インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
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12月15日(火)
2日目はアジャンターを攻める。前日と同じClassic Travelで車をチャーター(Rs. 1,800)。8:30にスタート。 アジャンターの石窟群までおよそ片道2時間。プラス朝食休憩30分。11時頃に到着。エローラとは違い、車で石窟近くまでは入れない。駐車場からバスに乗り換える。あたりは土産物屋が立ち並んでおり、売り子がつきまとってくる。しかしさほど押し付けがましくなく、不快度は低い。しかもなぜか、「あとで」とばかり言ってくる(日本語で)。すぐに店に引きこもうとはしないのだ。 バス(Rs 12)で石窟入り口近くへ。そこでチケットを買い(Rs. 250、外国人価格)、歩いて巡る。計30の石窟がある。 ちなみにインドの世界遺産はタージ・マハル(Rs. 750)を除いてどこも統一価格。 アジャンターの石窟は、紀元前1世紀から紀元2世紀(=前期)、ならびに5世紀後半から6世紀(=後期)にかけて作られた仏教寺院。
石窟を巡る途中で、ダルビッシュに似ている人を見つけて、「あの人ダルビッシュに似ているね」のようなことをO氏に話していた。後で(その日のランチ、翌日の空港および飛行機でも遭遇)わかったのだが、その人は日本人観光客のガイドで、日本語ペラペラだったので、こっちの話していたことを理解していたかもしれない。別に悪口は言っていなかったので構わないが、気まずい。敷地内のマハーラーシュトラ州政府観光局のレストランで昼食。チキン・ターリー(定食、Rs. 120)とビール(Rs. 125、Foster大瓶とパパド2枚)。メニューでは、なぜかビールだけが大きな文字になっていた。しかもビールを注文すると、無愛想な店員に「Good」と返された。 駐車場に戻るとき、土産物屋との間でちょっとしたトラブルがあったが、自分のことではない(つまり同行のO氏のトラブル)のでここには書かない。 その後はまっすぐホテルに戻る。4時半着。 ホテルで一息。せっかくの一流ホテルなので、フィットネス・ルームも利用。マッサージも検討したが、高くて心が折れた。 夕食は、Rama Internationalというホテルのレストランで。宿泊料金はTaj Residencyよりやや安いくらいで、ここでは十分に高級なホテル。移動はオート・リクシャーでRs. 80。7時過ぎに着いたが、まだ7:30オープンだったのでしばらく待った。Taj Residencyのレストランはだいぶ早くから開いていたが、7:30はむしろインド的には普通。 Rs. 550(税別)のビュッフェ・スタイルを選択(通常のオーダーもできるが割高)。トマト・フィッシュ・マサーラーと、パニール・バター・マサーラーが美味しかった。いずれのメニューも無難に美味い。しかし食後のコーヒーは最低レベル(無味無臭)。まったく香りがしないので、自分の鼻がおかしいのかと思ったくらい。 帰りのオート・リクシャーはRs. 50。デリー暮らしの感覚からすると、安すぎる気がするのだが、運転手の提示額が初めからRs. 50で、追加の要求も何もなかった。 ちなみに、この街のオート・リクシャーは幌がカラフルだ。黒が基本なのだが、赤、紫、青、黄緑、白…。2色のコンビネーションもある。個性豊か。 PR
12月14日(月)
旅たちの朝を徹夜で迎えるのが習慣となりつつある。悪い習慣だ。今回は、やるべきことがあったのも確かだが、早朝のフライトのために未明に起床できる自信がなかったので、前日に昼寝をとり、夜は寝ないことにした。最近寝起きが悪いので。 午前3時に一仕事を仕上げてメールで送信し、旅の支度を始める。4時半ごろにタクシー(Radio Taxi)でやってきた今回同行のO氏と合流し、空港へ。 今回のフライトは、5:40デリー発7:45アウランガーバード着のJet Lite便。フライトの1時間ちょっと前には空港に到着した。チェックインカウンターはやや混雑していたが、セキュリティ・チェックはガラガラで、余裕をもって搭乗準備完了。Costa Caféで軽めの朝食にマフィンとカプチーノ。 