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インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
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2009年8月1日から3日にかけてのアムリトサル旅行。

まずは1日目の様子から。

デリーからアムリトサルに入り、黄金寺院とジャリヤーンワーラー庭園を見る。


2009年8月1日(土)

朝6時15分、戸締りを厳重に行い、家を出る。JNU正門前で待つ。JNU内の警備員の出勤時間のようだ。ムニールカーの丘からぞくぞくと降りてきて、JNUに入ってゆく。
 
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JNU正門前の朝の様子。

6時30分ころ、今回の旅をともにするO氏到着。O氏が乗ってきたオート・リクシャーは空港行きを拒んだため、このあたりにいつもたまっているオート・ワーラーに声をかける。早朝はたいていそうだが、働く気がまだないらしく、喰いついてこない。こちらからお願いするような感じ。空港までRs. 100。相場通り。

空港国内線ターミナル1。新装後初利用。以前がひどすぎたこともあり、とてもきれいになったように感じる。

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国内線新ターミナル。

すぐにチェックイン。Jet Airwaysのカウンターはそれなりに混雑していたが、スムースに流れる。セキュリティ・チェックは空いており、問題もなくあっさり終了。O氏は細かくリュックの中身をチェックされ、しかも横柄な態度を注意されるという幸先悪いスタート。

搭乗開始を待つ間、ケンタッキーで朝食。フライドチキンの種類をスパイシーかノン・スパイシーか聞かれる。スパイシーと答えると、店員は感心。外人がスパイシー好きで悪いか。朝食からフライドチキンにポテトはきつかった。油が胃にもたれる。

搭乗。機体は客席数40弱の小型機。Jet Airwaysではなく、Jet Konnect Serviceの運航。子会社だろうか。ほぼ満席。8:00の出発予定。おおよそ時間どおり。短時間のフライトで、機内食はナシ。ドリンクも最初に配られる小さいペットボトルの水だけ。軽食とドリンクは機内販売。クッキーとコーヒーを注文。出されたのは、お湯と粉。インスタントを自分で作れということ。

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出されたインスタント・コーヒーの素とお湯。奥はクッキーの袋。

1時間ほどのフライト。ゆっくりする間もなく目的地。アムリトサルの上空からの様子は、緑豊か。デリーの乾いた大地とはまったく違う。大地を覆う一面の農耕地の緑が鮮やか。灌漑ができているようだ。

9:30ごろ到着。アムリトサル国際空港。ターミナルは新しく規模も大きいが、利用する飛行機は少なく、ターミナルの3分の1ほどしか使用されていない。飛行機をおりてターミナルまでは歩いてすぐ行ける距離だが、バスによる輸送。歩けば2分のところ、待ち時間を含めてバスで5分。

チェックイン荷物もないため、すぐに空港ロビーで市内への足を探す。プリペイド・タクシーのブースを発見。オート・リクシャーを使うつもりでいたが、オート・リクシャーの姿は見えず、空港外にタクシーのブースがあるかどうかもわからなかったので、空港内のブースへ。オート(リクシャー)はあるかと聞くと、あるとのこと。アムリトサル駅までRs. 300の提示。そんなバカな。『歩き方』にはRs. 70くらいとの記述。ブースの男が言うには、車(タクシー)なら最低でもRs. 700。半信半疑どころか100%疑っていたが、他に手段がないかもしれないと考え、やむなくRs. 300を払い、案内にしたがい外へ。すると、連れて行かれた先はオートではなく車。大きめで、エアコンもついている。その車で市内へ向け発車。かなりの速度でより道もせず駅まで連れてきてくれた。およそ15分。結果的には料金相当のサーヴィスを提供されたことになる。今になって思い返すと、おそらくはオート・リクシャーを扱っていないため、オートだと嘘を言ってこちらを引きとめたのだろう。ただし、ぼったくりではなく、タクシーの正当な料金をとり、正当なサーヴィスを提供した。そんなところだろう。

ちなみに、空港外には数台のオートもいた。プリペイド・タクシーのブースも外にもあった。

アムリトサル駅着。まずはホテル探しだ。今回は事前の手配なしで、これから探さねばならない。『歩き方』に唯一記載のあるHotel Airlinesをめざす。が、それにしても暑い。デリー以上に暑い気がする。

