インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
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今日(ブログ日付上昨日)の夕食はムニールカーMunirkaのウドゥピUdupiという南インド料理レストランで。自宅から近く(歩く距離ではないが)、これまでに何度も来ている。
今回は、マイソール・パニール・ドーサーMysore Paneer Dosa(Rs. 80)、ベジ・スープ(Rs. 50)、コーヒー(Rs. 30)。ここはぜいたく税(VAT)もサービス税もかからないので、そのまま総額Rs. 160。学内ほどではないが安い(学内でこの注文ならRs. 40-50くらいだろうか)。 初めて注文したマイソール・パニール・ドーサーが当たりだった。マイソールとは南部カルナータカ州の有名都市の名(訪問済み)。料理は、唐辛子パウダーの効いたパニール炒めをドーサー生地(米粉ベース)で包み、上にココナツ風味のバターが乗ったもの。ココナツの風味と具材の辛さの組み合わせがいかにも南インド。蘇る南インドの日々(というほど長くはないが)。ただし、油で焼いた生地に油で炒めた具を入れて油(バター)を乗せているという意味では恐ろしい料理。案の定、6割ほど食べたところで胃がもたれた。 ところで、最近欲しいビールが手に入らなくて困る。行きつけのスーパー・マルシェのビール売り場がなくなり、スイーツ売り場に変わってしまった。一時的なものであればよいのだが。なので一昨日はわざわざ(というほど遠くない)ヴァサント・ヴィハールのCブロック・マーケットの酒屋2軒を訪ねたが、欲しいブランドを扱っていない。さらに、今日ウドゥピで夕食をとった目的の一つは、同じビルにある酒屋に行くことだったのだが、そこの2軒も扱っていない。しかたないので第2希望として広く流通しているはずの有名国内産ブランドを求めたが、なぜかそれもない(これは一昨日のところにはある)。困った。この忙しい時に余計な手間とストレスをこんなところで味わうことになるとは・・・。 [追記]その後、マルシェのビール売り場は無事復活。めでたし。 PR
道を尋ねることよりも、道を尋ねられることの方が断然多い。なぜだろう。
たとえば東京の雑踏で道を尋ねようと思ったときに、まわりに多くの人がいる中、あえて外国人風の人に尋ねようと思うだろうか。いや、ありえない(反語)。まず、その人が東京の地理に詳しいとは思わないし、言葉が通じるかどうかも懸念するだろう。 しかし、デリーで暮らす日本人の自分に、あえて道を聞く人が少なからずいる。今日(ブログ上日付の昨日)1日で2回もあった。まわりに他に人がいないならともかく、いずれもそういう場面ではない。なぜだ。ちょっと理由を考えてみた。 仮説1。外国人だと思われていない。北東部出身者と勘違いされている。インド関係者には言うまでもないことだが、ナーガーランド州やマニプル州などインド北東部の人々の顔立ちは日本人や韓国人に近い。デリーにも多く暮らしており、たとえば自分の住むアパートの向いにもたくさんいる。彼らは概して英語がうまいことが多く、彼らに言葉でサポートを受けたことも何度かある。服装などからして外国人か北東部かの判別はおよそつくはずなのだが、北東部の人と間違われているということもなくはない。 仮説2。外国人だとわかってわざと聞いている。インドの人たち(と一般化してしまうことには職業柄強い抵抗があるが)に道を聞くと、大概がんばって説明してくれる。言葉が通じなければジェスチャーを交えて、わからなければ周囲の人たちを巻き込んで、何らかの回答を示してくれる。だが、残念なことに、正確性に欠けることが多い(自分の体験上)。「わからない」と言わずに、推測で答えている場合がある。これはクラスメイト(インド人しかいない)にもしばしば感じていることだが(ただし最近は確信度合いのニュアンスをつかめるようになってきた)。そういうことを踏まえて、わからないならわからないと言う、確度の高い情報を求めて外国人にあえて聞いているという説。 仮説3。外国人なので道を聞く対象に選ばれる確率は低いが、道を尋ねる側の絶対数が多いため、道を聞かれる回数が結果的に多くなっている。要するに、外国人だから多いわけではなく(相対的には少ない)、道は尋ねるものだという文化が強いため、それなりの頻度でそういう場面に遭遇するという説。 