インド・ニューデリーのジャワーハルラール・ネルー大にて国際関係を学んでいた留学生の記録。
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今日は、生活再建のための諸作業。朝から動く。松葉杖1本をつきながら。
まずは寮の食費の支払いだ。不在時は食費を止めることができるが、手続きが面倒だし、たいした金額ではないのでそのままにしていた。2ヶ月分でRs. 2,700支払い。 つぎは、新聞屋。不在中も代わりの住人が居たので、しっかり料金は発生している。5紙分と雑誌代で、Rs. 500ちょっと。1ヶ月分。もう新聞をたくさん読む時間がないので、1紙に変更した。 さて、次は自転車だ。2ヶ月近く前に骨折したとき以来、放置されている。寮の前でタイミング良くオート・リクシャーを拾う事ができ、JNU正門近くの駐輪場へ。同じく寮の前でオート・リクシャーを待っていた人と分乗。彼も松葉杖。 駐輪場で無事に自転車発見。しかし、がっつりサビている。 乗ってみる。やはりかなり傷んでいる。自分の足の話ではなく、自転車が。なので自転車修理のお兄さんのところに行って自転車を預けた。 ちなみに、骨折部位に負荷のかからないように、右足はかかとでこいでいる。十分イケる。歩くより全然楽。歩いていると、劣化した右ふくらはぎがすぐに疲れてしまう。 つづいて、オート・リクシャーで最寄のマーケット、バサント・ロークへ。 本屋はまだ開いていなかった。もう10時過ぎだが。 なので床屋。日本で行っておけばよかったのだが、何となく行きそびれてしまっていた。カット、髭剃り、シャンプーでRs. 500くらい。これでも高いほう。今日はちょっと手抜きをされた感じがする。 本屋は、まだ開いていないので、薬屋・スーパーで買い物を済ます。 それからようやく本屋。11時半オープンだろうか。馴染みの店主に怪我を心配される。しっかり買い込む。 昼食はスーパー・マルシェのとなりの安い店、Zaikaで。バター・チキンとローティーのセットでRs. 75。リーズナブル。味は大したことないが。ずいぶん待たされたのは、きっと時間が早すぎたからだろう。まだ12時ごろだったので、ランチタイムには早すぎた。 予定ではこのあとほかのマーケットまで足をのばすつもりだったが、荷物の重さが限界水準に達しているので撤退。 オート・リクシャーで自転車修理の店に戻る。 が、まだ作業をしてくれていなかった。5分待て、と言われる。「5分待て=20~30分」の公式を適用し、ベンチに腰をかけて買ってきた本を広げて長期戦の構えをとるが、それほどはかからなかった。たぶん15分くらい。細かくメンテナンスをしてくれた。おかげでかなりマシになった。雨ざらしで錆び付いたのはどうしようもないが、乗れる状態までなった。請求はなんとRs. 120。日本なら安くて驚きだが、ここでは高くて驚いた。自転車修理でこんなにたくさん払ったのは初めてだと思う。パンク修理ならRs. 10のところだし。まあいいが。おそらく油をたくさん差したからなのだろう。 自転車をこいで寮へ戻った。 これで、自転車という能動的に制御できる移動手段を得られた。 これからの生活、何とかなる。そういう実感をつかめた。 PR
エア・インディアAI307便にてインド入り。ちょうど1ヶ月ぶり。
ほぼ予定通りのフライト。日本時間午後12時すぎに出発し、インド時間午後7時前に到着。フライト時間が9時間半オーバーと非常に長いのは風のためとか。 今回は、エコノミークラスの最前列の席だった。前に座席がないので、足が伸ばせてよい。給食が最初に始まるのもよい。ただし、富士山とかカンチェンジュンガとか、見所になると他の席の客が覗き見にくるのはいただけない。 2月、デリーはベストシーズン。暑からず。寒からず。 東京が寒かったので、デリーは暖かく感じられた。 今回の日本滞在は、療養目的。それ以外の用事もこなしたが。 怪我は癒えていないが、そうも言ってはいられない。時間が無いのだ。3月末までの、残り少ない留学生活を再開させる。
先日、インド行きのビザを取得したばかりの人から興味深い話を聞いた。「2ヶ月以内の再入国は禁止」という文言がビザに新たに表示されるようになったというのだ。
