インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
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現在、5紙の新聞を購読している。毎朝、配達のおじさんが新聞をドアの下から滑り込ませる音が目覚まし代わりになってきた。
5紙の新聞と、他にも雑誌を購読している上客だからだろうか、配達のおじさんはいつも自分(だけ?)に笑顔で恭しく挨拶してくれる。仕事は正確かつ迅速で、プロフェッショナルな新聞配達人だった。 数日前に、配達の人が代わった。 その次の日から、3紙しか届かなくなった。 昨日朝、配達の時につかまえて、あと2紙だ、と告げる。が、英語が通じない。というか、新聞の名前と数字しか言ってないのに、なぜ通じない?とりあえずティーケーと言っていたが。。。 今朝も3紙。もう一度、あとHindustan TimesとStatesmanだ、と言うが、どうも通じていない。そこで、前者を略してHTと言ったらわかってくれたようだ。Hindustan Timesが通じない(あんたの商品だろう)となると、これは厳しい・・・。 他の多くの学生からもいろいろと言われていた。各部屋の購読紙を憶えていないからだろう。おそらくは、文字も読めない。だから、前任者からリストを引き継いでいるとしても、それを読めない。この寮にはとても多く部屋があるので(300くらい?)、この混乱が収まるには当分の時間を要しそうだ。 [追記] 翌朝、ちゃんと5紙が届けられた。 「これでどうだ」と言わんばかりの笑顔で手渡してきたが、朝早くからドアをノックするのは勘弁してほしい。 PR
サーケート(Saket)のショッピング・モール(DLF Place)にあるHard Rock Cafeへ。
2度目。 ところで、日本人は「サケット」と呼ぶ人が多い。なんでだろう。誰か初めにそう呼びはじめた人がデリー日本人コミュニティの中にいるのだろうか。 それはともかく。 牛肉を食べたくて訪れた。 まずはビール。アメリカを求めて(ちなみに、Hard Rock Cafeはイギリス発祥)、バドワイザーを注文。だが無かったので、カールスバーグ。ここはグラスを出さない。瓶で飲む。自分の流儀には反するが、郷に入ってはなんとやら、ということで。 メニューでハンバーガー(和製英語)を見る。いろいろあってわからん。牛肉が食べたいので、どれが牛肉か、店員に聞いた。 「これ(ベジ)とこれ(チキン)以外全部です」 さすがはHard Rock Cafe。自分はOKだが、地元客(この日は約7割)はこれを良しとするのだろうか。 そういえば、まわりのインド人客にはシク教徒率(=ターバン率)が高い気がする。牛肉のせいか、所得のせいかはわからないが。 注文は、一番シンプルなものにした。バンズ(パン)に、牛ひき肉のパティと、卵焼き(ちがうかも)が挟まるだけ。あんまり豪快なものが来ても食べ切れないので。 ナイフとフォークもついていたが、手でもってかぶりついた。パティから肉汁がしたたる。・・・が・・・ 味がない。 パティはひき肉をまとめて焼いただけ。いわゆる日本のハンバーグ(和製英語)みたいにこねた感じではなく、ひき肉をまとめただけ。そして、塩味がない。ひき肉の味だけ。 隣の欧米系女性客2人組が塩やら胡椒やらケチャップやらマヨネーズ(持ってこさせた)やらを振り回す様子を引きながら眺めていたが、彼らは間違っていなかった。 これがアメリカ文化なのか?それともイギリス文化?味のない料理を調味料の海に溺れさせるのが正統なのだろうか。わからない。 まあ、これも一種の異文化体験か。
郵便事情メモ。
前回はこれ。 今回はEMSで封筒を一往復。 11月26日、東京(のはずれ)の郵便局で差出。 12月1日、受け取りinJNU。 所要5日間。(週末含む) 12月2日午後、JNU内の郵便局に出す。 12月8日、東京(のはずれ)の自宅着。 所要6日間。(週末含む) 無事でなにより。 しかし、順調であっても、往復で2週間弱かかってしまう。今回のように、締切のある提出書類のやりとりはやはり大変だ。各種書類のやりとりをすべてオンラインで処理できるようになればよいのだが、未だに重要書類ほど、直筆のサインやら判やらが必要になるので厄介だ。