仮説4。JNU(内、もしくは周辺)にいる外国人だから、ある程度土地に精通しており英語が通じる学生なのだろうと考えられている。地方遠征時を除けば、自分は圧倒的にJNU内もしくは周辺に生息している。したがって、自分を見てJNUの学生だと思い、道を聞いているという説。 と、思いつくままに書きだしてみたところ、考えがまとまった。おそらくは外国人か否かが問題ではなく、道を聞く人の絶対数が多く、しかもJNUの学生という推定が事例数を高めているのだろう。つまり、仮説3と仮説4の両方(これらは相反するものではない)。 考えてみると、インドでは道を聞いている人が多い。たとえばオート・リクシャーに乗っていると、その運転手が行き先を知らずに他のオートの運転手に聞くケースや、走行中にほかの車やバイク、オートの運転手が並走するオートに道を聞くことが多々ある。ちなみに、自分が自転車を運転していた時、バイクが並走してきて道を尋ねられたこともある。カーナビが普及した世界でないことは言うまでもなく、標識も十分ではないことが多い。また、尋ねる相手はいくらでもいるのだから、わからなかったら聞けばいい。斯く言う自分も先日主要政党本部をハシゴして回ったとき、場所を一切調べずにオート・リクシャーをチャーターして、自分や運転手が道を聞きながら場所を見つけて回ったものだ。 しかし、学外で聞かれることもあるし、広大な学内の地理についても自分の関係する場所以外はあまり詳しくない。正直なところ、あまり道を聞いてほしくはない。
デリーに住んでもう丸9か月になる。だが、まだまだわからないことが多すぎる。
最高気温が40℃前後に達するこの頃は、適切な水分補給を行うことに苦慮している。乾燥した高温の下で、大量に水分を失っているので、多めの水分とミネラルを補給しなければならない。そのためにいろいろと工夫をするわけだが、手軽に入手できるスポーツドリンクのゲータレードに頼ることが最近は多い。味は好みでないのだが、贅沢は言っていられない。 先日、JNU学内唯一のATMが故障しており、かつ手持ちの現金が絶望的に不足していたため、炎天下の中わざわざ学外に自転車で出て、ベール・サラーイのマーケットまで赴いた。わずかな距離の移動だが、今はそれがつらい。そこでついでにゲータレードのペットボトル(500 mlでRs. 35)を購入した。デリー生活での感覚から言うと、割高な品。同サイズのミネラル・ウォーターならRs. 10ほど、コーラならRs. 22(600 ml)。クラスメートの多くは、基本的に無料の浄水器の水を飲んでいる。授業中にゲータレードのペットボトルを机の上に置いておくことには、少し抵抗を感じる。 それはさておき、その店で、他の客が店員とのやり取りに、驚きを覚えた。 客「スプライト」 店員(子供)「ティーケー」(OKの意味) 客「PET bottle」(瓶ではなく、ペットボトルの方をくれ、ということ) 店員はペットボトルを手渡す。 ・・・えっ?「ペットボトル」で通じるのか? 「PET bottle」は英語としては一般的でなく、通用しない。「plastic bottle」と言わないとダメだ。そう習ってきた。だが、どうやらそうした常識はここインドでは当てはまらなかったようだ。どこまで普遍的に通用するのか知らないが、少なくともローカル・マーケットの子供がわかるということは、ある程度通用するであろうことが推定される。 まだまだわからないことが多すぎる。が、インド生活1年目もあと3週間強でひとまず終わりとなる。
暑い。今日も最高気温は40℃。しかも、自室と学内を活動場所とする平日は、エアコンのほとんど存在しない世界で生きている。自室にも、教室にも、食堂にもエアコンはない。図書館のコンピューター・ルームが唯一の涼める場所。
デリーの天気(日本気象協会) 日本の夏との違いは、乾燥していること。そのため、夏なのに、静電気が発生する。長くなった髪を櫛でとかすと、強力な静電気のせいで、アホ毛(頭部から触角のように飛び出して立っている毛のこと。wikipedia)大発生。 連日の暑さで、かなり消耗している感がある。やるべきことが山のようにあるのだが、しっかり休養もとらないと生きていけない・・・。
今の住まいは、冬寒く夏涼しい。直射日光が当たらない場所で、かつ最上階ではないため。日中も室内の気温はさほど上がらない。