出発はほぼ定刻。機内の飲食は有料。サンドウィッチを食べたが、非常にまずかった。 到着もほぼ定刻。アウランガーバード空港。到着したその機体以外に航空機が見当たらないような小規模空港。ターミナルはそこそこきれい。機能と比較して無駄に大きなターミナルは、アムリトサルを連想させる。 気温30度弱。それほど暑く感じない。下はデニム、上は長袖のシャツを着ていたが、それでちょうどいいくらい。 ターミナルで声をかけてきた旅行会社のおじさんに従い、8時間Rs. 950で車をチャーター。市内とエローラ観光込み。名刺を受け取ってから気づいたのだが、『歩き方』や『ロンプラ』オススメのClassic Travelという会社だった。ちなみに、市内行きだけならRs. 200とのこと。 空港から1時間弱。エローラ石窟群に到着。都市間を結ぶ主要路線の路面はそれなりにちゃんと整備されていた。辺りは思いのほか緑が多い。農業はあまり盛んな感じはないが、平地には草や木が生い茂り、ヤギや牛の放牧や、場所によっては綿花の栽培。台地には草が茂り、ポツポツと木もある。ゆったりとそびえる岩盤台地には、平行に地層が走る。街道沿いの樹木は、デリー近郊の比較的新しいそれとは違い、かなり年季が入っている。 エローラは6世紀から9世紀ごろにかけて、岩盤をくりぬいて作られた石窟。全34。便宜上番号が振られており、1から12が仏教、13から29がヒンドゥー教、30から34がジャイナ教というそれぞれに異なった宗教の遺跡となっているらしい。見た実感として、そうした違いの重要性は正直なところよくわからない。 入場料はRs. 250(外国人プライス)。初めにジャイナ教石窟群(34→30)を見て、それから車で移動し、残り(ヒンドゥーと仏教、29→1)は一気にまとめて見た。車で石窟のすぐ近くまで行けるとはいえ、かなりの距離を歩くことになる。暑い時期には厳しいだろう。 第34窟からスタート。
まずはジャイナ教。 狛犬? このあたり(第29窟)からヒンドゥー。おそらく。 遊泳・沐浴禁止。 と言いたかったんだと思う。 ただし綴り(Sweeming?)が残念。 エローラ石窟群の目玉、第16窟Kailasanatha寺院の入り口。 ここはさすがに人が多い。 ここまで第16窟。 このあたりで、実はカメラの電池がご臨終。予備もあったが車の中。売り子もいたが、Rs. 40の電池をRs. 150でふっかけてきたので買わなかった。「それは通常Rs. 50、今は(キャンペーン中で)Rs. 40の電池だろ」と言ったが、Rs. 70までしか下げてこなかった。電池はしばらくあとにちょっとだけ復活。
仏教遺跡には、東アジア系の観光客が多かった。「北京〇〇大学」のTシャツを着た韓国人(言葉からして)とか、もちろん大勢の日本人とか。第16窟は特に、学校で引率されて来ている子どもたちが多かった。 以下仏教。カメラの最後の力を振り絞った数枚。 ちなみに、今回の旅先であるアウランガーバード、エローラ、アジャンターでは、日本語を操る地元民がとても多かった。仏教に関連する重要な遺跡を擁するこの地なので、日本人観光客が相対的に多いのだろう。 エローラ石窟入り口からすぐ近くのレストランでランチ。観光客向けの清潔感があるレストラン。値段も安くない。まずはCold Coffeeで一息。食事は、ココナツのグレイビーとチキンカレーに、バター・ナーン。チキンカレーは日本のカレーに近い味。全体的に量が少なく味が薄い。インドっぽくない外国人観光客向けのインド料理といったところだろう。 車はアウランガーバード方面へ。途中、ダウラターバード(Daulatabad)の砦に寄る。天然の岩山を利用した要塞。Yadav王朝の首都であった12世紀末に作られたらしい。そのあたりの歴史はまったく知らない(インドにいる自分よりも、日本にいる世界史好きの高校生のほうが詳しいかもしれない)。 ふもとの駐車場から、頂上の砦まで片道1時間くらいかかるらしい。だが、ガイドブック売りの助言に従って、途中までしか行かなかったので、1時間超で観光を終えた。 印象は、優れた要塞。遠目に見たときには、この地形では水の調達が不可能ではないかと思ったが、実際には水利の仕組みと大型貯水池を備えていた。 入り口付近。 奥に見える塔Chand Minarは比較的新しい。 