昨日は、タミル舞踊を見に行った。
これまで、インドに1年以上いながら、この手の舞踊を見に行ったことはなかった。理由は簡単。興味がないからだ。しかし今回は、インドでも最も有名な舞踊家のひとりがJNU近くで公演を行うというので、知人の誘いに乗ってみた。食わず嫌いは良くないだろう、と考えて。 日本人・ドイツ人・インド人の不思議な6人編成で乗り込んだ。JNUからオート・リクシャーで10分。場所はRK Puram Sector 2という場所にある、Ayyappa Temple。南インド系の寺院。観覧無料。 行ってみると、何とこの日の演目が変更されていた。超有名らしいというその人ではなく、違う人になっていた。タミルの舞踊であることにはかわりないのだが。せっかく行ったので、見てきた。 代役は、かなりレベルの高い人だったらしい。演者は計7人で、レベルの高いシニア2人、優秀な若手1人、拙い若手2人、子供2人。シニア2人の表現力に素晴らしかった。 何となくだが、すごいものだなぁ、という感じはした。 でも、所作の意味がわからない。ストーリーがわからない。歌の意味がわからない(同行のインド人によると、主にサンスクリット語らしい)。 だから、「ああ、こういうものか」という感想の域を出ない。知識不足のために堪能できないことが残念に思えた。 また機会があったら、行ってみてもいいかな。そんな気がする。
今日は大統領選・・・否、寮のPresident(代表)を選ぶ選挙。寮を管理する学生組織のトップのこと。
結構本格的な選挙。数日前から投票を求める紙が張られたり、部屋に差し込まれたり、直接部屋に訪ねて来たり。昨夜は演説会。そして今日が投票。投票のため、寮の夕食の時刻は1時間30分も前倒しされた(7:30~→6:00)。午後は昼寝をしていたら、候補者が部屋を訪ねてきたノックの音で起こされた。「今日は夕飯6時からだぞ。その後は俺に投票宜しく」。親切さと宣伝を兼ね備えたうまい文句だ。だが断る。 そんな混乱から逃れるべく、今日も外食。夜は近くに最近できた日本食レストランへ。2度目。刺身などを食べたが、詳しい感想を書くと営業妨害になりかねないので書かない。サーヴィスはいいが、味が・・・。
寮の食事が気にくわない。
別に今に始まったことではない。以前のチャンドラバーガー寮にいたときは、初めは良かったものの、次第に白飯の臭いとチャパティーの硬さが気になるようになった。主食がダメだと厳しい。「臭い飯を食う」などという言葉もあるが、これが辛い状況を表す言葉だということを身をもって学んだ。 現ブラフマプトラ寮の食事は、比較的マシだ。少なくとも、飯が(それほど)臭くない。だから食べられる。今年8月にこの寮に移ってきてからは、学外の生活で食事の調達に苦労してきたこともあり、ありがたく思ってきた。 しかし、最近だんだん嫌になってきた。理由は単純に、美味しくないから。 外国人留学生にははじめのうちインドの食事が合わずに苦労して、しかし次第に慣れたという人の話も聞く。自分はどうも逆だ。初めは別に困らなかったが、クオリティの低いものを繰り返し供され、精神的苦痛になってきた。 すべてがすべてダメだというわけではない。好きなメニューもある。曜日によっておおよそメニューが固定されているので、好みのメニューのときはいい。だが今日は、イヤだな、と思った。 ふと、「おとなのふりかけ・たらこ」が視野に入った。食堂で白飯だけ器によそい、部屋でふりかけをかけて食べるというオプションが浮上した。しかしそれも味気ない。 「打って出るべし!」 そんな心の声に導かれ、外食した。 以上、長い前置き。 東に3~4キロ。アドチニー(Adchini)のGovardhan(ゴーヴァルダン)という南インド料理レストランへ。自転車で。途中の路面が良いので、苦にはならない距離。直線なのでやや飽きるが。 