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インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
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1955年、バンドン会議(Asian-African Conference)といえば、国際関係における第三世界の連帯を象徴する会議として非常に有名だ。インドのジャワハルラール・ネルー首相、中国の周恩来首相、インドネシアのスカルノ大統領、エジプトのナセル大統領が中心となり、アジアとアフリカから29カ国が参加して行われた。前年(1954年)のネルー首相と周恩来首相による平和共存五原則(平和五原則、パーンチシール)を拡張した平和十原則が合意されたことも広く知られている。

バンドン会議の開催にはインドのネルー首相のイニシアティヴが最も重要な役割を果たしていた。しかも、1947年のインドですでに類似の試みが行われていた。1947年にニューデリーで開催された「アジア関係会議(Asian Relations Conference)」だ。インドは独立の直前、多くのアジア諸国ももちろんまだ独立前だ。

この1947年の会議をモチーフとした大規模な国際会議「アジア関係国際会議(International Conference on Asian Relations)」が、今年からICWA-AAS国際会議としてインドで毎年開催されることとなった。第1回の今回は中国をテーマとして行われた

主催はインド外務省系のシンクタンクであるIndian Council of World Affairs(ICWA)。今回の企図の背景には、一時期機能低下していたICWAという組織自体が復権を目指して積極的な活動を近年展開していることともおろらく関連しているのであろう。もう1つ名前を連ねているAASとは、Asociation of Asian Scholarsという研究者の集まりである。数年前にできたばかりの組織で、当然常設の事務局や職員なども存在しない。代表であるJNUのSwaran Singh教授と事務局長であるDU(デリー大学)のReena Marwah准教授の2人による個人的な貢献が、組織の実態である。今回は、ICWAが資金と会場を提供し、AAS(というか2人)が事前のロジスティクスを担当したものと思われる。当日はICWAの研究者とJNUやDUの学生がサポートにあたっていた。

3日間で7つのセッションがあり、それぞれ各3~5名が報告を行うという大規模な会議となった。東南アジア諸国、南アジア近隣国、欧米、中国・台湾からの参加者もあった。残念ながら日本から来た報告者はいなかった(1名直前キャンセル。在住日本人が1名報告)。インド側参加者にも外国からの参加者にも有名人も多数おり、ミーハー的な楽しみも大いに味わうことができた。

3日間の会議(最終日は途中退出したが)の中で最も興味深かったのは、L. C. Jainのスピーチだ。1947年の会議の開催に携わった人物で、当時の興味深いエピソードを披露してくれた。もちろんかなりの御老体だが、クリアでしっかりとした話しぶりであった。時間が押しているからといって、主催者がこういう人のスピーチを途中で遮るように早く終えさせたのはいかがなものかと思った。次に外務担当国務大臣Shashi Tharoorのスピーチが控えていたことを踏まえての主催者側の苦肉の判断だというのもわかるが、そうした事情を押しのける蛮勇をふるってもらいたかった。官僚の用意したペーパーを読み上げるだけのスピーチと、歴史に埋もれていた貴重なエピソードが明らかにされるスピーチのどちらが大事かの判断を誤ったのではないだろうか。

問題点も少なくない。第一に、会議の性質が不明確であったことだ。モデルとしたAsian Relations Conferenceはもちろん完全に外交的な国際会議だ。それに対して、今回は(事前には)アカデミックな会議であると聞いていたが、実際のところは元外交官など実務の人間のプレゼンスが強く(「Ambassador~」の肩書きがやたらに多かった。「大使!」と読んだら大勢が振り返るだろう)、アカデミックな会議としての色彩はとても弱いものとなっていた。最終日のみはインドにおける中国研究の現状というテーマが明確化されていたが、メインの最初2日はテーマが明確でなかった。報告テーマには各国の対中関係や対中認識を扱う叙述的報告が多かった。また、短い報告時間のためか、方法論やソースの明らかでない非学術的な報告が多かった。欧米からの出席者を中心とした一部の純然たるアカデミックの研究報告に対して、アカデミックの流儀をわきまえない的外れな質問が向けられることも少なくなかった。何度も言及された、パーンチシールに立ち返るべきだ、のような一方的で理由の示されない政治的な主張も学術会議にふさわしくない。そういう主張をしたいなら、なぜそれが必要かを論証すべきだ。

第二に、若い出席者が少ないことだ。せっかくキャパシティの大きな会場を使用しているのに、参加者を招待客限定にして半分以上の空席を残していた。大学院生レベルでの参加者は、海外からの報告者に付き添いに来ていた数名と、インド側の自分をふくむ数名(現地の大学院生は自分だけだったかもしれない。シンクタンクや大使館などからの若い参加者はいたが)くらいしかいなかったと思われる。JNUやデリー大学の学生数名はスタッフとして会場にいたが、彼らはいろいろな雑務をさせられており、報告に耳を傾けたり参加者と交流したりすることはほとんどできなかったはずだ。若い世代こそがこのような機会を浴するべきだと思うのだが。インドにおいては、学生を軽んじる権威主義的風潮があり、不愉快な思いをさせられることがある。確かに出席者が多くなればコストがかさむという事情もわからないでもないが。例えば、海外の学術会議がそうであるように、参加費を取ればよいのだ。インドでのこうした会議ではなぜか参加無料でしかも食事も振舞うのが定式化しており、そのためには参加者を限定する必要があるのだが、アカデミックな色彩を強めるならば海外の国際学会を見習い、参加費を取ってでもオープンな会議とすべきだろう。それと、報告ペーパー集も報告者のみではなく参加者全員に用意すべきだ。コストがかかるなら販売でもかまわないのだ。

第三には、ある意味どうしようもないことだが、デリーの季節的「旬」が終わりかけ、大気汚染の状況が深刻化しているこの時期に開催したことである。3日間会場まで足を運ぶのは苦痛であった。個人的には、一緒に行く人との関係で、移動の半分はオート・リクシャーを使用したため(残り半分はタクシー)、長時間劣悪な大気にさらされざるをえなかった。国外から多数の参加者を望むのならば、どうせなら過ごしやすい季節がいい。あと2週間早ければ大分違うのだが。

ちなみに、この会議の実質的な運営者が自分の指導教授だという関係で、当初は自分も報告者に予定されていた。報告希望者が多く集まったために結局キャンセルしたわけだが、正直なところ、やらなくてよかった。実務への関心が弱く、方法論を重視する自分の研究がこの場にマッチしなかったであろうことは容易に想像できる。
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toshi
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自己紹介:
2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
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