外の最高気温は40度前後で、室内はおおよそ1日を通じて30度程度。ファンがあるので、耐えられない暑さではない。自分は。 だが、残念ながらラップトップは耐えてくれない。室温20度くらいでも、こちらが気を抜くとオーバーヒートで突然シャットダウンしてしまう(日本で使っていた時からのこと)。 暑さ対策として、まず、ラップトップの下に小さな本をはさんで机との間に空間をつくり、空気が流れるようにした。これでしばらくは大丈夫だったが、それなりの暑さの中での長時間の使用となると、これでは不十分となった。そこで、現在はUSBファンをラップトップの換気口に向けて設置することにより、無理やりに対流を生んで冷やす策を取っている。これによりオーバーヒートは今のところ完全に防げている。 インドで使うラップトップの条件としては、オーバーヒートしにくいことと、停電時もしばらく駆動できるバッテリー容量の大きさが求められる。現在のラップトップはいずれにおいても問題ありだ。
ネクタイを締める(5か月ぶりくらい)。
革靴を履く(同)。 シャツをズボンに入れる(それほどではないが久しぶり)。 それなりに身なりを整えて、出発。研究の資料収集のため、今日はいろいろなところを回る。服装を整えるのは、事を円滑に運ぶため。 まずは足探し。タクシーをチャーターするつもりだったが、高く感じてオート・リクシャーにしてしまった。 4月中旬のデリー。開放的なオート・リクシャーで風を受け街を進む。風が熱風であるから、助けにはならない。オートを降りて動くことも多々あった。この暑さの中、日中に活動をするべきではないのだろうが、せざるをえないときもある。 チャーターしたオートの運転手が頑張ってくれたこともあり、資料収集の目的はほぼ果たせた。時間も予想していたより短く済んだ。だが、消耗した・・・。エアコンつきのタクシーをチャーターしておくべきであった。
wikipedia上のとある日本人研究者の経歴に、「国際インド学校留学」との一文を発見した。なるほど、こういう訳し方もあるのか、と思った(必ずしも肯定的な意味ではなく)。
この「国際インド学校」とは、現在自分の所属するセンター(国際政治・国際組織・軍縮センター、Centre for International Politics, Organization and Disarmament: CIPOD)のルーツにあたるIndian School of International Studies(ISIS)のことだと思われる。その研究者がそこに所属していたという話は聞いたことがあるので(JNUの元教授から)、まず間違いない。 今でこそCIPODはJNUという大学院大学(学部組織も一部存在するが、基本的には大学院のみ)における、国際研究科内の一組織であるが、ISISはJNUよりも長い歴史を持つ。ISISの設立は1955年。JNUオフィシャル・ウェブ・サイトによると、ISISは大衆教育の機関としてではなく、独立間もないインドの国家運営を担うエリートの育成を目的として設立されたことがうかがえる。1970年に新設のJNUに併合されてその中の一研究科(国際学研究科、School of International Studies: SIS)となるまでは、Ph. D.課程のみしか提供していなかった。その後、SISにはM. Phil.やM. A.課程も設立され、大学院の一研究科として体裁を整えることとなった。 ISISを直接的に受け継いでいるのはSIS(国際学研究科)だが、内容的にはSISの内部の部門であるCIPODがISISの役割を色濃く受け継いでいる。インドの戦略コミュニティにはCIPOD出身者が非常に多いと言われる(ただし自分の実感としてはそれほどでもない。むしろSIS内の地域研究部門出身者のプレゼンスを感じる)。CIPODに限らないが、マルクス主義の存在感は全くと言っていいほど感じられず、リアリズム(一般的な意味でも、理論的な意味でも)が圧倒的な優位を誇る。 これら(戦略コミュニティとの近さ、現実主義志向の強さ)は伝統的かつ現在も根強いトレンドと言えよう。それとは異なるところで、古い流行の廃れと新たな動きがあるように思える。「第三世界」(この言葉の有意性にはまったく否定的な立場だが)からの抵抗という視点は、インドの台頭という(少なくともある側面での)現実を反映してか、薄れつつある。年配の教授陣には、世代的な呪縛としてそのような傾向がある(大概自認しており、しばしば自己批判もする)。対して(補完的という意味ではない)、新しい流れとしては、学究志向、理論化志向の動きがある。既存の理論や枠組みを使って分析するだけではなく、新しい理論を生み出す、ないしは既存の理論に修正を加えていこうとする試みである。必然的に、欧米において展開されてきた既存の議論に関心が向きがちとなる。 複数の視点が相乗効果をもたらすことがもちろん望ましいのだが、現実には逆に溝となっているような気がしないでもない。