とはいっても15世紀前半。 巨大な貯水池Hathi Haud。像のタンクの意味。 水を引くシステムもあったらしい。 砦の中の寺院Bharat Mata Temple。 同。 うし。リラックス感が好き。 外国人観光客はほとんどいなかった。 中腹からの見晴らし。 おさる。 外に空堀。内に水堀。 さらに上から。 平地は緑が多い。 中腹から砦を見上げる。 上までは行かなかった。 子どもたちで通路が混んでいたので。 ふもとの駐車場に戻ってきたとき、交通事故に遭遇した。横断中の若い女性をバイクがはねてしまった。命にかかわるような様子ではなかったが。はねたバイクは周囲の制止を降りきって逃げた。 その後はまっすぐホテルへ。市内中心からやや離れたTaj Residency。高級ホテルとして有名なタージ・グループだが、ここはビジネス仕様で、質素。価格も1泊Rs. 5,000ほど。もちろんインドではこれでも高級ホテルであることに変わりはないが、華美な感じはない。こういうところなので、今回は珍しく事前に予約していた。 疲れた。眠い(寝てないのであたりまえ)。ゆえにとりあえず部屋で休憩。 部屋は当然バスタブもついている。なので、浴槽にお湯をためて、湯に浸かることができた。いつ以来のことだろうか…。 しばらく横になったあと、歩いて外出して飲み物とスナックを調達(ホテル室内のミニ・バーは高いので)。 それから、ホテル内のレストランへ。屋外のバーベキュー仕様と、屋内の通常のレストランの2つがある。今回は屋内へ。ビール、エビのグレイビー、タンドーリチキン(違うかも)、ナーン。エビのグレイビーが美味。2人で計Rs. 2,300くらい。中級レストランから高級レストランの境界くらいの価格帯。 1日目は終了。
JNUは12月上旬から1月上旬までの1ヶ月が冬休み。
学生は、故郷に帰ったり、旅に出たり、残って研究を続けたり。 昨年、チャンドラバーガー寮は、休みに入るなり、人が少なく寂しい状況になった。多くのインド人学生は故郷へ。ヨーロッパからの留学生はそもそも短期の留学生が多いので、学期が終われば帰るのが多い。アフリカからの留学生や、なぜか日本からの留学生は冬も帰らないのが多い。そして、南へ旅に出る。昨年は自分も、ゴアで1週間ほど過ごした。 ここブラフマプトラ寮の学生には、あまり動きがないように見える。人は大して減ってない。普段から授業がない人たちなので、休みに入ってもさほど変わらないということだろう。 さて今年の自分はというと。。。 いろんなプランがあった。 当初のプランは、パキスタン旅行。治安情勢悪化のため断念。さすがにあえて今は行かない。勇気と無謀は違う。 次は、スリランカ。およびタミル・ナードゥ。スリランカはたぶん今が旬。内戦が終わり、その後は思いのほか平穏。そのためかどうか知らないが、「冬はスリランカ」という人が多かった。自分もそんなことを考えて、スリランカ対岸のタミル・ナードゥ州とセットで、あるいはスリランカ単独で行くことを考えていた。だが、日程的に厳しくなった。どうせスリランカまで行くなら、せめて1週間くらいはほしい。それをやってしまうと、いろいろと間に合わないかもしれない状況になってしまった。 それから、東京遠征。用事があった。予算もあった。だが、時間も、何だかんだでお金も(経費が出るにしても)かかる。スケジュールを圧迫することは間違いない。悩んだ末、結局、やめた。帰国でリセットして気分転換、という考えもあったが、そうすると感覚が緩んでしまう恐れがあった。留学中の一時帰国の難しさについて、B大学のK先生から伺っていた話が頭を過ぎった。 東京を断念した時点で、短期の旅行が唯一実現可能なオプションとなっていた。諸事情に目を瞑って1週間くらいの旅行を敢行したい気もあったが、それは蛮勇というもの。自制した。 じゃあ、何処に行くか。 温泉?マナーリーまで行けばあるらしいが、あえて冬に寒い山に行くのは賢くない。 タミル・ナードゥ?大きな州なので、ここを見るには忙しい。 もう一度ケーララ?ケーララ北部のコーチンはすでに行ったが、南はまだなので、そこにピンポイントで行くという案もあったが、ハイ・シーズンのためか、飛行機が高いし、どうせケーララに行くならもっと日程がほしい。 で、結論は・・・
気分転換に、デリー市内でちょっと遠足。
