港内のイージーキャブス(Easycabs)のブースでプリペイド・タクシーを手配。バンガロールでの経験で、公営のプリペイド・タクシー・ブースよりも、民間大手のタクシーが良いことを学習しており、それを踏まえてのチョイス。JNUまでRs. 245。少し高めだが、きれいな車で快適な移動となった。 これにて2泊3日のヴァーラーナスィー旅行終了。1度は行ってみたいと思っていたその願望を果たすことができた。O氏の手助けもあり、要所をじっくり回りきることができた。その意味ではとても満足している。トラブルもなく、まともな食事にありつくこともできた。ホテルも悪くなかった。だが、正直なところ、もう一度行きたいとは思わない。インド国内旅行でそのような印象を抱いたのは初めてだ。街を歩けば悪臭が鼻をつき、リクシャーの運転手がまとわりつき、路地に入れば薬物の売人が頻繁に(そして気軽に)声をかけてくる。そのようなディープな世界を愛するならヴァーラーナスィーもいいところかもしれないが、自分は好きになれそうもない。ガンガーの神聖さを求めて訪れる人もいるのだろうが、それならヴァーラーナスィーである必要はなく、上流にもっとまともな別の都市がある。なんで日本人が好んでこの街を訪れるのかは、疑問として解消されずに残った。
3月14日(土)
6時過ぎの日の出をガンガーで堪能すべく、早起き。5時半ごろ部屋を出ると、外はまだ暗いし、ホテルのスタッフも誰も起きてない。O氏と合流後、ホテルに戻ってスタッフを起こし、ボートを手配してもらう。1時間でRs. 40。6時頃、薄明かりのなか、ボートはガンガーへ漕ぎだす。 ボートの漕ぎ手は12歳くらいの少年。最初、それよりも若い少女が同乗してきて、ガンガーに流す灯篭を売りにきた。家族の数だけ買えとか、1つRs. 50だとか漕ぎ手の少年が言ってくるが、1つもらい、Rs. 20だけ渡して帰らせる。本当はこの少女が昨日は1つRs. 10でこれを売っていたことを知っているが、少しは儲けさせてあげようとの思いが働いた。 ガンガーの日の出を見ようと思ったが、残念ながら曇り空。1時間のツアーが終わるころ、ようやく太陽が顔をのぞかせた。 この漕ぎ手の少年はやる気がないのか下手なのか、とにかく遅い。どんどん抜かされていく。解説も無理。流れてくる死体(の一部)を指さして「死体」と言うくらい。確かに言われないとわからないが。 有名なガンガーのボート体験を終えたが、正直なところ、特別に感じるところはなかった。 ガンパティの屋上のレストランでO氏とともに朝食。ここからの景色はよい。パンケーキ、オムレツ、コーヒー。コーヒーはとてもまずい。おそらくは安いインスタント。パンケーキも味がなかった。 徒歩でマニカルニカー・ガート(Manikarnika Ghat)の火葬場へ。屋外で死体が焼かれる様子に多くの日本人観光客が衝撃を受け、さまざまな思いを抱く場所として有名。訪れると、死体は運びこまれていたが、肝心の火葬はまだ行われていなかった。まだ朝8時ころで、早すぎたのだろうか。見物人の数も少ない。日本人観光客が他に2人いたくらい。しかたなく、次へ。 ヴィシュワナート寺院方面へ、旧市街の路地を行く。迷子。O氏はこのすぐ近くの語学学校(バーシャ・バラティBhasha Bharati)にて住みこみでレッスンを受けているので道がわかると思っていたのだが、ダメだった。しかも、迷った挙句に出た場所が、その語学学校。期せずしてそこにたどり着いたとき、O氏はさすがに少しショックを受けていたようだった。 せっかくなので、その語学学校を案内してもらう。「学校」といえるほどの施設ではなく、路地裏の少し大きめの家で、教室も開いているといった程度の規模。O氏が宛がわれている部屋も見せてもらったところ、なかなかきれいで広さも十分。JNUの寮よりはよほどいい。 現在地も把握できたことで、あらためてヴィシュワナート寺院方面へ。しかし、この日は大統領が来るということで交通管制が布かれ、厳重な警備状況となっていた。もちろん中へも入れず。 