店はきれいで、どことなく南インドっぽい内装。かなり早い時間だったが他にも客はいた。 まずはスペシャル・ターリー(Rs. 110、インド的定食)。サンバルやカレーのなど小鉢6品(?)に、ドーサーやイドリーなど。サンバルは美味しい。ココナッツ系で南っぽくてgood。ドーサーはいまいち。 これでもう満腹。だけどデザートにフルーツ・サラダwithアイスクリーム(Rs. 70)。出てきたのはいわゆるパフェ。グラスを器に、下はカスタードクリームに和えたフルーツ、中はフルーツそのままで、上にアイスクリームがのる。中にぎっしりフルーツ。 サーヴィスは的確で、料理が出てくるのも速かった。ターリーを終えて皿を下げてもらったら、入れ替わりにデザートが出てきた。こちらの様子を見て用意させていたのだろう。 満足。 大きな地図で見る
日本語入力システムを変えてみた。Windows既定のIMEから、Google日本語入力に。
まだちょっと試しただけだけど、Googleのほうが快適。変換予測が賢い。誤変換が少ない。まだ学習していないにも関わらず。 昔はAtokを使っていて、その後IMEに移行したときは多大なストレスを味わったが、長く使ってIMEにも慣れてしまっていた。 Google日本語入力の唯一の不便は、辞書機能がないこと。IMEでは、同音で紛らわしい語の意味が変換リストに表示されるので、正確な文章を書くことを要求される自分にとっては便利だった。 しかし、その点を考慮しても、Googleのほうがいいかも。
冬支度。といってももうすでに冬。
相対的に寒く感じるのだろうか、デリーの冬はみんなかなり厚着。自分もそう。 今、フランスからJNUに来ている訪問研究者は、信じられないくらい薄着。確かに、ドイツやフランスよりは暖かいでしょうけど。 昨日は、サロージニー・ナガルのマーケットで服の買い出し。 マフラーRs. 50。 セーターRs. 800。(安いものならRs. 100で買える) 靴下Rs. 30×たくさん。 トランクスRs. 225×たくさん。(ローカルなものではないため高い) それと、観葉植物(Rs. 150)。癒しを求めて。 今日は、所属センターでパーミッション・レターをまとめて申請。外部の図書館を利用するためのもの。休み中にチェアパーソンが捕まらないと困るから、休みに入る前の今のうちに。 朝10時半に行くと、秘書不在で、居たのはチェアパーソン本人だけ。普段はスタッフ秘書に渡すが、仕方ないのでチェアパーソンに直接サインをもらう。権威主義の発達したインドでは、学生にとってチェアパーソンは恐れ多い存在。なのでちょっと恐縮。 秘書にスタンプをもらう必要があったので、12時にもう一度行くと、秘書の出勤とちょうど同じタイミングだった。チェアパーソンが朝から仕事をしているのだから、秘書もがんばってほしい。
1955年、バンドン会議(Asian-African Conference)といえば、国際関係における第三世界の連帯を象徴する会議として非常に有名だ。インドのジャワハルラール・ネルー首相、中国の周恩来首相、インドネシアのスカルノ大統領、エジプトのナセル大統領が中心となり、アジアとアフリカから29カ国が参加して行われた。前年(1954年)のネルー首相と周恩来首相による平和共存五原則(平和五原則、パーンチシール)を拡張した平和十原則が合意されたことも広く知られている。
バンドン会議の開催にはインドのネルー首相のイニシアティヴが最も重要な役割を果たしていた。しかも、1947年のインドですでに類似の試みが行われていた。1947年にニューデリーで開催された「アジア関係会議(Asian Relations Conference)」だ。インドは独立の直前、多くのアジア諸国ももちろんまだ独立前だ。 この1947年の会議をモチーフとした大規模な国際会議「アジア関係国際会議(International Conference on Asian Relations)」が、今年からICWA-AAS国際会議としてインドで毎年開催されることとなった。第1回の今回は中国をテーマとして行われた。 