調べてみたら、確かに、インド内務省ウェブサイトにそのような記述があった。曰く、観光ビザの場合、2ヶ月以内の再入国は不可。特別許可を得れば可能だが、その場合は再入国後にFRROに届け出なければならない、とか。 日本語で検索をかけると、いくつかそれらしい情報が得られた。たとえば、これ。どうやら、1月からの新規程らしい。 インド大使館で事前に特別許可とか、FRROとか、絶対にイヤだ。したがって、観光ビザで2ヶ月以内に再入国するような日程を組んではならない、ということになる。テロ対策という理由はわかるが、やっかいな話だ。 この新規程とセットで、日本を含む5カ国からの観光客にはインド到着時に1ヶ月の観光ビザを出せるようにするという話もあるが、こちらが実際に機能しているという話は聞かない。 つまり、全体に規制を強化する一方、対テロ対策という目的の観点から許容される相手国に対しては特例を設けて便宜を図るということだろうが、後者がまだ機能していないため、ただただ不便なだけだ。 自分は学生ビザだから、とりあえずは関係のない話。たぶん。つい数日前に2週間ほどで再入国した人の事例を知っているので、おそらく大丈夫なのだろう。 というか、この規定が学生ビザにも適用されると非常に困るのだ。
聞いた話。
今日(27日)正午出発予定だった成田発デリー行きAI307便が大変なことになっているらしい。 まだ出ていないらしい。 運航日変更。 ×2。(いまのところ) エア・インディア恐るべし……。
1月12日(火)、再び日本に向けてインドを発った。
今回もエア・インディアで。実はJALを使うつもりだったが、訳あってまたしてもエア・インディアになってしまった。 今回は幸いにして、ほぼ時間通りの運行。オンタイムの搭乗開始。やや遅れての出発。ちょっとだけ遅れての到着。前回はきっちり2時間ほど遅れたし、今回は霧がかなり出ていたので時間通りの運行などまったく期待していなかったが、予想をいい意味で裏切ってくれた。 しかし今回は混んでいた。見渡す限りにおいて、空席が無かった。デリー=成田間のエア・インディアでこんなに混んでいるのは初めての経験だ。旅行シーズンというわけでもないだろうに、なぜだろう。 曜日のせい? (エア・インディアのデリー発成田行きは、現在、火・水・金・土の運行。日・月は連続でお休みになっている。) オート・エキスポのせい? (11日までデリー・オート・エキスポ2010が開催されていた。) よくわからない。客層も多彩で、掴みどころがなかった。観光客が多いでもない。ビジネス客が多いわけでもない。 オンタイムであったのは非常に嬉しい誤算だったが、今回の旅路は機内の混雑と体調不良のためにかなりの辛かった。成田に着陸するころ、こうしたフライトをこれから何度も繰り返さねばならないのか、とちょっと憂鬱になった。 最後に、デリーから成田まで同行してサポートしてくれたO氏に感謝。
土曜のランチ。
ITC Mauryaというホテル内のレストラン、Pavilionにて。 ランチビュッフェはRs. 1,800。多くの利用客がこれを選択していたものと思われる。だが自分は歩いて取りに行くことができない身だし、フロアスタッフに任せて取ってきてもらうのも好まない(好き嫌いが多いから)。 なので、メニューから注文。 海老カレーのセット(Mangalore Prawn Curry, Rs. 800)。 大ぶりなエビが豊富に使われたカレー。ココナッツ風味。南な感じ。美味しい。しかし激辛。確かにメニューには唐辛子マークが2つあった。 パンは、ナーン、パラーンターなどから選べる。パラーンターを選択した。粉っぽくて不味い。JNU内の激安パラーンターのほうがまし。 パラーンターの不味さは減点材料としても、料理は合格。しかし、フロアスタッフが少なくサーヴィスが行き届かず、料理が出てくるのも非常に遅かった。5スターホテルのレストランとして不合格。 [追記] このときの隣席の景色が頭から離れない……。 おそらくアメリカ人。 立派な体格。 大きなピッツァ。 そしてコーラ。 自分のイメージする「アメリカ人」への偏見を見事に体現した光景。完璧すぎる……。つい写真を撮りたくなったが、そこはさすがに自粛した。
ここJNUでは、学期初めの登録手続き(レジストレーション)というものがある。学費や諸経費を納入し、6枚綴りの書類を記入し、指導教授や所属センターの長の署名を集め、その上で学生証の更新などの手続きを行う。そうした一連の手続を自力で行わねばならない。