ネルー・プレイス(Nehru Place)近くのロータス・テンプル(Lotus Temple)。奇妙な近代的建造物を遠くから見たことはあったが、接近するのはこれが初めて。デリーの観光スポットの1つにもなっている有名な場所だ。 公園の入口には、続々と観光バスが止まり、どんどん人が運び込まれてくる。(自分はJNUからオートで。Rs. 80) 正式にはBahai House of Worship。Bahaiというのはイランの宗教、だそうだ(参照)。知らなかった。 しかしここを訪れている人を見ると、宗教的には多様。ややシク教徒が多いような気がする。外国人観光客は非常に稀。 中に入る前、靴を脱ぎ、それから2列に並ばされる。何かと思えば、説明をしてくれるだけだった(英語とヒンディー語で)。「中はお祈りの場所なので、静かにしてね。好きなだけ居ていいですよ」みたいなこと。 中は講堂になっている。ほとんど宗教性は感じられない。唯一狭い天井部に、何やらアラビア文字の文様があったが。 要するに、宗教を問わない祈りの場ということらしい。しかし、実際にはほとんどの人が見物をして退場している。なので、結局何のための施設なのか、よくわからない。見たところ、巨大建築物を物珍しそうに観察する人たちしかおらず、現代の宗教施設としては意味を成していないと思うのだが。 何らかの戦略的意図があるには違いないのだろうけど。。。
昨日、もう1カ月近く前になってしまった旅の記録を書き出してみた。旅の間毎晩付けていたメモと、レシート類と、写真とを手掛かりに。
旅の初日のメモ書きの最後には、一言、「謙譲」と書きつけられていた。 初日から違和感として感じ、その後も旅の間、しばしばこのことを感じ、考えていた。 なぜ、スィリグリーからダージリンまでをたったRs. 500で走らされた運転手は、自分にチップを要求しないのか。 露店の店員は、どうしてこんなに腰が低いのか。 タクシーの運転手も決してふっかけてこない。 チャーターしたタクシーの運転手は、約束の時間に遅れてなんかないのに「遅れてすまん」とあやまってきた。 今回の旅の間に出会った東アジア系の顔立ちの人々(残念ながら、見分けはつかない。ネパール系、シッキム系、チベット系など)は、謙譲と誠実の精神に充ち溢れているように見えた。 デリーの人々が誠実でないと言っているのではない。しかしデリーに謙譲の美徳はないと思う。 強くあることを要求されるデリーとの違いに、初めは戸惑い、そして親しみを感じた。おそらく、日本の文化との共通性を見出していたのだろう。 しかし、次第に、その共通性への疑念が募った。本当にそうだろうか、と。もはや東京には残存しない過去の美徳を、あるいは過去にも存在していなかった想像上の美徳を無理やり重ね合わせているだけではないのか。 ダージリンやシッキムへの愛着を感じさせたのは、彼ら現地の人々の性質のためか、それとも類似性を勝手に見出そうとする自分の思いのためか。おそらくは両方。 また、文化の背景についても思いをめぐらせた。 おそらくは閉鎖性ゆえ。 狭く、閉ざされた社会ゆえに、たがいに抑制し、衝突をさける。そうした合理性に基づいて発達した文化なのではなかろうか、と。日本のいわゆる村社会のように。きっと、それゆえの難しさもあるのだろう。
10月19日(月)
7時にチェック・アウト。とはいっても鍵を渡しただけ。結局パスポートのチェックはなかった。 今日は鉄道で移動。それだけで終わってしまうだろう。 昨夜と同じレストランGlenary’sのカフェの方へ。まだ店内で食べることはできなかったので、マフィンをテイクアウト。このとき、また昨夜の日本人一家と遭遇した。 朝食を食べ損ねた分、早く駅に着いてしまった。すぐ隣にゴンパがあったので、そちらを見学。 しばらく駅で出発準備の様子を眺めてから、乗車。9時20分発。 客車は3車両のみ。ファースト・クラスが1つ。他はセカンド・クラス。ファースト・クラスは3列座席で、スペースにゆとりがある。 交通量の多い車道と共有になっている部分も多い線路なので、車に遮られて進めないのではないかと懸念していたが、思いのほかちゃんと進む。車のせいで停止することはほとんどない。 また、長時間の停車はない。駅では唯一、クルシャンで5分間の停車。なので、途中で食料を購入するのは容易でない。 