主催はインド外務省系のシンクタンクであるIndian Council of World Affairs(ICWA)。今回の企図の背景には、一時期機能低下していたICWAという組織自体が復権を目指して積極的な活動を近年展開していることともおろらく関連しているのであろう。もう1つ名前を連ねているAASとは、Asociation of Asian Scholarsという研究者の集まりである。数年前にできたばかりの組織で、当然常設の事務局や職員なども存在しない。代表であるJNUのSwaran Singh教授と事務局長であるDU(デリー大学)のReena Marwah准教授の2人による個人的な貢献が、組織の実態である。今回は、ICWAが資金と会場を提供し、AAS(というか2人)が事前のロジスティクスを担当したものと思われる。当日はICWAの研究者とJNUやDUの学生がサポートにあたっていた。 3日間で7つのセッションがあり、それぞれ各3~5名が報告を行うという大規模な会議となった。東南アジア諸国、南アジア近隣国、欧米、中国・台湾からの参加者もあった。残念ながら日本から来た報告者はいなかった(1名直前キャンセル。在住日本人が1名報告)。インド側参加者にも外国からの参加者にも有名人も多数おり、ミーハー的な楽しみも大いに味わうことができた。 3日間の会議(最終日は途中退出したが)の中で最も興味深かったのは、L. C. Jainのスピーチだ。1947年の会議の開催に携わった人物で、当時の興味深いエピソードを披露してくれた。もちろんかなりの御老体だが、クリアでしっかりとした話しぶりであった。時間が押しているからといって、主催者がこういう人のスピーチを途中で遮るように早く終えさせたのはいかがなものかと思った。次に外務担当国務大臣Shashi Tharoorのスピーチが控えていたことを踏まえての主催者側の苦肉の判断だというのもわかるが、そうした事情を押しのける蛮勇をふるってもらいたかった。官僚の用意したペーパーを読み上げるだけのスピーチと、歴史に埋もれていた貴重なエピソードが明らかにされるスピーチのどちらが大事かの判断を誤ったのではないだろうか。 問題点も少なくない。第一に、会議の性質が不明確であったことだ。モデルとしたAsian Relations Conferenceはもちろん完全に外交的な国際会議だ。それに対して、今回は(事前には)アカデミックな会議であると聞いていたが、実際のところは元外交官など実務の人間のプレゼンスが強く(「Ambassador~」の肩書きがやたらに多かった。「大使!」と読んだら大勢が振り返るだろう)、アカデミックな会議としての色彩はとても弱いものとなっていた。最終日のみはインドにおける中国研究の現状というテーマが明確化されていたが、メインの最初2日はテーマが明確でなかった。報告テーマには各国の対中関係や対中認識を扱う叙述的報告が多かった。また、短い報告時間のためか、方法論やソースの明らかでない非学術的な報告が多かった。欧米からの出席者を中心とした一部の純然たるアカデミックの研究報告に対して、アカデミックの流儀をわきまえない的外れな質問が向けられることも少なくなかった。何度も言及された、パーンチシールに立ち返るべきだ、のような一方的で理由の示されない政治的な主張も学術会議にふさわしくない。そういう主張をしたいなら、なぜそれが必要かを論証すべきだ。 第二に、若い出席者が少ないことだ。せっかくキャパシティの大きな会場を使用しているのに、参加者を招待客限定にして半分以上の空席を残していた。大学院生レベルでの参加者は、海外からの報告者に付き添いに来ていた数名と、インド側の自分をふくむ数名(現地の大学院生は自分だけだったかもしれない。シンクタンクや大使館などからの若い参加者はいたが)くらいしかいなかったと思われる。JNUやデリー大学の学生数名はスタッフとして会場にいたが、彼らはいろいろな雑務をさせられており、報告に耳を傾けたり参加者と交流したりすることはほとんどできなかったはずだ。若い世代こそがこのような機会を浴するべきだと思うのだが。