![]() 今日はそのレジストレーションがようやく完了した。めでたい。そこで、インド産のスパークリングワインであるSula Brut(右)を一人で飲み干しながら、これまでの経緯を記しておこうと思う・・・。 2年弱の留学中、これが最後のレジストレーション。だが、感傷は一切ない。ただただ煩わしいだけだ。 そもそも、今インドにいるのはレジストレーションを行うためだ。12月末に負傷したために帰国したが、とりあえずインドに戻らざるを得なかったのは、このレジストレーションを自力で行うねばならないためだ。昨年は友人のN氏が日本で用事があり、自分が彼のレジストレーションを代行、あるいは延期するために尽力したがかなわなかった経験から、自分でやるしかないと学習していた。そうでなければ、わざわざ松葉杖をついてこのインドに戻る必然性などなかったのだ。 レジストレーション期間は、1月5日までの1週間。そこで1月3日(日)にインドに戻り、翌4日から手続きをスタートさせることにした。昨年の経験からして、あまり早く戻っても仕方がないと考えていた。自分の学費はインド政府機関(ICCR)が大学に振込むのだが、これが遅れがちなため、インド政府の奨学金を受ける学生の手続きは否応なく遅れるのだ。 1月4日(月) 手続きスタート。まずは住んでいる寮の寮費を納める。午前10時過ぎ、寮の会計を訪ね、同じくレジストレーションを開始すべく寮費の支払いに来た学生とともに列をなし、今学期分の寮費を納入した。取るに足らない金額だ。 この寮費を納入したことにより、手続き書類を所属センターで入手可能となる。 寮から松葉杖をついて所属センターへ(松葉杖で行ける距離では無かった。後悔)。寮費の支払いを済ませた領収書を提示し、今学期の手続きの書類一式(フォリオ)を受け取る。 それから、学費の納入を確認すべく、アドミニストレーション・オフィスへ。まずは所属の有無を確認するのだが、その段階でパスポートを要求された。持っていなかったため、オートリクシャーで戻り、パスポートを持って再来。そして要求された書類への記載を行うが、インド政府奨学生である旨を記載すると、係官のおばちゃんから、まだICCRから学費が届いていないので手続きをできないとの無情の通知。ICCRから学費が振込まれるまで、これ以上の手続きはできない。 そのため、この日の午後は他のことに時間を使った。 1月5日(火) 前日は杖をついて行ったが、体力的にもう無理だ。そこで、友人のO氏に迎えにオートリクシャーで来てもらった。 フォリオを完成させるべく、指導教授の研究室を訪れる。アポなしだったが幸い遭遇できた。指導教授の項目にサインをもらうべくフォリオを差し出すと、指導教授欄のみならず、センター長の項目にもサインを埋めている。計12箇所。この学期からセンター長になったようだ。順番からしてそうだろうと予期していたので、驚きはない。これで手間が省けた。しかし指導教授がさらに多忙となってしまうのは、あまり嬉しいことではない。 それから、センターの事務所でフォリオに必要な印をもらう。これでフォリオはほぼ完成だ。あとはICCRだけ。 アドミニストレーション・オフィスに行っていたO氏に聞いてもらったところ、ICCRからの学費の振込はまだ行われていなかった。本来レジストレーションは今日までだが、仕方がない。自分のせいではない。 1月6日(水) この日は、レジストレーション以外に時間を費やす。O氏からの知らせによると、ICCRからの振り込みはまだであった。あとはICCRからの振り込みさえ行われればすぐにでも手続きは完了するのだが・・・。 故障発生以来、自分からそのことを知人たちに知らせることはなかったが、知人たちと遭遇する機会が増えてきた。いろいろと手助けを申し出てくれる。ありがたい。 1月7日(木) 自身の問題で連日アドミニストレーションに通っているO氏に迎えに来てもらい、ランチを共にしてからアドミニストレーション・オフィスを訪れた。すると、同じくICCRの奨学金を受けている日本人学生のT氏と遭遇。なんと、ICCRから学費の小切手を自力で勝ち取ってきていた。しかも、自分の分も持ってきてくれていた。ありがたや・・・。 T氏が持ってきてくれた小切手を持ち、アドミニストレーション・オフィスで手続きを行う。速やかに完了。 松葉杖をつく体力が限界に達していたので、途中で休憩を挟んでから、スクール(研究科)での手続きに移る。こちらも迅速に完了。スクールの事務に2枚、センターの事務に1枚を提出。 あとは完成したフォリオを2箇所に投函すればOK。 まずは学生課(Office of Dean of Students)へ。松葉杖で行くのはなかなかの骨であったが、他に手段はない(オートリクシャーやタクシーを使う場所ではない)ので仕方がない。学生課でフォリオを投函すると、小切手を持ってきてくれたT氏や、他の知人と出くわす。立ち話をしながら体力回復。 最後は自分の住む寮。T氏も同じ寮の利用者(住人とは言えないかも)なので、T氏のバイクに乗せてもらった。寮で管理人にフォリオを提出し、これで手続き完了。 当初は、4日と5日で終わればいいと思っていた。しかしICCRの動きがなく、うまくはいかなかった。場合によっては翌週への持ち越しも起こりうると懸念しはじめていた。そこで事態を展開させてくれたのは、T氏。多謝。彼のおかげで一気に片付いた。