JNU内の本屋の前で立ち止まり、雑誌をチェックしていた。すると、店の親父が無言で本を手渡してきた。本は、インド対外政策に関する最新の書。聞くと、今日届いたばかりとのこと。すっかり顔と専門分野をすっかり覚えられたようだ。これだけたくさん買っていればあたりまえか。手間が省けて助かる。(もちろん今回も購入)
購入した本・雑誌などを詰めたバッグを背負い、歩く。4月中旬。昼間の熱気が身にまとわりつく。呼吸をすると、乾燥した熱気が鼻を通り抜ける。この感じは、まるでサウナ。先週中ごろは雨でひと時控え目な気温となったが、その後は容赦ない(併せて、停電も急に多くなった)。この暑さはそろそろ未体験ゾーンに入りはじめている気がする。
リサーチ・メソドロジー(研究方法論)の授業は、最後の定量分析のパートに入っている。授業は予想をはるかに超えて、基礎的な内容からスタートした。データの種類、グラフの種類、平均の種類・・・などなど。正直なところ、もっと実践的な内容を期待していたのでがっかり(最終的にはそこまで到達することを期待している)。ただしほかの学生の反応を見ると、そこから始める必要があるのもわかる。また、担当教員は疑いの余地なく極めて優秀な人物なのだが、定量分析に関しては教え方が下手。たとえば、あるグラフの種類を説明するとき、そのグラフの特徴(利点など)に関するテキストの記述を読み上げ(テキストは教員のみが持っている)、おもむろにデータを示して、さあグラフを書いてみよう、と言う。当然、その説明だけではどんなグラフを書けばいいのかさっぱりわからないので、学生は右往左往。そのような感じで、無駄に時間がかかり、なかなか進まない。
データには身近な例を使い、取り組みやすくしようという意図はうかがえる。だが、使う例が悪い。たとえば、学生の体重をデータに使う。女性も含む(だいたい半分)すべての学生に体重を言わせ、それをデータ・セットとする。年齢も使った。「差別的でない(politically correct)かい?」「君たちの気分を害さなければいいんだけど」などと言っているので、繊細な質問であることは承知しているのだろうが・・・。もちろん日本でこれをやったら大問題だろう。 ただし、この無神経な(わかっていてもわざとやっているのかもしれないが)質問のおかげで、思わぬ収穫があった。他の学生の年齢を知ることができたのだ。これまでのJNU生活から感じた範囲内では、日本での生活と比べて、年齢は重要視されていない。話題にすることも少ないし、書類上に書かされることも少ない。そのため、他のクラスメイトの年齢を知らなかった。知らなかったというよりは、みんな順調にストレートで学年を重ねてきた場合の年齢である22-23くらいだと思いこんでいた。が、実際にはもっと多様であることがわかった(具体的には書かないが)。自分が当然一番年上なのだろうと思っていたが、それも事実ではなかった。 ちなみに、年齢に対する意識の違いというのは、政治の舞台を見ていても感じることがある。現首相は76歳(1932年生)だが今度の選挙でも首相候補であるし、最大野党の首相候補に至っては現在81歳(1927年生)だ。 プライバシーの観点においては大いに問題のある質問であったが、おかげで1つの誤った認識が解消された。これまでは、自分が年上で、経験もずっと豊富だという前提で接していた。今後は彼らを見る目も少し変わるかもしれない。 |
プロフィール
HN:
toshi
性別:
男性
自己紹介:
2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
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