インドにおいては、学生を軽んじる権威主義的風潮があり、不愉快な思いをさせられることがある。確かに出席者が多くなればコストがかさむという事情もわからないでもないが。例えば、海外の学術会議がそうであるように、参加費を取ればよいのだ。インドでのこうした会議ではなぜか参加無料でしかも食事も振舞うのが定式化しており、そのためには参加者を限定する必要があるのだが、アカデミックな色彩を強めるならば海外の国際学会を見習い、参加費を取ってでもオープンな会議とすべきだろう。それと、報告ペーパー集も報告者のみではなく参加者全員に用意すべきだ。コストがかかるなら販売でもかまわないのだ。 第三には、ある意味どうしようもないことだが、デリーの季節的「旬」が終わりかけ、大気汚染の状況が深刻化しているこの時期に開催したことである。3日間会場まで足を運ぶのは苦痛であった。個人的には、一緒に行く人との関係で、移動の半分はオート・リクシャーを使用したため(残り半分はタクシー)、長時間劣悪な大気にさらされざるをえなかった。国外から多数の参加者を望むのならば、どうせなら過ごしやすい季節がいい。あと2週間早ければ大分違うのだが。 ちなみに、この会議の実質的な運営者が自分の指導教授だという関係で、当初は自分も報告者に予定されていた。報告希望者が多く集まったために結局キャンセルしたわけだが、正直なところ、やらなくてよかった。実務への関心が弱く、方法論を重視する自分の研究がこの場にマッチしなかったであろうことは容易に想像できる。
この1週間は非常に辛かった。精神的に。
[23日月曜日] 先週末から月曜までの3日間の国際会議が終わり、夜は在住日本人の集まりに顔を出してから自室に帰った。すると、インターネットが動いていないではないか。とりあえずモデムの電源を切ってみたり、PC側で接続の修復を試みるが、ダメ。悪戦苦闘の末、ふと電話機に目が向いた。もしや、電話回線そのものがダウンしているのではないか。そこで受話器を取ってみると、何の音もしない。これだ。電話回線がそもそもイカレてる。モデムのランプを見ても、確かにそうだ。 翌朝に復旧していることを祈って眠りに着いた。 [24日火曜日] 全体的な障害なら、近いうちに復旧されるだろうと踏んでいた。だが、翌朝になったも一向に復旧しなかった。しかも周囲に聞いたところ、他の部屋ではとくに問題は起きていないという。となると、自力で対応をしなければならない。 初年度に利用していたローカルなプロバイダーとは違い、MTNLは大きな企業であるから、ウェブサイトを見れば連絡先がわかる。しかし、本部に連絡していては対応が遅れてしまうだろう。 近くにオフィスがあるらしく、電話機の取りつけのときはそこから人が来ていた。だが、連絡先がわからない。場所もわからない。そこで、まずは、JNU内の分室を訪ねてみた。そこの人が担当でないのはわかっていたが、とりあえずという意味で。 固定電話が動いていないのだということを伝えると、こちらの住所と電話番号を聞かれたので、答えておいた。そして「ティーケー」(OKの意)の一言。むこうはヒンディー語のみのやりとりで不安がある。これでいいのか?ともかく、こちらの電話番号は確かに伝えたのだからしかるべきところに連絡をしてくれるはずだ。 いつ修理が来てもいいようにこの日はできるだけ自室で過ごしたが、それ以降なんの進展もなかった。 インターネットは夜に大学図書館で利用したが、接続速度が遅くてイライラする。前はもっとましだったような気がするのだが。そういえば、コンピューター室の利用時間が夜8時までではなく夜10時までに延長されていた。学期末の時限措置。これには少し助けられた。 [25日水曜日] 前日トラブルを伝えたので、おそらく今日来るだろうと考え、自室で待っていた(もちろんいろいろ作業をしながら)。 しかし、夕刻になっても何の進展もない。そこで、JNU内の分室を再度訪ねた。違う人物だったので、トラブルの内容を再度伝えると、自分に電話番号を渡してきた。ここに電話しろ、とのこと。 じゃあ一昨日の対応はなんだったのか。