ヴァサント・クンジのショッピングモールDLF Placeにある高級インド料理レストランVeda。国際空港から帰る途中に立ち寄った。
コンノート・プレイスの支店は行ったことがあるが、こちらは初めて。 コースで一人Rs. 2,000くらいの価格帯。コンノートの支店に行ったときは自分の財布を気にする必要がなかったが、今回はそうではないので、さすがにちょっと腰が引ける。単品の価格も高い。Rs. 1,000くらいの安いセットもあるが。 今回は、明らかに最近追加されたと思しきRs. 1,000程度のお買い得なコースをチョイス。前菜4種類、メイン4種類、パンもの、デザート2種類が食べ放題というコース。それぞれメニューから選択可能。明らかに他のメニューよりお得。 前菜はエビ、魚、鳥など。メインは、チキン2種、パニール、ダール(これは固定)、パンはバター・ナーンとガーリック・ナーン。デザートはクルフィとよくわからない何か。基本的に店員のオススメに従った。はっきり言って選ぶのが面倒だった。疲れていたし。 すべての料理がそれなりに美味い。ただし、飛び抜けて美味しい料理にも出会えなかった。そのため、満足感と、この程度の料理ならもっと安いところでも味わえるという思いが交錯した。 日曜夜の遅い時間なのだが、かなり盛況であった。客はことごとくインド人。 DLP Placeは中間層の地元客を着実に集めつつある。 大きな地図で見る
不便だ。自由に動きがとれない。
右足を地に付けないため、松葉杖がないと歩けない。松葉杖で歩くのは想像以上に辛い。 今日はまず寮からスクールやアドミニストレーション・オフィス(管理部)に行く必要があった。普段なら自転車で5分の距離。タクシーを呼ぶには近すぎる。バスは危険すぎる(乗降時の身の安全が確保されない)。オート・リクシャーいればちょうどいいが、寮の前にいることはまれ。なので、歩いて行ってみた。が、この試みをまもなく後悔することになった。きつすぎる。スクールにたどり着いたときには、大粒の汗を滴らせていた。 戻るときはオート・リクシャーがいるので苦労しなかった。 午後は学外に出る必要があったので、まず寮の前に出てオート・リクシャーが居ないことを確認した後、タクシーを呼んだ。半日でRs. 400のパッケージ。 電話して20分ほどで車が来た。行き先を告げる。「サウス・エクステンション」 運転手「サウス・・・エクス・・・テン・・・ション?」 は?知らないの? 聞き取れているようなので、こちらの発音の問題ではないようだが、なぜ通じない?知らないなんてことはありえない有名な地名だ。東京で言えば原宿とか、そのくらいのレベル。(あまり良い例えが浮かばなかった) リングロードで、オーロビンド通りを超えたあたり・・・と経路を説明して、出発してもらう。 途中、運転手から名刺を渡される。確かに自分が電話をした、JNUの目の前にあるタクシー会社の名刺だ。なのになぜサウス・エクステンションを知らないのか。 口頭で指示をして、目的の場所に到着。サウス・エクステンションの携帯電話会社Airtelで手続きをしようとしたが、そこに必要なものがなかったので、店員に住所を紙に書いてもらい、他の店に行くことに。そこで運転手に住所を紙を渡す。GK-IIのMブロック・マーケット。 運転手「グレート・カイラシュ・・・パート・・・2?」 おい。逆に聞きたい。じゃあどこならわかるのか、と。新宿のタクシー運転手が世田谷を知らないようなものだ。 略称のGK-II(じーけーとぅー)、とこちらが言うと、聞き覚えはあったらしい反応を見せた。そしておもむろに携帯電話を取り出し、タクシー会社に電話をかけ、「GK-IIってどこ?」と聞いて道を教わっていた。 GK-IIまでは無事についたが、そのあとMブロック・マーケットを探してしばらく迷い(自分もあまり詳しくないエリア)、何回も道を訪ねてようやくたどり着いた。 その後のJNU近くの地名は流石にわかってもらえた。 かなり経験値の低い運転手だったということになる。しかし非常に低姿勢だったので、むしろ好印象。無論、辿りつけなかったり、大幅に時間をロスしたりということであればこのようにのんきなことは言えなかっただろうが。 |
プロフィール
HN:
toshi
性別:
男性
自己紹介:
2008年7月から2010年5月まで、ジャワ―ハルラール・ネルー大学留学。
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