駅から東へ歩き、途中のホテルをチェックしながらHotel Airlinesへ。Rs. 500程度の安ホテルから、Rs. 5,000 くらいの中規模ホテルまでいろいろあった。宿には困らなさそうだ。しかし、目的のHotel Airlinesが現れない。『歩き方』には「徒歩5分」とあるのだが、明らかにそれ以上進んでもたどり着けない(原因はのちに判明する)。猛暑で大いに消耗する。『歩き方』の地図を頼りに進むが、地図の指し示す場所に見当たらないため、近くにいた警官に聞く。親切に教えてくれた。すぐ近くまで来ていた。しかし地図が悪い。不正確だ。

ともかく、Hotel Airlinesに着いた……のだが、本当にここだろうか。外見は薄汚く、営業しているのかどうかすら疑わしい。見ると、紙に手書きで「Receptions」(受付、しかしsは不要)と書かれた紙が無造作に貼られている。足を踏み入れることに躊躇いを抑えきれない。しかし、わざわざ苦労して来たのだ。とりあえず入る。確かに営業中だ。受付のオヤジは柔らかい物腰で好印象。部屋を見せてもらう。まずは、エアコンつきデラックス・クラスの部屋。そこに見えるのはブランコ。…。おもしろいじゃないか、と思ってしまった。きっと疲れていたのだろう。つぎに、スイート。こちらもブランコ。しかもバスタブ付きの部屋。もちろんエアコンあり。古そうな建物だが、手入れは行き届いている。デラックスがRs. 1,200、スイートがRs. 1,500。スイートをRs. 1,300に値下げしてもらい、そちらに決定した。値段は交渉を頑張ればもっと下がるだろう。ちなみに、デラックスでもバスタブ付きの部屋もある。

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なぞのブランコ。

さっそく観光へ出発したいところだが、この時点で大いに消耗しており、少し休憩。

12時頃まで休憩した後、(インド的には)少し早目の昼食へ。ホテルのオヤジのすすめで、徒歩3分のところにあるCrystalというレストランへ。

やばい、高そうだ。ホテルに足を踏み入れた瞬間、そんな言葉が口をついた。たしかに「いいレストランgood restaurant」を尋ねはしたが、高級なところを聞いたつもりはなかった。

ともかく席に着きメニューをみると、それほど高くはない。デリーの感覚で言うところの中級。Rs. 500もあれば十分といったところ。O氏は何を血迷ったかイタリアンを注文。こちらは羊脳カレー(Brain Curry, Rs. 160)にチャレンジ。かなり抵抗はあったが、食の求道者たらんとする自負が、珍品を前に撤退することを許さなかった。

見た目は普通のグレイビー(いわゆるカレー)。あからさまに脳らしきものは見えない。おそるおそる口に運んでみる。おいしい。野菜のうまみが生きていて、まろやか。これはいける。よくよく見ると、白い物体が見える。これが脳だろう。その部分を口に入れると、明らかにそれらしい味がする。白子のような。自分の味覚はそれを受け入れるが、先入観がそれを拒む。以降、脳の部分をできるだけ避けながら食べた。心の壁は越えられなかった。

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脳カレー(ブレイン・カレー)。

レストランを出て、サイクル・リクシャーで最初かつ最大の目的地、黄金寺院へ向かう(Rs. 20)。シク教の聖地だ。

ところで、この街はサイクル・リクシャーが多い。その点はヴァーラーナスィーを想起するが、知りうる限り最悪の交通事情のヴァーラーナスィーと、道路がきれいに整備されているここアムリトサルでは状況が大分違う。ヴァーラーナスィーでは中心部への車の侵入が規制され、狭くガタガタの道をオート・リクシャーやサイクル・リクシャーが行き交う。アムリトサルでは整備された一方通行の道を、車、オート・リクシャー、サイクル・リクシャーが混然一体となって激しい流れを生み出す。ようするに、ここでは交通が機能している。ただし、排水までは整っていないため、道端に汚泥が堆積しており、激しく臭う。

窮屈なサイクル・リクシャーの座席に身を屈め、黄金寺院前に到着。とたんに、バンダナなど布を売る人たちに囲まれる。ここでは宗教上の理由から頭に何かをかぶる必要があるため、需要があるのだ。手ぬぐいは持っていたが、せっかくなので黄金寺院と書かれたオレンジの布をRs. 10で購入した。

靴を預け、寺院構内へ。入場も靴預けも無料。靴や飲み物の持ち込みは禁止。入口でかなり細かく説明と注意が行われるが、おしつけがましくなく丁寧で、好印象を受ける。門で足を洗い、中へ。中央に黄金に輝く寺院があり、周囲を四角く水が囲む。水へのこだわりを感じる。