グーム(Ghoom)やクルシャンで降りる客が多い。 途中、雨が降っていた。かなり強く。 到着は午後5時20分。およそ8時間の長旅であった。ゆったりと、変わりゆく景色を楽しむことができた。しかしさすがに疲れる。 駅からオート・リクシャーを拾って、シッキム州政府事務所の前で降ろしてもらう。入境許可証を得た際、この周辺がホテル街なのを記憶していたからだ。スィリグリーに関してはほとんど情報がないので、冒険はしない。 マニラ(Manila)というホテルに決めた(デラックス、ACなしでRs. 850)。大通り沿いで、きれいな外装。中はさほどでもなく、日本のビジネスホテルくらいのランク。かなり混んでいた。 近くのバーに繰り出す。ビールはデリーでもお馴染みのキングフィッシャー・ストロングしか置いてなかった。フィッシュ・フライとパニール・フライをつまみに。パニール・フライは、文字通りのパニールの素揚げ。何の味付けもないので、塩を持ってきてもらった。するとその塩はブラック・ソルト(岩塩を砕いたもの)で、まろやかでおいしかった。 その後、ホテルのレストランへ。いろいろ注文したのだが(またビールも)、ここで衝撃的だったのは、ダール・マハラジャ(Dal Maharaja)。写真左。とにかく美味い。ダールという概念に収まらない。アムリトサルで食べたブレイン・カレーを彷彿とさせる味だが、あれは羊の脳を使っている肉料理なので、そういう味になるのは納得できる。しかし今回はダール(豆)だ。なぜダールでこの味になるのか。クリーミーで、旨みがあふれる。さっぱりわからない。 この旅最後の夜はこうして終わった。 10月20日(火) この日はもう帰るだけ。 朝、ホテルで朝食をとってからチェック・アウト。レセプションでオート・リクシャーの相場を聞いてから、オート・リクシャーを拾いバグドグラ空港へ。 この空港の警備は非常に厳しい。インド国内ではこれまで経験したことのない厳重さだ。おそらくは、ここが軍と共用されているためであろう。そのため、セキュリティ・チェックは時間がかかる。ターミナルのロビーから滑走路を撮影することも厳しく禁じられている。 帰りの飛行機は日本の団体客と一緒だった。今回のフライトは経由便から直行便に変更されていたのだが、彼らはそれを知らなかったようだ。団体客の添乗員が、なかなか経由地に到着しないことに心配してフライト・アテンダントに聞き、それでようやく気付いたらしい。自分は1週間ほど前に連絡を受けていたが。 空港からはタクシー(Easy Cabs)で帰った(Rs. 245)。 この旅は移動がいちいち大変で、非常に消耗したが、行ってよかった。時期もよかった。無理をして行った甲斐があったというものだ。
10月18日(日)
ディーワーリーの騒ぎは、思いのほか早くおさまった。おかげでしっかり眠れた。 朝6時起床。ホテルのスタッフを起こしてチェック・アウト。スタッフが現地の言葉で話しかけてくる。だからネパーリーじゃないんだって。彼は自分が外国人だとわかって、ばつが悪そうにしていた。 こんなに早く起きるのは、今日またダージリンに戻るため。今日中にダージリン・ヒマラヤ鉄道の手配をして、明日それでダージリンから一気にスィリグリーまで行くことにした。 MGロード近くのジープ・スタンドに行ってみるが、やはり違った。ダージリン行きは、来た時と同じく、やや「下」の市営タクシー・スタンド発着。そこまでタクシーで移動(Rs. 60)。 ダージリン行きの相乗りジープ(Rs. 150)。今回もまた限界まで人を載せて、7時ごろ出発。気持ちが悪くなり、はきそうになる。車酔いする体質ではないのだが、疲れのせいだろうか。いや、昨日の酒か。11時ごろ到着の4時間の移動。ダージリン、再び。 まずは鉄道駅で明日のチケットの手配。とても対応が良い。空いており、すぐにチケットを購入できた。ダージリンからスィリグリー・ジャンクション(Siliguri Junction)まで(1stクラスでRs. 250くらいだったと思うが忘れた)。およそ7時間かかると言われた。スィリグリーには2つ駅があるが、鉄道ターミナルがあり、市街中心に近いのはこのジャンクションのほう。 次は宿探し。『ロンプラ』『歩き方』掲載のアリス・ヴィラ(Alice Villa)へ。