もしもこれが一昨日と同じ人物だったら物理的に激しく抗議を行っていたところだが、違う人ならそうもいかない。おとなしく引き下がり、受け取った電話番号にかけた。が、何の反応もない。もう日暮れで営業終了だろうか。 ともかく、手掛かりは得た。 普段は安眠できる体質だが、何となくストレスのためか、眠りにつけない。翻訳の仕事をして夜を過ごした。 [26日木曜日] 朝10時、早速電話。誰かがでた。しかし、どうも違う番号にかけろと言っている(ヒンディー混じりで)。そこで言われた違う番号にかけたところ、ようやくそれらしき部署につながった。トラブルの内容、住所、電話番号を伝える。いつ直しに来るのかと聞いたところ、「今日だ」との返事。これで今日中に何とかなりそうだ。 午前中、進展なし。昼にもう一度かける。違う人だろうか、新たなトラブルを聞くような感じで、もう一度住所や電話番号を聞かれる。 夕刻、今日3度目の電話。こちらが話し出すなり、「Working, working」とだけ言って通話を切られた。 いつまでたっても来ない。もう日暮れだ。もう一度電話をかけると、誰も出ない。もう帰ったようだ。 怒りがつのる。破壊的衝動というのはまさにこういうことを言うのだろう。深呼吸をして、精神を落ち着かせようと試みる。しかし、落ち着かない。眠れないため、夜は遅くまで論文を読んで過ごしていたが、それも身に入らない。 [27日金曜日] 朝から何度もオフィスに電話をする。この日も10時ごろにようやく出た。昨日1日を棒に振ったことなどを激しく抗議する。むこうは行くから待ってろという。10分以内か、20分以内かと食い下がる。「30分以内」との言質を引き出し、とりあえず電話をきる。 電話をするこちらの語気も強まる。自室の通信状況は悪いため、寮の前の広場で通話をしていると、何事かという目で周囲が自分を見つめていた。 10時半。来ない。まあ、30分と言って30分で来るなんて思ってやいない。ここはインドだ。そう言い聞かせる。 11時。来ない。もう一度電話。まだ向かっているらしい感じはない。「すぐに来い」と怒鳴りつける。向こうも「すぐに」と答えて電話を切る。怒りに充ち溢れた話ぶりに、近くにいた警備員が心配してくれた。ヒンディー語なので何を言っているのかわからなかったが。 11時半過ぎ。来ない。電話。「今日行くさ」のようなふざけた答え。さっきの「すぐに」は何だったのだ。何時だ、と問い詰めると、「2時」との答え。ふざけるな、と怒りをぶつけると、「1時」。とにかく時間通りに来いと怒鳴りつける。 1時に人と会う約束をしていたが、2時にしてもらった。一緒にランチを取る予定だったが、相手は朝食を取っていなかったらしく、ランチが遅くなってしまい、迷惑をかけた。 生まれて間もない子猫たちを見つめて心をなだめる。寮の自室の目の前が子育ての場になっているのだ。 1時。来ない。電話。「向かってる」。本当か? 1時30分。来ない。 1時50分。来ない。もういい。2時の約束のために寮を離れた。 4時前、電話がかかってきた。どうやら修理の人が来たらしい。今何時だと思っていやがる、と口に出かかったが、おさえて、1時間で戻るから待ってろと伝える。 5時に部屋に戻る。屋外の回線の問題であったらしく、修理は終わっていた。機能が回復したことを確認。作業に来たオヤジに怒りをぶつけたいところだが、抑える。怒りを呑み込んでしまう性格は精神衛生に良くないんだろうな、なんてことを考える自分もいた。 ともかく、これでインターネットというライフラインが復旧した。週末まで続いていたら、週末はネット環境のあるホテルで過ごす予定でいたが、その出費は未然に防がれた。 一連のトラブルにおける最大の損失は、もちろん、自分の精神衛生状態だ。 |
プロフィール
HN:
toshi
性別:
男性
自己紹介:
2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
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