封鎖された一角を迂回して旧市街中心地に出て、サイクル・リクシャーを拾う。次の目的地、バナーラス・ヒンドゥー大学(Banaras Hindu University)へ。インドに来る前から何度も聞いたことのある有名な大学だ。今回のヴァーナーラスィー観光の目玉の1つ。 サイクル・リクシャーのままで大学構内へと入る。市街の喧騒とはうって変わって、落ち着いた雰囲気。扇形に区画され整然とした構内を進む。構造物はJNUよりもきれいな気がする。 まずは学内にあるヴィシュワナート寺院へ。旧市街の同名寺院とは別もの。靴を脱がねばならず、靴置場でRs. 5とられた。「ごるぴー」と言われて、はじめは何を言われているのかわからず、日本語で5と言っているのだと気付くまで時間がかかった。外国人価格なのだろう。訪れた人々が真剣に祈りを奉げている姿が印象的だった。 寺院の前に小さな商店が軒を連ねていたので、そこの飲食店で休憩。コーヒー・シェイクRs. 20。並びの本屋に寄ってから、この大学の図書館へ。部外者でも書類をその場で書けば簡単に入れる。中を一回り見学。歴史を感じさせる重厚な建築。所蔵資料も検索したが、自分にとってめぼしい資料はなさそうだった。 同じく構内にある美術館はこの日は休館日だったため、入れず。寺院の前でラッシーを飲んで一息つき、次の目的地をめざす。ガンガーの対岸にある、ラームナガル城(Ramnagar Fort)へ、オート・リクシャーでRs. 50(大学を出てから拾った)。 この間の道がひどい。ヴァーラーナスィーの道路の路面状況は概して酷かったが、このときの移動が最悪だった。ガンガーは浮き橋を渡ったのだが、ここがまたひどい。オート・リクシャーがかろうじてすれ違えるくらいの狭い橋。激しい揺れになんとか耐えて、ラームナガル城に到着。 この城に、わざわざ河を渡って訪れる価値はない。中の博物館(Rs. 15)も、城自体も。『歩き方』は博物館を「見ごたえあり」としているが、まったく同意しかねる。しいて言えば、城から見るガンガーは悪くない。 城の見物を終えたころにはすでにランチタイム。市街に戻って昼食をとりたいが、早朝からの活動で疲弊しており、再びオート・リクシャーに揺られて橋を渡り、酷い道を通って戻るのは何としても避けたかった。そこで、あるのかどうかもわからなかったが、ボートで戻ることを提案。乗り気でないO氏をなんとか説き伏せ、岸へ。すると、観光客を相手にしているガートのボート漕ぎとはまた違う、漁を生業としていると思われる人々がいた。交渉の末、Rs. 150で対岸のガートまで送ってもらうことに。朝のボートに比べてずいぶんと高い。しかし、ガンガーの涼しげな風を受け、悠然と景色を眺めながらのこの移動は悪くなかった。朝のボートの少年とは違う歴戦のおじさんが漕ぐにもかかわらずそれなりに時間もかかったし、Rs. 150というのもそんなに悪い値段では無いように思えた。 アッシー・ガートというところで上陸。そこからは徒歩で、また日本食レストランをめざす。途中また迷子になり、さらに日本語を操る少年にだまされそうになりながらも、なんとかたどりつく。 『歩き方』にも紹介されているしゃん亭。豚汁そばを注文。豚汁に麺とじゃがいもが入ったメニュー。おいしくない。麺に至っては、何の麺なのかすらわからなかった。風味がなく、蕎麦なのか、うどんなのか、はたまた別の何かなのか、わからない。値段は安い(Rs. 100未満のメニューばかり)が、味もそれ相応。O氏が注文していたかつ丼も、彼の様子からするに、あまり良くなかったようだ。 ここは店員が日本人。日本語で接客され、とまどう自分とO氏(とくに後者)。考えてみれば、日本人が店員として接客してくれる店なんて、インドに来てから初めてだ(オーナーが日本人とか、シェフが日本人ならある)。会計を頼むのは日本語でなんて言えばいいか、などということを真面目にO氏と議論してしまった。 併設のインターネット・コーナーを利用してから、旧市街中心地方面へ戻る。O氏と別れ、ホテルへ戻る。