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インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
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前編はこちら。インドのインターネット通販本屋、flipkartで本を買った話。

結論から言うと、上出来。とても良い。

トータルで10冊ほど本を頼み、ほぼすべてが注文から2~3日で届けられた。さすがに日本のアマゾンほどのスピード感はないが、このインドでこのように速やかかつ正確な配送は、賞賛に値すると思う。

唯一1冊、available(利用可能)と表示されていたから注文したのに、実際には在庫がなかった。注文したのはハードカバーの書籍なのだが、どうやら登録時のミスで、実際にあったのはペーパーバック版のみであった。表示されていた値段もペーパーバック版のもの。

その旨がメールで送られてきたので、ペーパーバック版で構わないから送れ、と返信したところ、その2日後には届いた。登録ミス自体は問題だが、その後のスピーディーな対処をもってよしとしよう。

価格は、定価通りのものから、10~15%引きにものまで様々。一定金額以上の注文なら送料は無料。しかしその下限金額が非常に低いので、実質送料無料。

もっと早く試していればよかったかな、と思う。
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Pushpesh Pant, Hindu Soul Recipes, Roli Books, 2008.


自分用インド土産の1つとして購入したこの本。インド伝統料理のレシピ集。

とはいっても、自分でインド料理をつくるつもりはなく、いわば思い出の品として。

この本の著者は、自分がインドで出会った人物の中で、最も印象的な人物の1人。


越前敏弥『日本人なら必ず誤訳する英文』ディスカヴァー携書、2009年。

『ダ・ヴィンチ・コード』の翻訳家として有名な人らしい。全然知らなかったが。

「英語自慢の鼻をへし折る!」とは、またずいぶんと挑発的な帯だ。

こないだ東京からデリーに戻ったとき、飛行機の中でペンを片手にチャレンジしたが、見事に鼻を折られてしまった。

大変勉強になった。

アプローチは何ら新しいものではない。

受験英語の方法論を基礎として、手堅く文構造を理解したうえで、意味の通じる日本語にする。それだけのことなのだが、日本語を母語とするものが間違いやすいポイントを突いてくる。また、翻訳家ならではの、上手に訳すコツもちょっと学べる。

今やっている翻訳の仕事に生かせればよいのだが。
夏休み2ヶ月の日本滞在中に、いくつか印象に残った本との出会いがあった。その中の1冊がこれ。本屋で偶然にめぐり会えた。

福岡伸一『動的平衡―生命はなぜそこに宿るのか』(木楽舎、2009年)

目にとまった理由は、その帯。福岡先生の写真、はどうでもいい。

「読んだら世界がちがってみえる。」

これも別にどうということのないキャッチコピーだ。ありがち。そこではなく、推薦者の言葉が気になった。

「先生の本を読むと頭の中に一陣の涼風が吹きぬけるようだ」(内田樹)

「ゆったりと時が流れる不思議な読書体験を与えてくれる本だ」(竹内薫)

科学の本に対する評としては、おかしい。気になり、手にした。ちょっと目を通すと、評者の言う意味がわかった。たしかに、そのような感じがする。涼風。ゆったりとした時。的確な評だ。スマートな文章に心を奪われた。

自分が論文を書くとき、誤解を読み手に与えないことを意識する結果、冗長な文章を書く癖がある。また、論理構成をうまく表現できずに苦しむことが多々ある。そこで、文章の教材として、この本を買うことにした。

実際に読んでみると、内容も実に興味深い。さまざまな疑問に、広く認められている学説と、著者の仮説を交えて、説得的な説明が展開される。

たとえば、なぜ大人になると時間が早く過ぎるように感じるのか、というパズルがある。本書によると、その理由は、体内時計の基礎となる新陳代謝が加齢とともに遅くなるからだという。つまり、年をとると、新陳代謝が遅くなる。すると、新陳代謝の速度に基づいている体内時計も遅くなる。時計の針がゆっくり回るようになるというイメージ。仮に体内時計が半分の速度で進むとすると、現実1年間が経過したとき、まだ半年しか経っていないと感じられる。しかし現実には1年の時が進んでいるので、時間が早く経過してしまったように感じられる。(40~45ページ)

本書のタイトルである「動的平衡」の部分は特に印象的だ。

以下、引用。
生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。身体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作り変えられ、更新され続けているのである。

だから、私たちの身体は分子的な実体としては、数ヵ月前の自分とはまったく別物になっている。分子は環境からやってきて、一時、淀みとして私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれていく。

つまり、環境は常に私たちの体の中を通り抜けている。いや「通り抜ける」という表現も正確ではない。なぜなら、そこには分子が「通り過ぎる」べき容れ物があったわけではなく、ここで容れ物と呼んでいる私たちの身体自体も「通り過ぎつつある」分子が、一時的に形作っているにすぎないからである。

つまり、そこにあるのは、流れそのものでしかない。その流れの中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」ということなのである。シェーンハイマーは、この生命の特異的なありように「動的な平衡」という素敵な名前をつけた。

