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インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
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昨日、もう1カ月近く前になってしまった旅の記録を書き出してみた。旅の間毎晩付けていたメモと、レシート類と、写真とを手掛かりに。

旅の初日のメモ書きの最後には、一言、「謙譲」と書きつけられていた。

初日から違和感として感じ、その後も旅の間、しばしばこのことを感じ、考えていた。

なぜ、スィリグリーからダージリンまでをたったRs. 500で走らされた運転手は、自分にチップを要求しないのか。

露店の店員は、どうしてこんなに腰が低いのか。

タクシーの運転手も決してふっかけてこない。

チャーターしたタクシーの運転手は、約束の時間に遅れてなんかないのに「遅れてすまん」とあやまってきた。

今回の旅の間に出会った東アジア系の顔立ちの人々(残念ながら、見分けはつかない。ネパール系、シッキム系、チベット系など)は、謙譲と誠実の精神に充ち溢れているように見えた。

デリーの人々が誠実でないと言っているのではない。しかしデリーに謙譲の美徳はないと思う。

強くあることを要求されるデリーとの違いに、初めは戸惑い、そして親しみを感じた。おそらく、日本の文化との共通性を見出していたのだろう。

しかし、次第に、その共通性への疑念が募った。本当にそうだろうか、と。もはや東京には残存しない過去の美徳を、あるいは過去にも存在していなかった想像上の美徳を無理やり重ね合わせているだけではないのか。

ダージリンやシッキムへの愛着を感じさせたのは、彼ら現地の人々の性質のためか、それとも類似性を勝手に見出そうとする自分の思いのためか。おそらくは両方。

また、文化の背景についても思いをめぐらせた。

おそらくは閉鎖性ゆえ。

狭く、閉ざされた社会ゆえに、たがいに抑制し、衝突をさける。そうした合理性に基づいて発達した文化なのではなかろうか、と。日本のいわゆる村社会のように。きっと、それゆえの難しさもあるのだろう。
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プロフィール
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toshi
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男性
自己紹介:
2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
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