シャワーを浴び、身を泡で包んで洗っている最中に、何と水が止まってしまった。困った状況。バスタオルを巻いて部屋から顔を出し、ホテルのスタッフに告げる。すると、すぐにポンプでくみ上げるから5分だけ待って、との対応。実際に5分くらいで復旧した。 しばらく休憩したのち、再びO氏を合流し、夕食へ。ヴァーラーナスィーで一番おいしいものを食べようということで、高級ホテルであるタージ・ガンジスをめざす。だが、オート・リクシャーが連れてきたホテルは名前が違う。ザ・ゲートウェイ・ホテル(The Gateway Hotel)。確かにタージ・グループのホテルだ。名前が変わったのだろうか。 そこのレストラン、ヴァルナ(Varuna)へ。ビールから初めて、スープ、グレービー(汁モノ)2品、ナーン、デザート、締めのコーヒーまで、単品をコース仕立てに注文していった。チキンを使ったグレービーが特によかった。インド料理というよりも、イタリアンのような味わい。全体的にスパイスが控え目なのは、こういう外国人向けのところの共通する特徴。コーヒーは強烈な酸味と苦み。ただし香りは弱い。これはインドの豆の特徴なのだろうか、こういう傾向がある。 デリーの高級レストランでこの注文をしたら大変な値段になるが、ここでは1人Rs. 1,000弱で済んだ(税込、サーヴィス料は含まず)。ヴァーラーナスィーは物価が安い。 格調ある高級ホテルから、川岸の安ホテルへと戻る。2日目はこれにて終了。
3月13日(金)
正午、自宅発。空港へ行く前に、ヴァサント・クンジにあるビッグ・バザールというスーパーで着替え用の下着を購入。洗濯物を預かったドービーがホーリー休暇から戻ってきておらず、手持ちの下着が底をついていたため。 ビッグ・バザールからオート・リクシャーで空港へ。Rs. 100。Rs. 120と言われたのをRs. 100に値切ってしまったが、あとで思うとRs. 120くらいで適切だった。値切りすぎを反省。 空港着。前回(南インド遠征)同様、古い国内線ターミナル(1B)。前回も利用した軽食店が模様替えしていた。Mc Indianから、BUNO and KAFFAへ。コーヒーに重点が置かれたようだが、軽食メニューは変わってないと思われる。じゃがいものバーガーとコーヒーを注文。味は前回のムンバイー・マサーラーの方が上。 今回のフライトは往復共にスパイス・ジェット(spicejet)を利用。帰りはRs. 3,800くらい(諸経費込み)で同じくらいだったが、なぜか行きが異常に安かった。Rs. 1,800(諸経費込み)ほど。安さにつられて、初めてのスパイス・ジェット利用。
カフェの前にチェック・インは済ませた。早かったためか、カウンターはガラガラだった。カフェで一息ついた後、しばらく待つ。午後2時半発の便で、時刻は2時近くになっていたが、なかなかセキュリティ・チェック開始の案内が出ない。痺れを切らせてセキュリティ・チェックに行くと、すでにこの便の乗客はセキュリティ・チェックに進んでいた。案内表示が遅れていたようだ。順調に搭乗も済み、予定の15分遅れで出発。機内はほぼ9割の入り。この時期のヴァーラーナスィー行きということで日本人観光客が多いと予想していたが、さほどではなかった。見たところ、3~4人だろうか。格安便のため、機内食はなし。ジュースをRs. 50で購入。サンドイッチはRs. 100で販売されていた。短時間のフライトなので、機内食はなくていい。その分安ければ。 スパイスジェット機内の様子