ちょっと迷ってようやく到着。なかなか見つからないと思ったら、一度通り過ぎていた。で、せっかく見つけたのに、部屋の空きがなかった。 ダージリン中心となっているチョーラースターという広場を望むベルビュー(Bellevue)というホテルへ。ここも結構混んでいたようだ。Rs. 1,000の部屋に決めた。山小屋風で、かなりボロい。コンセントがことごとく壊れており、携帯を充電できなかった。ダージリンで最初に泊まったデカリンがログハウス風なら、こちらは昭和の山小屋風だ。お湯も少ししか出ない。その代わり、部屋は広い。 チェック・イン時に、パスポート情報の記載を求められなかった。次の客(欧米系)は要求されていた。自分はまた地元民扱いなのだろうか。自分も英語でしゃべっているのに。 さて、今日はダージリン観光だ。 まず、ホテルから徒歩でブティア・ブスティ・ゴンパ(Bhutia Busty Gompa)へ。歩いて行くしかない場所だが、結構距離があった。しかも、時間が悪かったのか、僧がおらず、中の見物はできなかった。 一旦チョーラースターに戻り、カフェで昼食(モモ)をとり、それからタクシーを拾ってハッピー・ヴァレー紅茶園(Happy Valley Tea Garden)へ(Rs. 600往復、待ち時間込み)。街道から細い道をしばらく降りて行かねばならない。普通は街道から歩いて行くところなのだろうが、タクシーの運転手はかなり細い道に突撃していった。近隣のみなさん、ご迷惑をおかけしました。茶畑見学。日本の茶畑のように、整然とはしていない。そもそも地形的にそれは無理なのだろう。工場は案の定閉まっていたが、その近くにあった売店でちょっと紅茶を購入した。何カ国語も巧みに操るやり手おばさんがそこにはいた。商売人気質全開のこういう人は、この土地には似つかわしくない。 そこから街道に戻ってすぐのところに、ヒマラヤ登山学院と動物園がある。入場料は、外国人Rs. 100。インドの大学に通う学生だと言ってみたがダメだった。謝られてしまった。いっそのこと、ヒンディーでも使って地元民のふりをすればいけたかもしれない。 登山学院は博物館を見学できる。入ってみてから気づいたのだが、自分はまったく登山に関心がなかった。あっさり通り抜けて見物修了。 動物園を散歩して車に戻った。 チョーラースターの広場では催しものをしていた。近くの店の店主によれば観光客向けのイヴェントだそうだが、言葉は現地語だし、観光客向けとは到底思えない。日替わりでいろいろとやっているらしい。 ディナーは『ロンプラ』掲載のグレナリーズ(Glenary’s)で。ビールはブラック・ラベル・プレミアム(Black Label Premium)。ウェスト・ベンガルのオリジナルかと聞いたらイエスだというから注文したのに、バンガロール産じゃないか。だまされた。また温い。味は、標準的なピルスナー。(比較的)しっかりと重みがある。チキン・ティッカとポークの炒め物をつまみに。 ちなみに、このとき隣の席は日本人の家族連れだった。 主食はチベット料理で締めようと思い、デカリン・ホテルの隣、クンガ(Kunga)を訪れる。だが満席。モモのテイクアウトを頼むも、今忙しいから無理と一蹴される。 仕方なく、露店のモモを買い、ホテルの部屋で食べた。非常にまずいモモだった。 就寝。
10月17日(土)
今日はディーワーリー。 ホーリーと並ぶインドの重要な祭日。もちろん文字通りのお祭り騒ぎが予想される。デリーでは、ほとんどの店が早く閉まってしまう。ガントクではどうなるのだろうか。多数を占めるネパーリーにとっても重要な祭だと聞くが。 朝9時。タクシー(Rs. 60)でエンチェイ・ゴンパ(Enchey Gompa)を訪れる。小さな僧院。雰囲気はいい。 到着時には多くのタクシーが止まっていたのだが、いざ帰ろうとすると、1台もいない。そこで、帰りは歩いて戻ろうなどと思ってしまった。「行きはタクシーを使ったほうが楽」という『歩き方』の1節にたぶらかされたからに他ならない。 だが、下り坂を歩くのはきつい。それに道もよくわからないし。なので、途中で断念して通りすがりのタクシーを拾い、次の目的地のロープウェイを目指す。王宮に近いタシ・リン(Tashi Ling)駅に行ってもらうように言ったのだが、そちらには入れないのだろうか、隣の駅(3つあるうちの真ん中)に連れてこられた(Rs. 60)。