ここで私たちは改めて「生命とは何か?」という問いに答えることができる。「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」という回答である。

そして、ここにはもう一つ重要な啓示がある。それは可変的でサスティナブルを特徴とする生命というシステムは、その物質的構造基盤、つまり構成分子そのものに依存しているのではなく、その流れがもたらす「効果」であるということだ。生命現象とは構造ではなく「効果」なのである。(231~232ページ)
引用終わり。

身体は、流れる分子の一時の淀み。生命は、「動的な平衡」の生み出す「効果」。

もともとこれに近い生命観を持っていたので自分は受け入れられたが、他の人はどう思うだろうか。おそらく、すんなり受け入れられない人が多いだろう。でも、そんな人にこそ、この本を手に取ってもらいたいものだ。
インド発の国際政治理論、あるいは政治学理論はあるか。この問いに対する答えは、少なくとも今のところは、Noだろう。現在の国際関係論や政治学において、理論と呼ばれて重用されるものの中に、インド発あるいはインド人によるものはないと思われる。

だが、理論はなくとも、思想はある。古代から脈々と続く思想の伝統が(もちろん変化しながら)。インドの政治や外交を考えるためには、その背景にある思想を知る必要があるとは思ってきた。残念ながら、今はそこまで手を広げる余力はないが。

今日、書店で『インド実在論(Indian Realism)』という本を見つけた。初版は1939年にもかかわらず、その後も版を重ねていることからすると、おそらくはこの分野における有名な業績なのだろう。

Jadunath Sinha, Indian Realism, New Delhi: Motilal Nanarsidass Publishers, 1999 (originally pubulished in 1939 in London), 287 pg., Rs. 295.

ここで言う「リアリズム」は、「現実主義」と訳されるところの国際関係論のリアリズムとはまったく違う、「実在論」と訳されるものである。

以下、序文の部分訳。

「本書は、Yogacara Vijnanavada(主観的観念論)、およびインド実在論諸学派によるそれ(主観的観念論)への徹底的な批判の再構築を試みるものである。・・・私は単に、インドの思想における主観的観念論と実在論の論争を扱い、インドの実在論者が外的世界の実在を証明しようと試みた議論にほぼ完全な説明をしようとしたのだ。・・・」(p. xiii)

政治思想ならまだしも、哲学思想までは手を出せそうにないし、あまり関心もない。序文だけ読んで終わりにした。

ちなみに、「インド実在論」と日本語でGoogle検索してみたところ、思いのほか多くのヒットがあって驚いた。
9/11(nine eleven)といえば、アメリカの同時多発テロのこと。アメリカと世界に衝撃を与えたあの事件は、9/11とだけ言えば、その事件の意味で通じる。同じように、26/11(twenty six eleven)という言葉がある。昨年11月にムンバイで起きた大規模テロのことだ。インド以外でどの程度使われていのかは知らない(おそらく使われていないのだろう)が、インドではすでにかなり流通しているように思われる。

11月26日が26/11というように日付が前になるのは、アメリカ式英語とインド式英語(イギリスもそうかな)の違いのため。アメリカでは月、日、年の順だが、インドでは日、月、年の順。

26/11から早3ヶ月。事件のインパクトは今も色濃い。市民生活への影響はともかく、政治的なインパクトが甚大であったことに疑いの余地はない。

早3ヶ月だが、視点を変えればまだ3ヶ月。書店でこの事件に関する本を見つけた時には、その早さに驚いた。

Harinder Baweja, ed., 26/11: Mumbai Attacked, New Delhi: Roli Books, 2009. Rs. 295. 216 pg.


ジャーナリストによる叙述的な作品。「なぜ」を説明するのではなく、「なにが起きたか」をまとめた本。事件そのものの展開を説明することに紙幅の大部分が割かれる。したがって学術的な関心に応えてくれる本ではないが、何かの役には立つかもしれないと思い、購入。

この本を見て(読んではいない)気になったのは、事件を美化しようとする傾向が感じられたこと。事件に現場で関わったインド側関係者を英雄視するようなところが見られる。9/11のときも同じような傾向があった。そのような心理が働くことは理解できる。だが、凶悪なテロリストに対峙する英雄たちという構図を際立てることには怖さも伴う。9/11後のアメリカを想起せざるを得ない。事件から3ヶ月、インド政府はきわめて抑制的な対応をしているが。

歴史の記憶という問題は、国際政治における1つの研究分野と言える。26/11が今後人々にどのように記憶されていくことになるかは、興味深い。

ちなみに、本書にはこの事件のテロリストたちの顔写真が掲載されている。もちろん1人以外はその場で殺害されているので、遺体の写真ということになる。
JNUの図書館裏の書店で本を漁っていると、店のおっちゃんがやたら汚い2冊の本を掘り出してきた。1つは30年前に出版されたもの、もう1つは55年前。いずれもアメリカで出版されたもの。値段はついていなかったが、2冊でRs. 1,000の提示。おっちゃん曰く、レアだから、とのこと。疑わしい。なんていい加減な値段だろうか。でもとりあえず購入した。bb25cbf0.jpeg

その内の1冊が、これ(右写真)。

Chester Bowles, Ambassador's Report, New York: Harper & Brothers, 1954.
 