フライトは予定通り、1時間ほど。出発の遅れに応じて15分遅れで到着。ヴァーラーナスィー空港。小汚い空港。ターミナルの隣に建設中の建物があったが、新ターミナルだろうか。到着ロビーから外に出て、手配しておいたホテルのタクシー・ドライバーを発見。他にも客がいるらしく、車に案内されたあと「5分待て」と言われる。インド人の「5分待て」は20分を意味するというのがこれまでの経験に基づく定石であったが、ここでは本当に5分だった。きれいな車で、エアコンを必要以上に効かせて、市内を目指す。途中、市街地の路地を進む。辛うじて車が通り抜けられるような路地で、人と牛を押しのけながらドンドン進む。ホテルのあるヴァーラーナスィー市街中心部は車が入れないため、少し手前で下車。ホテルのポーター(という語は適さないが)が迎えに来ていた。そこからは徒歩。延べ1時間ほどの移動であった。 市街の混沌とした様子、そして街を満たす異臭には、初めてインドを訪れたときを想起せざるをえなかった。初めてインドを訪れ、いきなりパハール・ガンジに連れてこられた時の衝撃。その経験が久々に蘇った。さらに強烈なスケールで。 ホテルはガンパティ・ゲスト・ハウス(Ganpati Guest House)。旧市街の中心、ガンガーのほとりに位置する。客は見たところ外国人観光客のみ。ゲストブックを見ると、日本人観光客も同じ日に泊まっていたようだ(遭遇なし)。スタッフはとても親切で、外国人観光客受けするのがよくわかる。建物や部屋それ自体はボロいが、きれいに掃除されている。利用したのはRs. 800の部屋。テレビ、エアコン付きのダブル。この界隈ではかなり高いほう。部屋の清潔さ、立地の良さなどを考えると妥当な値段と思えた。 チェック・イン時に宿泊代とタクシー代(Rs. 600)をすべて支払ってしまったため、手持ちのお金がほとんど尽きてしまった。そこで、ホテルのレセプションで場所を聞き、銀行のATMへ。地図を書いて丁寧に説明してくれた。ガンガーのほとりを歩き、ガート(堤)を上り、旧市街ど真ん中でお金を下ろす。その後ホテルに戻り、シャワー。温水はほとんど出なかった。冷水も勢いが弱い。 O氏と合流して夕食へ。ガンガー沿いのガートで待ち合わせ。その時は、ちょうど名物のプージャーと呼ばれる礼拝が行われていた。祈りを捧げる火のパフォーマンスといったところか。 当然地元の料理を案内してくれると思いきや、O氏のチョイスは日本食のイーバ・カフェ(I:ba Cafe)。まあそれも悪くない。徒歩で30分くらいかかっただろうか。結構遠かった。途中、声をかけてくるサイクル・リクシャーはとんでもない値段で吹っかけてくる連中が多かった。 イーバ・カフェ。オーナーは日本人らしい(『歩き方』)。ということは、「イーバ」とは「飯場」のような日本人名から来ているのだろうか。確認しなかったが。とてもきれいな店で、インド、それもヴァーナーラスィーにいるとは思えない感じ。日本語メニューも用意されている。注文したのはマトン肉の丼(たしかRs. 120くらいだったはず)。牛丼で、牛肉の代わりにマトンを使ったような料理。肉はやわらかく、味付けも程よく、とてもおいしかった。値段も手ごろ。味噌汁や抹茶シェークもよかった。南インドの豆を使ったコーヒーというものを試したが、これはいまいち。香りがない。 この手の安い日本料理屋は、北デリーにはあるらしいが、南デリーにはない(少なくとも知ってる限りでは)。近くにこの手の店があればいいと思った。 ホテルに戻り、翌朝に備えて早々と就寝。テレビでは日本アニメ入っていた(もちろん翻訳)。ドラえもんのつぎは、こち亀だった。これらアニメを見て育ったインドの子供たちが、日本語や日本のことに興味をもってくれたらいいな、と思う。
2009年3月13日から15日にかけて行ったヴァーラーナスィー旅行。ホーリー・ウィークで金曜日の授業がなかったことを利用して、3日間の日程を確保した。ヴァーラーナスィーに魅力はとくに感じていなかったが、JNUの友人のO氏が所用で長期滞在している機会に、一度は訪ねておくことにした。
3月13日(金) デリーからヴァーラーナスィーへ 3月14日(土) 市内観光(ガンガー、BHUほか) 3月15日(日) ヴァーラーナスィー・サールナート観光、デリーへ帰る |
プロフィール
HN:
toshi
性別:
男性
自己紹介:
2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
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