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入口。手前に見える水で足を洗ってから入る。

まずは、池の周りを歩く。黄金の建物にカメラを向けると、親子連れのインド人客が何かを言ってきた。撮るなと言うのか?いや、そうではない。自分たちを撮れというのだ。撮ってもいいが、それでどうする?ともかくその黄金寺院を背景に親子を撮り、デジカメのモニターで撮った写真を見せると、大いによろこんでくれた。日本ならそれからメールで送って下さいとかそんなやりとりが続きそうだが、そういうことはなく、ただ撮っただけで終了。同じことが後でもう一回起こった(違う人たちから)。O氏も同じ目に遭っていた。その心理はよくわからないが、おそらく、自分が聖地を訪ねた証を何か残したい、そんな感情だろうか。

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その親子連れ。

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若者たち。

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黄金寺院。

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沐浴可能。

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水面の汚れを棒を使って集めている。

周囲を回り終える頃にはかなり疲れていた。なにせ暑い。そして、飲み水を没収されている。構内には飲み水を配給しているカウンターが複数個所あるが、さすがにそこで飲む気にはなれない。つまり、高温多湿の中、水分補給なしに炎天下を歩かざるを得ないのだ。

いよいよ中心の寺院へ。そこから先は撮影禁止。入口に柵が設けられ、2つの入口用通路(と1つの出口用通路)があった。一つは広く、一つは狭い。その時はよくわからないままに狭い方を行った。広い通路は、内部のお祈りするスペースに通じており、狭い通路はその周囲を通って見学するコースとなっていた。広い通路が大混雑して待たされていたので、狭い方で正解だった。両方とも建物の中に入れる。3階建ての建物の中では、それぞれの階で読経が行われていた。熱心な信者と思しき人々は経典を手に、読経に精神を集中させていた。

ここに集う人々は、きっと念願かなって聖地を訪れることができた人々なのだろう。人々の幸福感があふれている。働いている人たちも、誇りを持っている。そんな場所だった。

黄金寺院を出る。日程に余裕はあるので黄金寺院でゆっくりしてもよかったが、消耗が激しかったので足早に次を目指す。すぐ近くのジャリヤーンワーラー庭園へ。もちろん、水分補給を行ってから。

この庭園は、あのアムリトサルの大虐殺が行われた場所だ。1919年のこと。インド独立運動史における一大事件だ。イギリス軍司令官が民衆への発砲を命じた悲劇の場所だ。自分は、映画「ガンディー」のワン・シーンの印象が強烈に残っている。

黄金寺院が現在系の聖地であるのに対し、ここは過去を伝えるための場所。弾痕が残る壁、事件を描く絵、モニュメントなどがあるが、いかんせん過去のこと。正直なところ、特段の印象は残っていない。インドの人々がインド独立運動の歴史に思いを馳せる場所なのだろうが、自分はそういう感情移入をできなかった。

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庭園の様子。中央に見えるのがモニュメント。

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弾痕と壁。よく見ないとわからない。
 
その時は、悲劇により失われてしまった過去の多くの人命よりも、今まさに危機にさらされている自分の命が問題だった。ホテル探し、黄金寺院観光、それから歩いてたどり着いたこの庭園での移動により、肉体は深刻なダメージを負っていた。こまめに日陰で休憩するが、朦朧とした状態から回復できない。熱中症の恐れがあった。自分だけでなく、O氏もかなり苦しそうだった。

そこでジャリヤーンワーラー庭園は手短に切り上げ、サイクル・リクシャーでホテルへ戻った。水分をしっかり摂り、シャワーを浴び、エアコンの効いたホテルの部屋でゆっくりしたところ、体調はすぐに回復した。

じっくり休憩し、夜8時ごろ再始動。夜の黄金寺院を見に行くというプランもあったが、もうそこまでの元気はなかった。おとなしく近場で夕食へ。サイクル・リクシャーで移動し、Ritz Hotelのレストランを利用。すべてビュッフェになっていた(Rs. 380)。ビールを嗜みながら(別料金)、インド料理・中華料理のメニューを少しずつ堪能。どれも味付けがほどよく、おいしかった。とりわけデザートが上出来。ココナッツの生の実を使ったと思しきムースがすっきりしていてかつ味わい深く、いい味を出していた。

ホテルに戻り、一日目終了。

実は見たいところはほとんどすべて見終えている。明日は印パ国境に行くくらいしかやることがなさそうだ。
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自己紹介:
2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
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