ちなみに、この運転手に目的地を告げたとき、「なんだ、ネパーリーじゃないのか!」と驚かれた。このように、外国人扱いされなかったことがこの旅で何度かある。自分が観光客だとわかり、運転手はルムテクのゴンパが良いと勧めてくれた。じゃあそこに連れていてくれと言うと、あっさり断られた。てっきりその運転手が自分をそこに連れて行きたいのかと思いきや、そうではなかった。単純に親切心から教えてくれただけだったのだ。 ロープウェイは往復Rs. 60。往復して同じ場所に戻ってくることが前提になっているらしく、そういう誘導をされる。なかなか良い景色。 ロープウェイ駅からMGロードはすぐ。歩いて移動。ダージリン・ヒマラヤ鉄道の予約を試みたが、できなかった。ここシッキムでは扱っていないとのことだった。明日に乗るつもり(ガントクからクルシャンまで車で行き、そこから電車)で考えていたが、再考を余儀なくされた。 ホテルに戻り、それから近くのタクシー・スタンドでルムテクのゴンパへ(往復Rs. 600)。片道1時間くらいかかっただろうか。ルムテクに入ってからの道はかなり険しい。 正式にはダルマ・チャクラ・センター(Dharma Chakra Centre)と言うらしい。かなり大規模な施設だ(入場Rs. 5)。中心の本堂は圧巻。リアル。また、多くの僧が修行を行っている。こうした人々の社会的意義について考えさせられる。 帰り道、チャーイやモモを扱う商店の前で、僧たちと1人のインド人観光客が議論を交わしていた。仏教にとっての神とは何か。神は何をしてくれるのか、など。自分はその脇で、ベジ・モモを食べながらしばらく議論に聞き入っていた。僧はヒンドゥーとの対比から説明しようとするのだが、ヒンドゥーの在り方についても僧とインド人の認識は一致せず、議論が進まない。また、ふとインド人が投げかける素朴な問いに、僧が答えに窮し、僧たちが答えをめぐって議論を始めることもあった。 インド人観光客の妻と子供は暇そうにしていた。 ちなみに、ここのベジ・モモはとてもおいしかった。自分の知っているモモの中では最高の味。ベジなのに、日本の餃子に近い味。 心に残る体験をして、ルムテクを去る。ガントクに戻り、MGロードの店で揚げたモモを食べて小腹を満たし、ホテルに戻る。シャワー。ここは良く水もお湯も出る。 騒がしいディーワーリーの夜が始まっていた。そこいら中で花火。騒がしい。しかし、店はほとんど開いている。デリーとは大違いだ。 MGロードのPub 25というバーに入った。ほとんど客はいなかったが、ディーワーリーの喧騒を見下ろせる窓際の席に向かうと、自分と同じようなことを考えたのだろう、他のも客が1人だけいた。北インド系の女性らしい風貌で、ずっと書き物をしていた。書くことを仕事にしている人だろうか。 デリーでは見たことのないビールを注文してみた。まず、ダンスバーグ(dansberg)。シッキム・オリジナルらしい。アルコール5%。温い。炭酸も弱く、パンチ力不足。サラリとした感じ。味は薄いが、甘い感じの後味が残る。米系みたいな感じ。インドで好まれるビールの正反対を行っているような気がする。 次は、ヒット(Hit)。スーパー・ストロング(アルコール8%)。これも温い。涼しい土地柄、冷たいビールを飲む習慣がないのだろう。いかにもストロング・ビールという、アルコールを足したような味。 つまみのチキン・ティッカは柔らかくておいしかった。それに気を良くして、調子にのってビーフ・ステーキを注文してしまったが、これは大失敗。肉が硬くて食えたものではなかった。 ホテルに戻り就寝。深夜まで花火の騒音…。
10月16日(金)