著者チェスター・ボウルズ(1901-86)は、アメリカの在インド大使を2度(1951-53, 62-69)にわたって務めた政治家・外交官。コネティカット州知事(1949-51)や、ケネディ政権の国務次官(1961、当時は今と違い、国務省No. 2ポスト)も務めている。米民主党の大物と言えるだろう。

本書は最初のインド大使勤務の後に書かれたものである。

Amazon.comでチェックしたところ、何と10件もユーズド(中古)の出品がある。値段は$0.58から(もちろん送料が別にかかる)。55年前の本が今でもこれだけ残っているということは、かなり売れた本なのだろう。これだけ有名な本とわかっていれば急いで買う必要はなかったが、研究に関する本についてはチャンスを逃さないために躊躇わずに買うこと流儀としているので、後悔はない。

前書きをちょっと見ただけでも、売れた理由がなんとなく想像できる。平易な英語で書かれた文章がとても魅力的。口述筆記スタイルで書かれたのかもしれない。前書きの書きだしは、以下の通り。

アジアから戻ってたった3カ月でこの本を書くなんてことは、朝飯前だ!当時発見したことは、フレッシュでエキサイティングだった。問題点はまったく簡単で単純に思えたし、課題は明らかだと思った。

インドとネパールへの大使としての18か月からアメリカに戻った今、一番強い印象は、その課題と問題点がほんとうはすごく多面的で複雑だということだ。アジアの将来に唯一の、または簡単な解決策なんてないことは確かだ。そして、私はとても謙虚な気持ちで自分の考えをしたためている。

だが、将来、我々の時代の歴史は主にアジアで書かれると私は信じている。もしそうなら、そしてもしアメリカがその歴史を説きあかすことに建設的に参加することになるのなら、私のように世界最大の民主主義国の首都で目前にアジアを観察する機会を得た人には、アメリカの人たちに報告する義務がある。(p. ix)

わざと柔かく訳したところもあるが、雰囲気はこんな感じ。当時この本を手に取った人は、きっと関心をそそられただろうと思う。「アジア」という単語が緩く使われていることは気に食わないが、それはまた別の話。

構成は以下の通り。
Sanjoy Bagchi, The Changing Face of Bureaucracy: Fifty Years of the IAS, New Delhi: Rupa, 2007. 592 pg. Rs. 795.

本表紙画像(リンク切れの可能性あり)
 

表紙のイラストが何ともキュートだが、それにつられて買ったわけではない。

インド行政職(Indian Administrative Service: IAS)に長年勤めた著者が、IASの歴史と制度を解説する大著。著者Sanjoy Bagchiは1953年にIAS入りし、マディヤ・プラディーシュ州でキャリアをスタートさせ、通商・産業部門に勤務、1978年から11年間はGATTにアドヴァイザーとして参加、その後もジュネーヴで国際機関に参与したのち、インドに帰国した人物。

The Hindu紙による著者へのインタビュー記事を読むと、「今どきの若者は・・・」的な嘆き節も聞かれる。執筆の意図はそのようなところにあるのかもしれないが、本書自体はそのような領域に止まらず、IASを知る上で非常に有意義な本に仕上がっている。IASに連なる歴史(東インド会社、イギリス統治下のICSなど)から説き起こし、IASの制度と変化を詳説する。とにかくinformative(情報量が多い)。たとえば、給与体系も紹介されている(251ページ)。

IASの基本情報については「インドチャネル」を参照

Vithal Rajanによる書評
本日購入した書籍に関するメモ。今日は労力の割に収穫少なし。

日印関係、インド安全保障、米印関係の各1冊。
Harish Kapur, Foreign Policies of India's Prime Ministers, New Delhi: Lancer International, 2009. 444 pg. Rs. 895.

著者Harish KapurはGraduate Institute of International and Development Studies (Geneva, Switzerland)の名誉教授。

タイトルからして、首相ごとにインドの対外政策を叙述した概説書であろうと予測して(つまり、さほどの期待は抱かずに)購入した。だが、軽くスキミングしたところ、Kapurの関心が対外政策決定過程(decision making process)とその決定要因(factors)に向けられていることがわかった。首相1人に1章を割き、それぞれの章で情勢認識および決定過程の分析と、評価を行っている。結論では、対外政策の決定要因を個人的要因と政治的要因の2つに収斂させて総括している。

Amazonへのリンク
Foreign Policies of Prime Ministers of India

[追記]

手元にあるのはインド版で、右の写真及びAmazonのリンクはアメリカ版。タイトルの違いはそのため。また、インド版の総ページ数は444なのだが、Amazon.co.jpではなぜか600ページとなっている(2008年12月27日現在)。600というのが予定されていたページ数なのか、それともアメリカ版とインド版では内容にも違いがあるのか、そこはわからない。


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プロフィール
HN:
toshi
性別:
男性
自己紹介:
2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
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