午前3時半、自分でセットしたタイマーで起床。タイガー・ヒル観光だ。ホテルの外に出て少し待つと、タクシー到着。出発。 運転手は「遅れてすまない」と言う。うそだ。遅れてなんかない。車は約束の時間より前に着いたが、自分がそれよりちょっと早くに外で待っていただけだ。そのことを指摘したら、笑っていた。こんなに腰の低い人々がインドにもいるのか。 タイガー・ヒルというのは、ヒマラヤ山脈を見る絶好のポイントとして観光地になっている丘。日の出前に到着するのが定番だ。見学料金がかかる。場所によって料金が違う(建物の外、中の低層、中の高層)。自分はRs. 40でスーパー・デラックス・ラウンジをチョイス。ここはチャーイつき。 ここダージリンは霧が多い土地。晴れ渡ったいい景色を望むことができるとは限らない。この日は、非常にいい日だったらしい。きれいに晴れ渡り、すばらしい景色を眺めることができた。 まだ暗い。 夜が開け始める。 まず、遠くの山々に日があたる。 日の出ともに歓声。 山々がよく見える。 肉眼でもはっきりと。 日の出。 多くの観光客。 屋根の上に載っている2人は反則だと思う。 大賑わい。 日が昇ると、観光客と車は一斉に丘を降りる。途中、イガ・チョリン・ゴンパ(Yiga Choling Gompa, ただ)と第3次印パ戦争の記念碑(War Memorial, Rs. 5)を見学してホテルに戻った。記念碑のほうは、山々と花を楽しむスポットとなっており、戦争の記録に関心を向ける人は少ない。 ホテルでは朝食が付いているとのことだったが、とにかく眠かったので、部屋に戻って寝てしまった。11時、チェック・アウト。結局シャワーは浴びなかった。あまりお湯も出なかったので。 ジープ・スタンドから、乗合ジープでシッキム州の州都ガントク(Gangtok)を目指す(Rs. 130)。 3列座席のジープ。最前列に4人(運転手含む)。中列5人(ただし1人子供で膝の上)。後列4人。計13人。無論、かなり厳しい。自分は後列右端。 12時ごろに出発して、途中1回の休憩をはさんで、4時ごろに到着した。シッキム州入境のポイントでは外国人の自分だけが事務所で手続き。許可証はすでに持っていた(ここでも申請可能)ので、10分ほどで終了した。他の客をさほど待たせずに済んだ。 道はスィリグリー=ダージリン間ほど過酷ではない。山道であるには違いないが、とくにシッキムに入ってからは道が比較的きれい。一度山を降りて、川沿いを進み、再び山に登るイメージ。一度標高がさがったところでは気温が上がった。それに伴って乗客は服装を調節(薄着→厚着→薄着→厚着)。 狭い車で長時間の移動に疲労困憊。早く宿を見つけたい。 ガントクは思いのほか、大きな街だ。私営ジープのターミナルは街の中心部から少し下(傾斜の厳しい土地にあるこの街では、「上」と「下」で方角を表す)にあった。そこからタクシーでも拾うつもりでいたが、通りすがりの一般の車が乗せてくれた。もちろんタダで。 ホテル探し。『歩き方』や『ロンプラ』掲載のNew Modern Central Lodgeを探したが、見つからなかった。近くのトラベル・ロッジTravel Lodgeという安宿にした(『ロンプラ』)掲載(Rs. 600)。部屋の見た目はきれいだが、機能的には所詮安宿。ドアはかなり強く閉めないとオートロックが作動しない。いくつもコンセントが壊れている。テレビも写りが悪い。でもホット・シャワーはちゃんと出た。シャワーを浴びて、一息。ここがデリーならちょっと休憩したいところだが、早く店が閉まってしまうと困るので、早速レストランへ。 ガントクはかなり栄えている街だ。中心にはベネトンなどのアパレル・ショップがならぶ。銀行のATMも多数。夜まで人通りが多い。この日はディーワーリー前日という特殊性もあるが、おそらく普段から賑わっている街なのだろう。さすがに、小国であったとはいえ、かつての首都だ。 ガントクの中心・MGロードのちょっと高そうなレストランへ(名前忘れた)。シッキムらしいメニューを期待したが、普通に中華と北インド料理のメニューだった。エビのフライをつまみに、ビール(いつものカールスバーグ)を2本飲んだ。 せっかくなので、主食はシッキムらしいものを食べたい。そこで、もう1件、ホテルに近い、タンゲリン(Tangerine、『ロンプラ』掲載)というレストランへ。モモを注文したが、品切れ…(モモは手間がかかるので品切れになったら終わり)。しかたなく、ラム酒とチキン・ヌードル(ただのインド風中華・チョウメン)。チョウメンの味は良かった。 ホテルに戻って就寝。 |
プロフィール
HN:
toshi
性別:
男性
自己紹介:
2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
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